長崎県に住む小学校教諭の西尾加奈子さん(40歳)は32歳で乳がんを発症し、右乳房全摘出手術、抗がん剤・放射線治療、ホルモン療法を経験しました。AYA世代のがん治療は身体的な負担に加え、副作用による外見の変化も精神面に大きな影響を及ぼします。
毎日こつこつと積み上げるように働き、生きている私たち。そこに、にわか雨のように突如訪れる「病」。当たり前のように過ごしていた日々が一変する中、大きな不安を抱えながらも、それでも働き、生きていかねばなりません。
生きるとは、働くとは、幸せとはなにか考えるシリーズ「生きる、働く、ときどき病」。今回は、西尾さんにがんの治療と当時の心境、そして治療しながらの仕事について話を聞きました。
右胸にかたいゴムべらのようなしこりが
親戚にがん経験者が多かったため20代のころから女性特有のがん検診を受けて気をつけていたという西尾さん。30歳の乳がん検診で要精密検査となりました。
「その検査での医師の触診ではとくに異常は見つかりませんでした。そのころ、当時住んでいた大阪から実家近くの長崎に移住することが決まっていたので、担当医には『病院が変わるから引っ越し先でも検診を受けてね』と言われました。長崎の病院でもMRI検査を受けましたが、結果は異常なし。ただ、右胸を触ると固いゴムべらのようなしこりを感じていたんです。よく乳がんのしこりは『ビー玉のよう』と聞きますが、ちょっと違くて。柔らかくなったりかたくなったりするので、医師もなんだかはっきりしない、ということで経過観察し、半年後に針生検を受けることになりました」(西尾さん)
針生検の結果が出るのは1週間後の予定でしたが、西尾さんはその検査の翌日、医師から「明日病院に来られますか?」と連絡を受けました。
「『電話ではお伝えできないからご家族と一緒に来てください』と。こんなに急に連絡がくるということは、きっと悪い知らせだろう、と思いました。そして翌日、母と一緒に診察室で聞いた検査結果は『悪性腫瘍』とのことでした。
結果を聞いたときには、ずっとわからなかったしこりの理由がわかって少しすっきりした気持ちだったと思います。そして同時に、がんということは命にかかわるかもしれない、という考えも頭をよぎりました。あのときの感情はうまく言い表せません。ショックと言うより、時間がそこで止まってしまったような感覚です。一緒に聞いてくれた母は一瞬動揺しつつも、慌てずに受け止めていてくれたと思います」(西尾さん)
西尾さんは検診を受けたクリニックから大学病院へ紹介を受け、その日のうちに転院することになります。
「その日、運よく大学病院の診察枠に空きがあり、2時間後に担当医の初診を受けることができました。病気の簡単な説明、治療方針決定までのプロセスなどの説明を受け、今後の検査のスケジュールを組みました」(西尾さん)
診察の後、西尾さんは同席していた看護師に声をかけられました。西尾さんは「そのときのことが今も忘れられない」と話します。
「主治医の診察後、同席していた看護師さんが私だけを個別の部屋に呼び出して、『泣いたりしていないけど、大丈夫?』って聞いてくれたんです。落ち込んだ様子を見せなかった私を心配してくれたようでした。その言葉に、初めてわぁーっと涙があふれました。
私はたとえ悪性のがんでも治療はできる時代だと思っていたし、半年間のもやもやがすっきりした気持ちでいたけれど、本当は不安でいっぱいだったんだと思います。自分でも落ち込んでいることに気づかなかったのかもしれません。看護師さんは『今からがんのことを勉強していこうね』と声をかけてくれ、看護師さんたちを頼っていいんだと安心できたし、前向きに治療に向かおうと思えました」(西尾さん)
ステージⅢAの診断。「未来の子どもたちのために休んで」の言葉に救われた
西尾さんが悪性腫瘍の診断を受けたのは3月末。新年度からクラス担任を受け持つことが決まっていた西尾さんは、仕事をしながら週に1〜2回の検査を受けに病院に通う日々になりました。
「当時私の勤務先は長崎の島にある全校生徒数が30人ほどの小さな小学校でした。診断を受け校長先生に事情を話してほかの先生方にも共有してもらい、検査で仕事を休む日はほかの先生方が授業に入ってサポートしてくださいました。そして1カ月ほどかけてさまざまな検査をしたところ、浸潤性小葉がんというものだとわかりました。
ゴールデンウィークが明けたころに、右乳房を全摘出する手術を受けることになりました。そして手術の際に切除する組織の検査結果次第で、化学療法の可能性もあると聞きました。手術後に詳しい検査をしてみないとその後の治療がわからなかったので、仕事は夏休みいっぱいまでお休みをもらうことにしました」(西尾さん)
5月中旬、西尾さんは3時間半に及ぶ手術を受けました。手術の際、右脇の下のリンパ節(腋窩リンパ節)にも転移が見られ、9つのリンパ節も切除しました。
「術後の病理検査の結果ステージⅢAとの診断で、遺伝子検査の結果も踏まえ、抗がん剤治療をしない選択肢はありませんでした。とても嫌でしたが受けることを決めました」(西尾さん)
西尾さんは術後、2種類の抗がん剤を点滴投与する治療を受けます。3週間に1度通院して点滴を投与する治療を8クール、期間としては半年間です。
「最初の抗がん剤投与は7月初旬。仕事復帰については1回目の様子を見て判断するつもりでした。そして初回投与を受けてみて、『これは働きながらはとても無理だ』と。
