玉露は45度で淹れるのがよいという。高温で一気に抽出すると、旨味よりも先に雑味が立ってしまうからだ。
京都調理師専門学校で開催された文化庁主催のイベント「日本の食文化とわざの継承EXPO」の会場では、お茶を淹れたり、和食と日本酒のペアリングを味わったり、生菓子を崩れないよう慎重に型から押し出したりする参加者の姿があった。
和食、京料理、酒造り、京菓子、手もみ製茶──日本の食文化を支える担い手たちが一堂に会し、実演やトークセッション、体験プログラムを通してその魅力を伝える本イベント。担い手不足や価値観の変化など、技術の継承には課題もあるといわれる。だが、会場に漂っていたのは危機感だけではなかった。香りや味わい、所作の美しさに触れ、目を輝かせる人の姿があった。
食の「わざ」は、理屈よりも先に感性を刺激する。魅せられることこそが、継承の第一歩なのかもしれない。
体験で触れた食のわざ
本イベントには体験プログラムがたくさん用意されていた。文化庁が食文化の継承に力を入れるなか、本イベントでは京料理、伝統的酒造り、菓銘をもつ生菓子(煉切・こなし)、手揉み製茶の4つの食文化の「わざ」を体験できる内容だ。筆者もいくつか体験してきた。
伏見の酒の「引き立てる」美学
京都が誇る酒造「北川本家」「松本酒造」「山本本家」の銘酒と、料亭「乙文」の八寸を合わせたペアリング体験では、それぞれのマリアージュを堪能した。
伏見の日本酒の大きな特徴は、料理よりも強く主張するのではなく、料理と調和し引き立て、「もう一口」へと誘う存在を目指しているという点だ。だからこそ、この「ペアリング体験」は意味を持つ。
八寸の繊細な味わいの後に酒を含むと、余韻がふくらむ。主張しないからこそ、料理の印象が鮮明になる。
華やかさよりも調和。そこに、日本料理の引き算の美学が垣間見えた。
茶を淹れるのは時間の技術
京都府茶協同組合のプログラムである茶の飲み比べ体験では、玉露、煎茶、碾茶、玄米茶の4種類が順番に配られた。香りや渋味を飲み分けながら真剣にメモを取ったが、筆者は間違えてしまった。参加者の何人かは見事に言い当てていたが、知識だけではなく、経験を積み重ねることが必要なのだと実感する。
日常の中で急須を使う機会が減っていると言われるなか、この体験が持つ意味を改めて考えさせられた。
茶の淹れ方についてもレクチャーを受ける。玉露は低い温度でゆっくりと。二煎、三煎と入れるごとに味わいが変わる。その変化はインスタントでは味わえないお茶の楽しみ方だ。
茶を淹れるという行為には、せわしなさがない。ゆっくりと淹れ、適温に冷めるまで待ち、ゆっくりと口に含む。この時間こそが、豊かな食文化を育てるのだろう。
盛り付けで知る「香り」のわざ
盛り付けのわざ体験では、美濃吉の佐竹洋治氏が実演しながら極意をレクチャー。
「臭いと思ったら料理は終わり。香りが大事なんです」
鯛飯にフキノトウを、エビに柚子の刻みを。てっきり視覚的な彩りのためだと思っていた。しかし実際は、「春」という季節の香りも料理に添えるための工夫だった。
また、立つ食材は立てる、右側に明るい色味のものを入れるなどといった盛り付けの「わざ」に、見た目が食への期待感をどれだけ上げるのか、その効果を感じずにはいられなかった。SNSでイベントを知り体験に訪れた親子も「楽しかった」と喜んでいた。
なぜ、いま食の継承なのか‐文化庁が描く現在地と課題
オープニングセレモニーでは、文化庁長官の都倉俊一氏が登壇し、日本の食文化を取り巻く現状について触れた。
2013年に「和食」が、2024年には「伝統的酒造り」がユネスコ無形文化遺産に登録されたことで、国内外で日本の食文化への注目は着実に高まっているという。実際、インバウンドのうち約3割が「食」を求めて再訪しているとのデータも紹介された。
今、日本食の世界からの評価は追い風だ。しかしながら、文化庁の中島勇人参事官に話を聞くと、国内に対しての視線を感じた。
食は、私たちが毎日触れるものだ。だからこそ、文化や芸術として捉える視点は必ずしも高くない。生活様式の変化や少子高齢化により地域行事は減り、担い手不足も深刻だ。日常に溶け込んでいるがゆえに、その価値が見えにくくなっているのではないか。 そんな危機感が語られた。
こうした状況を受け、文化庁は制度面の整備を進めてきた。2017年の文化芸術基本法で、食文化は初めて「生活文化」として法律に位置づけられた。2021年には登録無形文化財制度が設けられ、伝統的酒造り、京料理、和菓子、伊勢茶、加賀料理の5件が登録された。
