反町隆史、大森南朋、津田健次郎のトリプル主演で、“こんなはずじゃなかった”大人たちの再会と再生を描いた「1988青春回収ヒューマンコメディ」のフジテレビ系ドラマ『ラムネモンキー』(毎週水曜22:00~ ※TVer、FODで配信/FODで次話先行配信)の第3話が、28日に放送された。

今回は、体罰教師のその後が描かれたが、80年代の学校現場における体罰の実態はどのようなものだったのか。その背景と物語からひも解いていく。

  • (左から)津田健次郎、大森南朋、反町隆史 (C)フジテレビ

    (左から)津田健次郎、大森南朋、反町隆史 (C)フジテレビ

【第3話あらすじ】震える手に自ら叩かれにいく…

吉井雄太(反町)、藤巻肇(大森)、菊原紀介(津田)の3人は、中学時代の同級生・大葉灯里(泉有乃)から重要な証言を得る。中学生の頃、帰宅中に女性の悲鳴が聞こえ、振り向くとマチルダこと宮下未散(木竜麻生)がうずくまっていた。マチルダの近くにいた男は灯里に気づき、足早に立ち去っていったという。3人は鶴見巡査(濱尾ノリタカ)にその話を伝えるが、巡査は困惑するばかり。

一方、映画監督の肇は仕事がなく、借金を抱えていた。かつてのツテを頼ろうとするが全く相手にされず…。流行要素を盛り込んだ企画書でなんとか仕事につなげようと必死だ。

西野白馬(福本莉子)が働くカフェで、3人は映画を撮った経緯を思い出す。ビデオカメラを手に入れた肇は映画部を作り、カンフー映画『ドランクモンキー酔拳』の脚本を書いたのだった。脚本を読んだ雄太も紀介も気が進まないが、顧問のマチルダは映画を作ることと、お互いを役名である「ユン」「チェン」「キンポー」と呼び合うことを指示する。その日から、3人はカンフー映画に打ち込んでいく。

ある日のこと。肇はとある家の庭先にあったチェーンソーから体育教師・江藤(須田邦裕)の恐ろしい記憶を思い出す。規律を重んじ、体罰も辞さない江藤は「ジェイソン」と呼ばれており、とりわけ口が達者な肇を目の敵にしていた。その江藤がマチルダをチェーンソーで殺した光景が、肇の脳裏に蘇った…。

だが、その江藤の言葉「学校というのはお前ら凡人が自分を天才だと思わせないようにある」に、すっかり人生につまずいた肇は「正しかったのかもしれない」とひとりごちる。これを聞いていた「ガンダーラ喫茶」の店員・白馬は、3人の元クラスメートの石井洋子(島崎和歌子)から聞いたであろう、江藤の娘の電話番号と、江藤が体罰で解雇された記事を3人に見せる。

その電話を頼りに、江藤が入院している病院へ向かう3人。江藤は死の淵をさまよっており、当時のジェイソンのように怖い面影はなかった。だが3人を見るなり「言った通り、ろくな大人にならなかったな」とか細い声で叱る。肇は反発するが、江藤が再び手を上げて体罰をしようとする光景に、心が動き、その震える手に自ら叩かれにいく。雄太と紀介も続き、「喝」を入れられたような、複雑な想いに胸を震わせる。

その数日後、江藤は死亡。娘からは「最後に父を先生に戻してくれてありがとうございます」という言葉と、実は当時、マチルダにつきまとっていた男がいたという情報を得る。

複雑な事情がつまった感動を形にできる3人

今回は、ついに今作の奇妙なタイトル『ラムネモンキー』のタイトル回収が行われた。中学時代の3人が作りたかった映画は『ドランクモンキー酔拳』。そのカンフーの練習を公演でしていた雄太だが、「近所で中学生がお酒を飲んでいる」という通報が入り、江藤にこっぴどく叱られる。

そこで出た別の案が、お酒に酔って闘う「酔拳」ではなく、ラムネでパワーアップする「酔拳」。ゆえに、「ドランク」モンキーではなく、「ラムネ」モンキーとなったのだ。古沢氏を取材すると、「おいおい、タイトルの意味が分かります」と語り、こちらが「例えば、“ラムネ”は80年代などの青春を表し、そこで中学生という、わちゃわちゃした中二病たっぷりのお猿さんだった頃という意味で“モンキー”という印象もありました」と聞いてみると、「それでも、いいかもしれませんね」と意味深な笑顔。まだまだ、完全なるタイトル回収ではない可能性がある。

それと第3話は、トリプル主演が反町、大森、津田という年齢と経験を重ねた演技派俳優たちだったことで、本作を底上げしているとも言える。

病院で、江藤に「ろくな大人にならなかった」と叱られる3人は、それぞれ人生に行き詰まっている。せっかく会いに行ったのに、久しぶりなのに、喜んでくれると思ったのに、当時を謝りたいと思ったのに、中学時代当時と変わらず、モラハラじみた言葉を吐かれる。

だがその姿は、中学時代に感じていたよりも小さく見え、さらに病で弱りきり、あれから長い時間が過ぎ去ったという実感とともに、自らの人生をそれぞれ回顧。相当に様々な感情が入り混じったシーンであったにもかかわらず、3人それぞれの心情を見事に表現していた。

ゆえに、3人があえて、ほぼ動かなくなった江藤の手に、自ら叩かれに顔を寄せていく場面での表情、仕草、それだけではなく、醸し出される哀愁や、切なさが伝わり、筆者はそのシーンに涙すらした。…ただの感動ではない。なぜなら江藤の言葉には棘(とげ)がある。無茶苦茶である。現代人としてはあり得ない。その理不尽さで気分を害しながらも、この胸に去来した複雑な感情は何だろう──。

これは、それぞれ自身の人生を積み上げてきた、反町、大森、津田だからこそ出せた感情であったろう。古沢氏による、このシンプルではない複雑な事情がつまった感動を形にできる俳優は、そう多くはいないのではないだろうか。