「格闘技は花火、プロレスは曲」佐々木憂流迦、36歳でアメリカへ渡る真意

格闘技は「花火」で、プロレスは「曲」だと、佐々木憂流迦は言った。瞬間火力で観客を熱狂させるMMAの世界から、余韻が残る音楽のようなプロレスの世界へ。世界最高峰のMMA団体であるUFCでランカーになり、その後、RIZINのリングでも活躍した彼が、幼少期からの夢だったプロレスラーへと転身して2年が経った。

【撮り下ろし写真】佐々木憂流迦

2023年元日、NOAHの日本武道館大会。世界最大のプロレス団体であるWWEで日本人スーパースターとして活躍する中邑真輔(Shinsuke Nakamura)と、世界中のプロレスファンにとってリビングレジェンドとして君臨していたグレート・ムタのまさに歴史に残る名勝負を客席で目撃した佐々木憂流迦は、試合後のバックステージで中邑から「お前はいつやるの?」と問いかけられた。その年の秋、小学生の時に埋めたタイムカプセルを開けると「プロレスラーになれてますか?」という自分自身への手紙が現れた。運命は、降りてくる。そして、彼はNOAH所属のプロレスラーになった。

2025年元日、やはりNOAHの日本武道館大会。シングルマッチで対峙した「あの中邑真輔」に叩きのめされ、迷路に入り込んだ。それから1年を経て、彼はアメリカ武者修行を決断した。プロレスラーとして「正当な評価」を勝ち取るために。12歳でプロレスを知り、24歳でUFCと契約し、36歳でまた新章が始まる。12年周期で巡る佐々木憂流迦の人生、プロレスラーとして奏でる次なる旋律について。

─アメリカ行きは急に決まったんですか?

本当に割と急でしたね。でも僕はずっと行きたかったんです、アメリカには。

─やっぱりプロレスラーとしてもアメリカで戦ってみたかった。

そう、格闘家としては行ってるので。UFCに5年ぐらいいて、20代は向こうで過ごした感じなんで。だからやっぱりプロレスラーとしてアメリカを体感したかったです。UFCに出ていたのが自分の中ですごい財産で、特別な経験だったんで。プロレスでも体感したいっていうのはずっと思ってました。

─中邑真輔選手からアドバイスもあったりしたんですか?

いや、ないんじゃないですか(笑)。プロレスのアドバイスはくれますけど。「アメリカを体感した方がいいんじゃない?」みたいなのは別にないですね。

─憂流迦選手がプロレスラーになってちょうど2年ですよね。現代MMAのUFCでランカーだった方がプロレスラーになるっていうのは、稀有ですよね。

いないですよね。外国人ではいるんですけど、日本人ではいないと思います。

─プロレスラーとしてのこの2年はどういう体感でしたか?

めちゃくちゃ大変でした。「これ、時間足りなくない?」ってずっと思ってましたね。僕が格闘技でやってきたことを思い返した時に、仕上げるのにすごく時間がかかったんですよ。格闘技のバックボーンはあれど、別物だから。「時間が足りるのかな?」ってずっと思ってました。でも、NOAHは試合が多いじゃないですか。それが何よりも良かったですね。経験させてもらえるっていうのがめちゃくちゃ大きかった。

─巡業も大きいですよね。

はい。格闘技だと3、4カ月に1試合のペースになるので、それでやってたら絶対に無理ですよね。試合しまくって、失敗もたくさん経験して、自分の弱さとも向き合うからには試合数が絶対に必要で。

─できればもうちょっと早くプロレスに転向したかったという気持ちはあったんですか?

いや、僕の人生はタイミングとご縁なんで。全部本当に巡り合わせで生きてきてるんで、全部必然だったと思います。

─プロレスの難しさと醍醐味、MMAのトップ戦線で戦ってきたバックボーンの利点、その両方を感じながらの2年だったと思います。

そこも、すごく難しいですよ。MMAの経験が逆に邪魔になる時もあるし。自分の強さなのに困る時もある。全部出してやることもできるんでしょうけど、俺はそれをプロレスでやりたくないなっていうのもあるし。だから難しい。

─MMAをバックボーンに持ってる選手がプロレスのリングに上がる場合、MMAをベースにしながらプロレスにアジャストするというスタイルが多いじゃないですか。でも憂流迦さんは、そもそもプロレスファンだったという点が大きく違うと思うんです。

そこは、めちゃくちゃ自分の中でも衝突して。格闘技の俺をバンと出して「俺、強い」ってやりたいんだったら格闘技をやったらいいじゃないですか。でもそんなのプロレスラーってつまらないなと思うし。

