エンツォ・フェラーリが愛用したスーツと靴がオークションに|自らオーダーした完全なるビスポーク

レーシングスーツやヘルメットといったモータースポーツ由来の装備がオークションに登場すること自体は、決してめずらしい出来事ではない。勝利の記憶や伝説的ドライバーの痕跡を宿すそれらは、長年にわたりコレクター市場で確固たる位置を占めてきた。だが、ブランドの創設者が日常のなかで身にまとった衣服となると話は別である。車ともレースとも直接結びつかない私的領域の遺品が公に現れる機会はきわめて少ない。

【画像】かのエンツォ・フェラーリの私物、愛用のスーツと靴がオークションに登場(写真9点)

本日開催されるRMサザビーズの「カヴァリーノ・パームビーチ」オークションに出品されたのは、エンツォ・フェラーリのために仕立てられたダークブルーのツーピーススーツと、1970年代から80年代にかけて着用された黒革のドレスシューズである。スーツは1979年、専属テーラーであったガブリエーレ・ベルタッツォーニの手によって製作された一点物。創業者エンツォ自身の注文による完全なビスポークであり、後年に広く知られる厳格な装いの一端を具体的に伝える衣服でもある。

付属資料の充実も、このロットの特異性を際立たせている。ガーメントバッグや靴箱、署名入りの真正性証明書、当時の写真、さらに仕立てに用いられた生地サンプルの写しまでが揃い、単なる衣服という枠を超えて、個人の時間を記録したアーカイブとしての性格を帯びる。書類には1970年代初頭から1980年代半ばにかけてのスーツ製作記録が残され、エルメネジルド・ゼニアやスキャバルといった上質なウール素材が選ばれていたことも確認できる。素材選択のひとつひとつに、彼の審美眼と慎重な気質がにじむ。

ブルーのスーツは、晩年に多く見られたグレーやブラックの装いとはやや趣を異にするものの、1980年7月にイモラでジル・ヴィルヌーヴのテストを見守る姿など、いくつかの歴史的場面で同様の装いが確認されているという。足元を支えたドレスシューズもまた特注品であり、日常の反復のなかで創業者の身体と時間を共有してきた存在である。

落札予想額は10万〜20万ドル。現在の為替水準で換算すれば、およそ1500万円から3000万円前後に相当する金額となる。衣服として見れば破格だが、フェラーリという名を生み出した人物の遺品として捉えるなら、納得できる価格ではないだろうか。場合によっては良質な中古フェラーリ車に手が届く価格帯と比較される点も、創業者という存在の特別さを改めて示している。

エンジンでもシャシーでも、勝利のトロフィーでもない。それでも、この布地は確かにフェラーリの歴史を形作ってきた一端を担うアイテムであることは確かだ。ブランドの神話はしばしば性能や戦績によって語られるが、人物の存在を最も雄弁に伝えるのは、こうした私的な遺品なのかもしれない。

ステアリングを握ることなく触れられる、エンツォ・フェラーリが生み出した歴史。その価値は、価格の多寡だけでは測りきれないだろう。