さらに2025年12月には、より積極的な保護措置を講じる重要無形文化財制度が食文化分野にも適用されるようになった。法制度面から、食文化継承への後押しをしてきたのだ。
そのうえで、「発信していくことが重要です」と参事官は強調する。理屈で説明するだけでなく、五感で実際に食文化の価値を感じてもらう場を設けた。それが、このイベントだった。
筆者が体験した玉露の温度や、出しゃばらない酒、香りまで設計された盛り付けを思い出す。あれらの体験は、確かに言葉よりも雄弁だった。
食の担い手たちの言葉
「トップ職人が集う 日本の食文化を支える長(おさ)トーク」のステージには、日本の食文化を支える各分野の担い手が登壇した。
和食からは、「たん熊北店」三代目主人で日本料理アカデミー理事長の栗栖正博氏。
京菓子からは、「御菓子司塩芳軒」主人で京菓子協同組合専務理事の髙家啓太氏。
茶からは、公益社団法人京都府茶業会議所副会頭の𠮷田利一氏。
酒造からは、「北川本家」代表取締役社長で伏見酒造組合理事長の北川幸宏氏。
京料理「鳥米」六代目当主の田中良典氏の「技とは何か」という問いに、それぞれの立場から語られた。
栗栖氏は、「おもてなしの技」を強調する。料理そのものだけでなく、器、掛け軸、床の間のしつらえまで含めて空間全体でお客様を迎える。それが和食の技だという。様々な行事や他の料理屋での経験を積み重ねることで、初めて身につくものだと語った。
髙家氏は、京菓子を「創造性を持つ引き算のデザイン」と表現した。季節や祭祀、お客様の背景を含めて成立する文化であり、対面で選ぶ体験を通じてこそ伝わる技だという。削ぎ落とす中にある美意識が語られた。
𠮷田氏は、小学生の頃から父とともに茶摘みや製茶に携わり、身体で技を覚えてきたと振り返る。技は繰り返しの実践の中で身につくと語気を強めた。
北川氏は、酒造りは微生物を相手にする仕事だと語った。人ができるのは環境を整えることだけ。人の限界を理解し、謙虚に向き合う姿勢が求められる。杜氏と蔵人の集団作業によってのみ成立するという。
分野は違っても、「わざ」は精神性や美意識と切り離せないという点を共通して感じた。
「センスの構築」には、遊びに行くことさえ学びになる
セッション後には、それぞれの長から、「継承」についてより具体的な話を聞くことができた。
𠮷田氏は「いかに興味を持ってもらうか、好きになってもらうかが一番大事」と語る。どれだけ教えても、関心がなければ伝わらない。まずは心が動くことが必要だという。
技術を伝える際、食の現場では「背中を見て学ぶ」という方法が伝統的になされてきた。京料理には、祭事や四季といった日本ならではの風習と京都という地域性への知見が必要だが、栗栖氏は若手の料理人に「本で読むよりも、行ったほうが早い」と良いものを実際に見ることを勧めているという。目に焼き付けることが美意識を育てる。センスの構築には、遊びに行くことさえ学びになるという。
さらに、変化していく時代において、新しい感性を取り入れて対応していくことも多くある現場で、譲れない部分について聞くと、髙家氏は「京菓子は動物性のものは使わないという点は守っていますね」という。特に御菓子司塩芳軒では、お客様からのリクエストに応えてオリジナリティの幅を広げているため、明確な基準のもと柔軟に対応することが必要なのだろう。
酒造りはまた特殊な現場で、酒を造るのは微生物が担う。そのため環境づくりを徹底することが杜氏の仕事になる。北川氏は酒造りで「もう一杯飲んでもらえる酒」を目指していると語る。材料や温度、手入れといったところ以外の農家や流通と顔の見える関係という点も、継承するうえで必要な力なのだ。
担い手不足や経営的な不安など、確かに技術の継承に課題は残る。それでも、「これをやりたい」という気持ちが何より大切だという言葉が繰り返された。
「感覚」こそわざの一歩
継承とは制度や仕組みだけで成立するものではない。「わざ」には手順や数値では測れない「思い」や「関係性」、そして「五感」が深くかかわっている。
「楽しみにしてたんです」と、京料理に魅せられて京都に移住した参加者が語っていた。
五感で体験し、心が動くこと。その積み重ねが、次の担い手を育てていくのだろう。