─そこですよね。

プロレスってめちゃくちゃ面白いんですよ、今やってて、あらためて強く思います。プロレスでしかできないことって絶対にあるし、自分にしかできないことも絶対ある。だからそんなすぐに答えは見つからないだろうと思いながら。悩むことが大事なんじゃないですかね。

Photo by Masato Yokoyama

瞬間火力から余韻へ。プロレスという「曲」の魅力

─プロレスだからこそできることって、言語化できますか。

言語化か……。格闘技って「花火」みたいなイメージがすごく強いんですけど、プロレスって「曲」みたいなイメージなんですよ。

─イントロから始まり。

そう。イントロが始まって、盛り上がるサビがあって、最後に余韻まで残る音楽があって。そういうイメージがあるかもしれないです。格闘技は瞬間火力がすごくて、その瞬間にみんな熱狂する。でも、プロレスは最後まで余韻が残るんですよね。試合が終わった後も。ひとつの大会がアルバムで、曲が変わっていって、繋いでいく。一つのパッケージみたいなイメージです。

─選手のスタイルでいろんなスタイルがありますしね。パンキッシュで刹那的なスタイルの選手もいれば、ジャズのように試合を組み立てる選手もいる。

こいつら噛み合わないだろうという選手同士が意外と噛み合って、面白い曲ができたりとか、そんなイメージが強いですね。格闘技は本当に瞬間火力のために、煽りVからドキドキしてバーン!と弾ける。プロレスは最初から最後まで、余韻までずっと楽しめる。だからそこに没頭できるように自分も入らなきゃダメですからね。難しいですよね。

─全然違う種類の快楽ですよね。

幅で言ったらプロレスのほうが広いかなという気はしますね。

─現時点で、憂流迦さんはプロレスでどんな曲を鳴らしたいと思ってますか?

僕はクラシックが好きなんで、クラシックなプロレスがいいかなと思います。今っぽい曲のように、いきなり歌から始まるんじゃなくて、やっぱり長いイントロがあるのが好きかもしれないですね。

─もともと音楽としてもクラシックが好きなんですか?

ピアノは習ってましたけど、クラシックが好きになったのは大人になってからです。ピアノの音がめちゃくちゃ好きなんだなと思って。クラシックのコンサートに行くわけじゃないけど、ピアノの旋律とか音色が好きで、一人の時間に聴きます。落ち着きますね。プロレスって間が大事になってくるじゃないですか。格闘技って隙間を埋めていく競技ですけど、プロレスって逆に隙間を開けていく競技だと思うんです。そこをもっと魅せられるし、表現できる気がします。

─観客も行間を読むし、終わった後の余韻から何を感じられるか、想像力の勝負を選手と観客がしている。勝敗は試合だからつくんだけど、その向こう側の方がもっと大切なのがプロレスというか。

本当に、それも含めて勝負ですよね。だから、悩みますよね。そういう意味でも、2025年元日の中邑真輔戦の前が一番苦しかったかもしれないですね。

─試合前がキツかった?

試合前が一番キツかったかもしれない。中邑真輔からの投げかけを考えすぎちゃって(苦笑)。

─中邑選手は哲学的な問いかけをしてきますよね。

それもあの人のプロレスですもんね。

─その謎かけに対してどういうアティチュードを持って答えるかっていう。

本当に。そういうのもプロレスならではというか。

中邑真輔の「いつやるの?」、そしてタイムカプセル

─そもそも憂流迦さんが「プロレスラーになる」というスイッチが入ったのは、2023年元日の武道館、中邑真輔対グレート・ムタだった。あの試合こそまさにプロレスの不可思議が詰まってますよね。

本当に震えましたね。「何なんだろう、これは!?」って。

─退場の時、中邑真輔がムタを介抱するように退場していく、あのエンディング。そして、その後の余裕も素晴らしい。

あれはすごいですね。ライブではあれ以上の試合にはまだ出会ってないかもしれない。客席で観てたからなおさらかもしれないですね。

─あの時点では、このままMMAの道をこのまま突き進むか、プロレスラーという長年の夢を叶える時期が来てるんじゃないかっていう、半々ぐらいの気持ちだったんですか?

