(左から)門田博光、松中信彦(写真:産経新聞社)

 

 メジャーリーグで大谷翔平が球界を席巻する今、かつての日本球界にも「海を渡っていたら」と想像したくなる選手たちがいた。戦後初の三冠王に輝いた強打者も、その一人に入るだろう。(文・シモ)[1/6ページ]

“ID野球”が海を越えたら

野村克也

[caption id="attachment_125358" align="alignnone" width="530"] 南海ホークス時代の野村克也(写真:産経新聞社)[/caption]

 

 

 

・投打:右投右打

・経歴:峰山高

・ドラフト:1954年ドラフト外(南海)

・NPB通算成績:3017試合出場、打率.277、657本塁打、1988打点、117盗塁

 

 戦後初の三冠王に輝いた野村克也。彼が海の向こうへ渡っていたら、如何なる成績を残せただろうか。

 

 テスト生として南海ホークスに入団した野村は、プロ1年目の1954年に9試合の出場で11打数0安打。続くプロ2年目には一軍出場なしと、鳴かず飛ばずでくすぶっていた。

 

 それでも、プロ3年目の1956年に正捕手として定着し、打率.252、7本塁打、54打点を記録すると、翌1957年には30本塁打を放ち、本塁打王を獲得した。

 

 

 

 そして、1965年には、打率.320、42本塁打、110打点で三冠王を獲得。1961年〜68年まで8年連続の本塁打王、1962年〜67年まで6年連続の打点王と、圧倒的な数字を残したのである。

 

 また、1969年オフには選手兼任監督に就任。選手として成績を残しながら“野村再生工場”と呼ばれる手腕で、江本孟紀や山内新一、江夏豊などを復活させた。

 

 その後、ロッテオリオンズや西武ライオンズを経て、生涯一捕手として45歳まで現役を続けた。

 

 野村の打席での読みや打撃技術、捕手としての配球や打者との駆け引き、のちにID野球でプロ野球界に革命を起こした野球理論。

 

 それらをメジャーに持ち込んでいたら、ベースボールに革命が起きただろう。

 

 

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【了】