マクラーレンF1とGMA T.50、傑作2台を一度に間近で!|Octane名車研究

オクタン読者限定イベント「Octane 名車研究」は、歴史的名車の実車を前に、その車に関わった人の話を直接聞くことができる非公開イベントだ。4回目となった今回のテーマは「マクラーレンF1とGMA T.50」。ゴードン・マレーの傑作2台を一度に間近で見ることができるのは、世界的にも非常に稀なことである。

【画像】マクラーレンF1とGMA T.50、ゴードン・マレーの傑作2台が目の前に!(写真29点)

「名車研究」を企てた理由のひとつに”名車の海外流出”があった。クラシックモデルの価値が高騰するに伴って、特に円安が進んでからは尚更、有名な車両や貴重な車両が続々国外へと流出した。海外のイベントで日本にあったことを示すステッカー(無鉛、OK、車庫証明、YANASE、CORNESなど)を貼ったままの個体を見るたび、なんだか複雑な気分になったものだ。もちろん手放したオーナーを責めるわけにはいかない。私だってそうだ。熱心に口説かれ縁あって譲った方がたまたま海外だったというだけで、車好きに”国境”はない。

とはいえ、日本国内で見ることがもう叶わないかも、と思うとやっぱり悔しいし残念だ。そうならないうちにできるだけ多くの名車=物語のある個体、をじっくり見ておきたい。できれば車好きの仲間と共に。そういう気持ちが最近とみに強くなっていた。なかでもマクラーレンF1はその筆頭格として常に企画の念頭にあったモデルだ。レーシングカーも含めると多いときで 20台以上が日本にあったはず。それがいつの間にかわずか3台になってしまった。やばい…。企画の大団円を飾るモデル、などと言っていられない。

おりしもゴードン・マレーによる新作T.50が登場し、日本へも順調に上陸し始めた。スーパーカー史上最高傑作との呼び声も高い3シーターF1に対する、ゴードン自身による回答であると同時に、それは F1以降に登場したありとあらゆるスーパーカーに対する強烈なアンチテーゼでもあった。名車研究のターゲットとしてそのGMA T.50を、とまずは考えた。千葉に本拠を構えるプロスリンク社は GMAのオフィシャルなサービスセンターであり、ショールーム機能も備わっている。都心からドライブがてらに集ってもらうにも良い距離だ。

代表の石川ケネス氏、さらにアドバイザーの安川実氏にそのアイデアを打診する。安川氏はマクラーレン時代のゴードンをよく知る日本人の一人であり、マクラーレンF1の日本導入を取り仕切った重要人物だった。T.50を日本で販売するにあたって、彼がF1時代の顧客をまずは重視したであろうことは想像に難くない。そこで、閃いた。ひょっとすると今でもF1を所有されていて、T.50もデリバリーされた稀有なオーナーがいらっしゃるのでは、と。であれば、ゴードンのスーパーカー哲学を体現するその新旧2台をプロスリンクのショールームに並べるチャンスも”ひょっとして”あるのではないか、と!

どうやらいらっしゃるようだ。なかでもイベントなどにときおりナンバー付きのF1で参加されるオーナーに安川氏から連絡していただくことに。イベント趣旨に理解いただき快諾してもらったと聞いた時には、小躍りどころか大躍りしたい気分になった。日本でF1とT.50の揃い踏みを見ることができるなんて!

ちなみにマクラーレンF1は当代イチの高額車両でもある。取り扱いもデリケートなこのマシンの輸送は1990年から国内レースシーンのトップカテゴリーへ参戦し続ける老舗チーム”Hitotsuyama Racing”に担っていただいた。

とにかく晴れてくれ、否、降らないでくれ、という願いも通じたイベント当日、参加者たちがやってくる前にプロスリンク社の敷地内テストコースで2台の撮影を行うことになった。到着するとすでにシルバーのF1がポツンと佇んでいる。とても小さい。小さいのだが、凄まじいオーラを放っている。石川氏がそこへT.50を近づける。フォルムはほとんど相似形だ。T.50の方がリアにボリュームがあるか。ファンカーだからだ。

T.50の方がやや色が濃い。並ぶとやはりF1の小ささが際立つ。この大きさの推移はそのまま最新レギュレーションの厳しさを物語っている。ゴードンは無闇に大きくしたくなかったはずだ。エンジンは小さくなったし、ドライバーの身長はさほど変わらない。それでも車重1トンを切った。F1のときはわずかにきれなかった。そのぶんBMW製エンジンのパワースペックが想定より上だったので、ゴードンは”妥協した”。妥協なきマシンにおける非常に稀な妥協。軽さは正義。ゴードンの執念を思い知る。