あの時は本当にそんな感じで。それまではRIZINさんで試合をしてたので、「次の相手は誰だろうな?」って思ってたんですよ。でも、中邑真輔とムタの試合を観て、「すごい! こんな試合が作れるんだ!」って食らったんです。バックステージに行きたかったんですけど、行けなくて。どうしようと思ってたら、すごくひさしぶりに会った知人がいて、「裏に来る?」ってなって。「え、マジですか?」って裏に行ったら、中邑真輔もいて。握手して「真輔さん、めっちゃ良かった」って言ったら、「お前はいつやるの?」って言われて。「あ、俺はプロレスをやるんだろうな」と思ったんです、そこで。

─すごい話。あの時、バックステージに行ってなかったら……。

プロレス、やってないかもしれない。

─人生の不思議ですね。

やっぱり運命って降りてくるから。しかもその年の秋に、同級生に連絡して小学生の時に埋めたタイムカプセルを開けに行ったんです。開けたら「プロレスラーになれてますか?」って書かれていて。武藤敬司がめっちゃ好きだったんですけど、武藤さんはタイムカプセルに書かれた年(2023年)に引退してるんですよ。「やば! 何これ!?」ってなって。

─出来すぎてますね。

そう、出来すぎていて。そこから翌年プロレスデビューして。その次の年の元日に中邑真輔と戦うっていう。「いつやるの?」って言ってた人に、ボッコボコにされて(苦笑)。

─中邑戦以降、憂流迦選手がちょっと迷路に入っちゃったのかなという印象があって。あの試合で食らったものも相当大きかったのかなと。

食らいましたね。ムタと中邑真輔の試合をライブで観たじゃないですか。ムタも中邑真輔もアメリカで活躍したバックグラウンドを持っていて。その匂いをどこかで嗅いでるんですよね。あのあたりから僕はアメリカでやってみたいって思い始めたんです。2025年の元日に中邑真輔戦があって、2026年の1月にアメリカ行きが決まった。中邑真輔にボッコボコにされて、自分でも「腐ったな」って思ったんだけど、この1年それでもへこたれずに、うまくいかないことが多々ありつつも、試合経験をたくさん積んで、プロレスラーになれてきた感覚はあって。

─中邑選手とはかなり前から面識があるんですよね?

ありますね。僕が格闘技をやってた時に中邑真輔も和術慧舟會の系列で練習をしていたので、そこでご一緒させてもらって。ニューヨークに住んでる時も一緒に練習したりしましたね。

─何年ぐらいの話ですか?

2017、18年とかかな? 「練習でムエタイやりたい」って言われて、一緒に練習してすごく疲れてました。追い込まれて。

─デカいですもんね。

デカかったですけど、今の方がデカい感じがするんですよね。アメリカでは日本以上にすごいスーパースターだし。みんな知ってるんですよ、「シンスケ! シンスケ!」って。「すごっ!」って思いました。

─中邑選手もMMAの経験があるからこそ、憂流迦さんへのリスペクトがあった上で「そうか、こっちの世界に来るんだな」っていう謎かけをしていたと思うんですけど。一流のプロレスラーとして、エンターテイナーとして、哲学者として。

どうなんですかね?

─中邑選手の話はなかなかしてくれないですね(笑)。

好きですよ。WWEのシンスケ・ナカムラも中邑真輔も好きですよ、どっちも。

─なかなか語るのが難しい人ではある?

う〜ん、強い人の特徴を兼ね備えてるなと思います。勝手だなとも思いますけど(笑)。

─自由であることの強さを体現してますね。

やっぱりね、強い人の特徴はそうですよね。それは素敵なことだと思います。プロレスラーとしてもかなり多くのことをもらいました。

─中邑真輔からもらったものを、言語化できる部分はありますか?

難しいですね、言語化するのは。でも、自分が持ってたプロレスというものと、中邑真輔に突きつけられたプロレスというものは違いましたね。

─そこ、詳しく聞きたいです(笑)。

中邑真輔の話は、もういいんじゃないですか(笑)。

─(笑)。 でも、中邑真輔戦まで憂流迦さんが1年間かけて積み上げてきたプロレス観はもちろんあったわけですよね。

ひよっこなりのね(笑)。でも、本当にアメリカというキーワードをもらったのは本当に大きいです。

─MMAでアメリカにいた時は、プロレス観戦はしなかった?

しなかったですね。あの時はUFCしか観てなかったです。時間をそっちにずっと使ってたんで。逆にプロレスに来てからは、MMAは全然観てないですね。

─気にならない?

気にならなくなりましたね。競技としては面白いと思いますよ。RIZINに知り合いや後輩が出てたりすると試合は観ますけど、前みたいに分析したりとかはしないです。

─「自分だったらこう動くな」とかもない?

