
スバッロという名をご存じだろうか。個人的には、ジュネーヴで開かれていたジュネーヴショーの常連で、特異な車を作るコーチビルダー的な認識で、長い間いた。もっとも、それ以前の1970年代中盤には、日本にも導入されたスバッロ328があり、その名は知ってはいた。
【画像】極端なウェッジシェイプの形状がユニークな、空力を追求したスバッロ・チャレンジ(写真9点)
スバッロは、ランチェスコ・ゼフェリーノ・スバッロというイタリア生まれの人で、その後スイスに移り住み、スイスでコーチビルダーの事業を始めた人物である。通常は、フランコ・スバッロの名で通っている。生まれは1939年2月27日だから、御歳86歳。今も存命のはずである。スイスに移り住んで出会ったのが、ジョルジョ・フィリピネッティ、あのスクーデリア・フィリピネッティのボスであった。スバッロはそこでチームのメカニックとして働き、やがてそこで培った技術をもとに、自分で車両の改造を始めた。最初に作ったのはVWカルマンギアの改造車だったという。
1968年になると自身に会社を立ち上げ、そこで顧客に対して車両の改造から、オリジナルの車を作り出すビジネスを開始した。また、レプリカ車の制作も同時に開始し、その一つが、BMW328のレプリカであるスバッロ328だったのである。これが大ヒット、初期モデルは2002用のエンジンを搭載していたが、やがて5シリーズ用の2.8リッター6気筒を搭載するなど、多くのバリエーションが作られた。こうして1973年に初めてジュネーヴショーに自らのブースを持ち、車両のディスプレイを始めるのである。初めてのモデルはSV1と呼ばれ、ポルシェやVWのコンポーネンツを使って作り上げたモデルだったという。以来ジュネーヴショーの常連として、スバッロは参画し続けてきたのだが、単に車を作り上げるというだけではなく、1992年には学生たちが自動車のデザインや技術を身につけるための学校、エスペラ・スバッロを設立し、ジュネーヴショーに出品するユニークなコンセプトモデルの制作にあたらせている。
スバッロ・チャレンジと名付けられたモデルは、1985年のジュネーヴショーに出品されたモデルである。空力の追求がこの車のメインテーマであり、極端なウェッジシェイプのスタイルは、賛否もあろうが、とりあえずCD値は当時としては驚異的だった0.26を記録している。まだボディ下面を整流するという概念が無かった時代だけに、エクステリアが異様なスタイルとなっていたのだろう。
写真ではよくわからないが、フロントウィンドウは下方向にスライドするそうだ。また、ワイパーはプロペラよろしく回転して機能するという。フロントウィンドウ背後には、2枚の格納式スポイラーが装備されて、エアブレーキの役割を果たす。ルームミラーは存在せず(あっても役目は果たさない)、代わりにリアフェンダーに埋め込んだカメラによって、後方視界を確保する。現代車では、サイドミラーをカメラに置き換えるケースがあるが、チャレンジのシステムは、いわばその走りといっても過言ではない。ディスプレイは左右ドアに仕込まれていて、単にリアビューの映像を映すだけでなく、車室内に装備されたビデオデッキから、映画を映し出すことも出来た。1985年当時は、映画館以外で映画を見る唯一のシステムだったと解説されている。
エクステリアに比べると、インテリアのデザインはいたってコンベンショナルだ。ラグジャリーの演出もコンベンショナルそのもので、コノリーレザーのシートに、ウッドパネルの装飾が施されている。シートはスライドせずに固定式で、オーダーしたユーザーに合わせて設置されるという。
パワーユニットはメルセデス500用の5リッターV8で、これにIHI製のツインターボを備え、最高出力は350psだった。トランスミッションは何とジープ・チェロキーから流用されたオートマチックを装備していた。そして驚くべきは、4WDシステムを持っていたことである。果たしてどこのシステムが流用されていたかは不明だが、当時としてはアウディに次ぐものである。このチャレンジは、のちに登場するチャレンジ2、あるいはチャレンジ3が登場したことで、チャレンジ1と呼ばれ、作られたのはこの1台のみである。炎の手前に車を置いたコマーシャル用の写真がそれだが、これをオーダーしたのは、ロッソビアンコ博物館のピーター・カウスであった。
翌年、すなわち1986年にはジュネーヴショーで、チャレンジ2が公表される。スタイルはほぼ似たようなものだが、ドライバーズシート背後に、さらに2シーターを備えた2+2とされていた。また、エンジンはメルセデスからポルシェのフラット6、3リッターターボに変更され、後輪のみを駆動するRWDに代わっていた。そしてさらにその翌年、1987年にはチャンレンジ3に進化して、エンジンも同じポルシェ用の3.3リッターフラット6に替えられた。
スバッロでは全部で10台のチャレンジを制作する予定だったという。しかし実際に生産された台数は、息子のファビアン・スバッロによれば、8台だったという。しかも何台のチャンレンジ2、あるはチャレンジ3が生産されたかについても明らかにされていないそうだ。そしてこのうちの2台、赤のエクステリアを持つモデルとグレーのエクステリアを持つモデルは、日本のエンスージアストに納車されたと記述されている。
チャンレンジ1はロッソビアンコ博物館が閉館された後、オランダのルーメン博物館に買い取られ、現在もそこに展示されているようである。
文:中村孝仁 写真:T. Etoh