当然というべきか。エクステリア以上にインテリア、特にマン・マシンインターフェースに相当するパートのデザインは瓜二つである。機能重視。そしてドライバーの”性能”が変わっていないのなら、マシンの”機能”配置も大きく変える必要はない。見栄えを変えるためのデザイン変更など必要ない。理想は一つ、正解もまた一つ。これもまたゴードンのスポーツカー作りにおける矜持というものだろう。

この日、名車研究イベントは午前と午後の2回が予定されていた。応募が殺到したためだ。そろそろ午前の部が始まる。撮影を終えた2台をショールームへ。軽いマシンである。数人で手分けして押す。簡単に転がる。手押しだからこそ重要バランスの良さが分かるというものだ。ちなみにマクラーレンF1を”押す”チャンスなどもう二度とないかも、と同業の渡辺敏史くんが撮影の助っ人にボランティアで参加してくれた。

トークショーのお相手はもちろん安川氏だ。「高い車を自分で買うことができないなら、高い車を扱うことにしよう」と若い頃から自動車ビジネスに関わり、80年代後半にレイトンハウスチームの一員としてF1シーンに身を投じた。バブル崩壊後もF1界にとどまることを決意した安川氏は、どうせやるなら世界最高のチームで働こうとマクラーレンへ。そのときすでにロードカーF1プロジェクトが進行中であった。

当時、マクラーレン・レーシングのチーム代表だったロン・デニスの信任も厚く、F1チームと日本企業との連携はもちろん、ロードカービジネスにおける日本側のハンドリングも全て任された。イベントでは当時の舞台裏も多く語られている。たとえば日本に輸入された18台全てのロードカーを氏は成田の保税倉庫から都内の整備ファクトリーまで”ドライブ”した!(そのときの写真はないのか?と聞けば、一枚もないらしい)

当時はF40やF50のようなド派手な空力デバイス付きスーパーカー全盛で、マクラーレンF1のデザインはツウ好み、言い換えればおとなしいと思われていたため、都内を走らせていてもさほど目立つことはなかったらしい。さらにフジテレビがF1中継後に放送していたテレビショッピングに”出演”されたことときの話なども面白おかしく語っていただいた。

名車研究の具体的なトークとしては、やはり2台の開発時点でのコンセプトであったり、ゴードンの思想や哲学であったりという点への言及が多くなった。材料やその軽量化へのこだわりは、前述したように彼の執念であろう。一度アッセンブリされてしまえば二度と見ることのないパーツまで美しい軽量化を施し、材料の選択も妥協しない。実際にパーキングブレーキのレバーなども展示されたが、その美しい構造と使われている配線やカプラーといった機能パーツの高度さに参加者のため息がつきなかった。

また日本市場への導入にあたって苦労した点(例えばETC機材の日本におけるセットアップ)など、石川&安川ペアならではの秘話も明かされる。実はT.50の導入に関していうと日本市場は本国イギリスに次いでかなり早く、かつスムースに進んだ(アメリカ市場などは昨秋にようやく始まったばかりだった)のだが、その背景にはプロスリンク社による適切な技術的フィードバックや市場に特有の要求が円滑に行われたという日本側の姿勢があった。このあたり、そもそもゴードンと安川氏との長年の信頼関係も功を奏したのだろう。

当日は実車2台のみならず、大変貴重なドキュメントや工具ケース、純正バッグ類の数々も惜しみなく展示された。マクラーレンF1のオーナーハンドブックなど、滅多に見ることのできない貴重な品を実際に手に取って見ることができるなんて!名車研究ならではといった演出であったと思う。

GMA T.50はマクラーレンF1を超えたか?その答は歴史が決めることになるだろう。けれどもT.50オーナーの多くが、最近の超高価なハイパーカーとは違って、デリバリー後すぐにオドメーターの数字を伸ばしているという事実は注目に値する。ハイパーカーであろうと車は乗ってナンボ。ゴードンはこの30年間、自身が設計したマクラーレンF1を超えるスーパーカーが出現しなかったことを危惧してT.50を設計した。多くのF1経験者がその走りを楽しんでいるという事実がゴードンにとって最も喜ばしい現実であるに違いない。

これからT.33の生産もいよいよスタートする。GMAの今後にも目が離せない。

文:西川 淳 写真:佐藤亮太

協力:株式会社PROSLINK、ビーウィズ株式会社、Hitotsuyama Racing

Words:Jun NISHIKAWA Photography:Ryota SATO

Special thanks to PROSLINK CO., LTD, BEWITH Ltd. and Hitotsuyama Racing