少しさびれたタイル、浴槽の石縁、並んだアヒル。その風景の中で差し出された牛乳瓶には、湯上がりの飲み物ではなくビールが入っていた。
ここは大阪・淡路にある、元銭湯を改装したクラフトビールの醸造所「上方ビール」である。
牛乳瓶、その中身はクラフトビール
淡路は新大阪駅からも徒歩圏内の、商店街がにぎわう下町だ。だからこそ、銭湯が町に自然と溶け込んでいる。
阪急「淡路」駅から10分程度歩いて新幹線の高架をくぐって、下町情緒ただよう街中に、「上方ビール」と書かれた銭湯の跡地がある。一見してもまさかビールが飲めるとは思えない構えだ。
銭湯の状態をキープできるようにするためか、靴を脱いでガラスの内扉をくぐる。ブーツの方は気を付けて、穴の開いた靴下もやめておこう。
番台で、ドリンクを注文する流れになっている。ワンオーダー制で、工場見学付きのコース、90分飲み放題コース、3種飲み比べ、単品での注文がある。今回筆者は工場見学付きの3種飲み比べコースを、友人は1杯のみの工場見学付きのコースを注文した。
ビールのラインナップも、“銭湯色”がコテコテについている。「バスソルトスタウト」や「金泉エール」「銅泉エール」「南国温泉サワー」「温もりヴァイツェン」など、お風呂にちなんだ絶妙なネーミングだ。
ソフトドリンクも、「こーひー牛乳」「ふるーつ牛乳」など、銭湯上がりの“あの時間”を思い出させてくれるドリンクが健在だ。迷いながらも、「バスソルトスタウト」「温もりヴァイツェン」「金泉エール」を、友人は「南国温泉サワー」をオーダーした。
数分脱衣所で待っていると、友人に牛乳瓶が渡された。そして私に風呂桶が渡された。
もう浴場に行く準備は完璧だ。脱衣所でごくごくしたい気にすらなる。はやる気持ちを抑えて、いざ浴室へ向かった。
想像以上に、銭湯だった
一歩足を踏み入れると、まず目に入るのは浴槽だ。丸みを帯びた浴槽、青いタイル、連なった石材の洗い場。
見覚えがありすぎる。服を着ていることが不思議な気持ちにすらなるほどだ。
浴槽の縁には、お風呂タイムの相棒、そう、アヒルがずらりと並んでいる。「男風呂」「サウナ」などといった懐かしいサインたちも展示されている。
「ここは元・銭湯です」と説明されるより先に、身体の記憶がそう判断してしまう。浴槽内とサウナ前の水風呂エリアにテーブルが並べられていて、これが飲食店でいう「テーブル席」、洗い場が「カウンター」となる。
銭湯で飲む。これはもう優勝
中身は確かにビールなのに、飲む所作は完全に湯上がりのそれだ。
お味のほうはというと、すごくおいしい。どのビールも雑味がまったくない。香りも高い。友人に分けてもらって「南国温泉サワー」も味わったが、こちらはまるでカクテルだ。ビールが苦手な友人も、あまりの飲みやすさとおいしさに、帰りに自分用に買って帰ったほどだ。
工場見学付きコースには、グリッシーニがついてくる。これまたユニークで、ビールを作るときの麦芽粕から作られたものなのだそう。フードロスを考えているサステナブルな銭湯……いや、ビール工場なのだ。
味も数種あって、シナモンとゆず七味を私たちはいただいた。香りがよくてビールとの相性ももちろんいい。立ち飲み気分で味比べをしながら、友人とワイワイ話す楽しい時間。昼飲みの醍醐味を存分に味わえた時間だった。
ちゃんと「工場」だった
飲むだけ。それはそれでいい。最高だ。だが、工場見学はまた違った良さがあった。男湯側は工場になっていた。女湯側の飲食エリアと上部が開いていてつながっていて、つくりも同じ。
しかし、空気が変わる。タンク、配管、機械。積まれた麦芽袋。そこは確かにビール工場だ。設備がつまっている。サウナで麦芽を粉砕するというおかしみをのぞいては。
番台のお姉さん(スタッフさん)に工程の説明を受ける。麦芽を粉砕させ、お湯を足して攪拌し濾過をする。それにホップを足し、酵母菌を足して発酵させる。
工程はシンプルだ。だが、説明の節々にビールへの深い愛情と、職人さんの手間ひまが垣間見える。大人になってからでも工場見学には新鮮な驚きがある。子どもの頃よりも経験が増えた分、労力を想像できていっそう味わい深い。
ビールを1本、アヒルを眺めながら飲んで、帰る。それで十分、体験は完結する。しかし、無知を知にする喜びや刺激は、戻って飲むビールへの接し方を変えてくれるのでおすすめだ。
ここは、「銭湯跡のビール飲み屋」では片づけられない。銭湯の記憶をそのまま残したまま、ビール工場という別の役割を与えた場所なのだ。
飲むだけでもいい。
踏み込んでもいい。
ここでは、銭湯さながらにマイペースで楽しみながらビールを味わえる。少し赤らんだ頬で、上機嫌にガラガラと、自宅用のビールを持って帰路につく体験ができるのだ。「今日の金泉は、いい湯だった!」、てなもんで。