ないです。「強い! すごい! 面白い!」で終わりです(笑)。

─そうなれるんですね。

なりますね。逆にプロレスは分析目線で観るようになりました。

─それが憂流迦さんの生き方なんでしょうね。目の前のことに集中する。

そうなんだよな。不器用なのかもしれない。

Photo by Masato Yokoyama

プロレスラーとして、アメリカで「正当な評価」を

─今はあらゆるプロレス団体の試合を観てますか?

昔のプロレスのほうが見ますね。今のプロレスも観ますけど、昔の方が圧倒的に多いです。WCW時代のグレート・ムタとか。惹かれるものがありますね。動きも見せ方も。昔のAJスタイルズも刺激になります。動きがヤバいですからね。そこで思ったのは、今のトップレスラーはみんなちゃんとグッドマッチをやってきてるんですよね。自分もそういう経験していかないといけないんだろうなとも思うし、たくさん失敗しながらトライしていったほうが面白いのかなと思います。

─ブリティッシュスタイルということで言えば、去年、NOAHに来日参戦したNXTのチャーリー・デンプシーも素晴らしいですよね。清宮海斗選手とのシングルも名勝負でした。

清宮もセンスが抜群ですからね。あいつ、天才だと思いますよ。この業界に来て一番初めに食らいましたね。

─OZAWA選手というダークヒーローが出てきたからこそ、清宮さんの実の部分にもスポットが当たるようになったとも思います。

いいことだと思います。同業者からしたら去年のMVPは清宮でしょう。リズム、表現、間の取り方。そして、受けが何よりすごい。小川良成さんの影響でしょうね。

─憂流迦さんが道場で小川さんにレクチャーを受けることもあるんですか?

あります。でも、何よりあの人は人間的に好きですね。今、カッコつけられる人って少ないじゃないですか。あの人はカッコつけられる。カッコつけられる男が、カッコいいなと思うんですよ。10代の頃によくお世話になった静岡の道場の師匠がいるんですけど、小川さんはその師匠に似てるんです。大人になって、自分の信念とか貫く軸をしっかり持っていて、NOにはNOと言えるし、尊敬できる先輩として、大人として、俺はそういう人を慕いたいですね。

─憂流迦さんが逆に道場でMMAの技術をレクチャーすることはないんですか?

レクチャーはしないですね。極め合いスパーを1回やったりしましたけど(笑)。

─それは隠し持っておくナイフとしてプロレスラーに必要なものだと思いますか?

絶対に必要だと思いますよ。食らわされたら食らわすでしょ(笑)。

─今日一番怖い顔をしてます(笑)。

それは持ってないとダメですよ(笑)。プロレスでも、バーン!って張られたら、「やってやる!」という感情を出せばいいと思う。だって、プロレスは生モノじゃないですか。その感情も楽しんだほうがいいんじゃないですかね。

─そういう意味でもスイッチが入ったらやりかねないなという緊張感を持っていたほうがいい、と。

お互いその方が怪我しないしね。緊張感は絶対あったほうがいいですよね。それがないと危ないでしょ。間違えたらマジで死んじゃいますよ。

─そういう感覚が根底にあって、アメリカのスタイルも学ぶ。その結果、どんなプロレスラー、佐々木憂流迦像ができるのか楽しみです。

自分も楽しみです。12年周期で来てるんですよ、自分って。今36歳なんですけど、UFCと契約したのが24歳。12歳の時にプロレスを知ったので。

─アメリカで一番つかみたいと思ってることは何ですか?

正当な評価ですね。プロレスラーとして「こいつは質の高いレスラーだ」と思われたい。UFCにいた時はそう思われたから。世界で正当な評価を受けたいですね。プロレスラーの自分を知らない土地で。お客さんにも、同業者にも。

─ロッカールームでのリスペクトも必要ですよね。

めちゃくちゃ大事だと思います。

─新日本プロレスではウルフ・アロン選手がデビューしました。オリンピックの金メダリストが、プロレスラーになりたいという能動的な意志を持ってデビューするという、憂流迦選手と同じく珍しいパターンだと思います。シンパシーみたいなものはありますか?

ちょっとは感じますね。彼がプロレスラーとして何を見つけるのかは気になる。それぐらいプロレスとこれから向き合うと思うので。

─将来、2人が対峙する交差点があったら面白いだろうなと思います。

やりたいですね。アメリカから帰ってきたら、いつかぜひ戦ってみたいです。

Photo by Masato Yokoyama

佐々木憂流迦プロフィール

https://www.noah.co.jp/profile/413/