便秘が続いたり、食事が取れなかったりする副作用のほか、ショックが大きかったのは髪の毛がごっそり抜けたことです。覚悟はしていましたが、毎日毎日髪が抜け続けることはボディーブローのようにじわじわと心を弱らせていったと思います」(西尾さん)
半年間の抗がん剤治療の後には毎日通院する放射線治療も決まっていたため、西尾さんは校長に休暇の延長を伝えました。
「校長先生は『西尾さんは、この先何十年も長崎の子どもたちのために頑張ってもらうわけだから、今は期限を決めずじゅうぶん休んでください』って言ってくださって、すごくありがたかったです。休んでいいという言葉も安心できましたし、自分には何十年先の未来があると当然のように信じてくれる人がいることに救われる思いがしました」(西尾さん)
仕事でだれかの役に立てることが生きがいに
半年間に及ぶ抗がん剤治療の後半には、髪以外の外見の変化も現れました。
「治療の前半は、抗がん剤投与から10日ほど経つと体調が戻っていたので、次の投与まで遠方に出かけたりして気分転換もできたんですが……。後半4クールはしんどい期間が長くなり、具合が悪い状態が続きました。
両頬が真っ赤になってしまい、目が腫れぼったくなり、眉毛やまつげも抜けて、爪が割れて……体のだるさに加えて、外見が元の自分からどんどん変わっていくことは、精神的に追い詰められるようでした」(西尾さん)
病気による外見の変化は、西尾さんの心にも影を落としました。
「副作用の赤みが引いた後、両頬にかなりシミが増えてしまったんです。頬のシミも、右胸のことも今はふだんほとんど気にしませんが、ふとしたときに『病気になったせいで……』と思ってしまいます。人からは『きれいに治ってるね』『もう40代だからしかたないよ』と言われるけれど、私の心には拭いきれない劣等感が残ったままです」(西尾さん)
半年間の抗がん剤治療の次は、平日毎日通院しての放射線治療を1カ月半。その治療が終わった時点で3月末となり新年度が始まる時期でしたが、さらに注射と服薬によるホルモン療法を受けることもあり、もうしばらく療養することになりました。
「療養中はずっと実家に引きこもっていました。治療をしているとは言え、だれの役にも立たず社会の一部になれていないと感じて、自分の存在価値がわからなくなることもありました。両親が家を空けているとき、1度だけ『このまま消えてしまおうか……』と考えてしまったことも。それほど追い詰められていたんだと思います。
校長先生と相談し、2学期から職場に復帰しました。ホルモン療法を受けつつ体調を見ながらではありましたが、仕事に戻ることは私にとって大きな生きる力になったと思います。職場の先生方とかかわり合うことができ、授業をして子どもたちが『わかった!』『先生ありがとう』と反応してくれる。だれかの役に立っていることを実感できました。私にとって、仕事がとても大切な居場所であり、生きがいになったと感じています」(西尾さん)
外見ではない本当の「私らしさ」を見つめ直して
大きな病を経験した西尾さん。生きる上での価値観にも大きな変化がありました。
「病気になる前の私は、人からどう見られるかや見た目が自分の価値だと思っていた部分が大きかったと思います。でも病気を経て、自分の価値は自分で決めるものだと強く感じるようになりました。
私にとって、病気になったことでの外見の変化はとてもつらいものでした。治療後の私は当時の恋人のために必死に元に戻ろうとしましたが、結局その人とは別れることになってしまって。だけど本当に仲のいい友人たちはベリーショートヘアになった私に会っても『中身は何も変わっとらんやん』と言ってくれました。彼女たちは私の中身を見て友だちでいてくれていると感じました。
そこから、本当の私らしさってなんだろうとずっと考え続け、数年かけてようやく自分らしさをつかみ始めている気がします。今は、自分が心から好きで楽しめることを大事にできるようになりました」(西尾さん)
ホルモン療法を続けると肌の乾燥などに悩まされることが増え、スキンケアにも一層気を遣う必要があるのだとか。
「ホルモン療法をするようになってから、肌がすごく乾燥しやすくなりました。あるとき、第一三共ヘルスケアが開催するAYA世代の女性がん患者対象の『肌ケアセミナー』に参加して、自分が全然ケアできていなかったことに気づかされました。実は以前は保湿剤が苦手だったんですが、化粧水の後に必ず保湿剤を使うようにしたら状態がかなり改善したんです。意識してケアするようになると、以前よりも自分の体や心を大切にできるようになったと感じます」(西尾さん)
西尾さんは現在、ホルモン療法7年目に入り、定期的に経過を見る診察を受けています。また、がん患者支援団体ピアリングでコミュニティリーダーとしても活動しています。
「月に2回ほどオンラインのおしゃべり会を開催しています。AYA世代のがん経験者は治療そのものだけでなく、見た目や生活に付随する悩みに苦しむことが多いもの。同じような立場の人と悩みや治療のことなど共感しあうことで、お互いの支えの場になっています。
また、これからも自分に無理のない範囲で、経験者としての発信もできたらと考えています。今回のような取材を受けることで、AYA世代のみなさんに『同じように頑張った人がいる』と知ってもらえたらうれしいです」(西尾さん)



