レディー・ガガ独占インタビュー どん底からの生還、真実の愛、最高傑作の制作秘話

今年1月の来日ドームツアーが6公演すべて完売となったレディー・ガガ(Lady Gaga)。2025年はヘッドライナーを務めたコーチェラで歴史的名演を成し遂げ、最新アルバム『MAYHEM』に収録された「Abracadabra」はローリングストーン誌が選ぶ年間ベストソングの第1位に選出された。しかし、ここに至るまでの道のりは順風満帆とは程遠いものだったという。精神崩壊、長い迷走、世間から浴びせられたバッシング、そして自分自身との終わりのない闘い──ガガが葛藤の先に掴んだものとは何だったのか。現在地を赤裸々に語った独占インタビューをお届けする。

By Brian Hiatt

Visuals by GREG SWALES

「ガガらしさ」を取り戻すまで

現在敢行中のツアーで、レディー・ガガとしてステージに姿を現すその瞬間──およそ14フィート(約4メートル)もの真紅のドレスの頂に乗ったステファニー・ジャーマノッタは、毎晩のようにパニックに襲われるという。オペラハウスを模したステージセットの中央で、二重の幕が左右に開くと、堂々としていながら突拍子もない、絵本の赤い子犬クリフォード級に巨大なクリノリンと、その中にすっぽりと収まった小柄な彼女の姿があらわになる。かつてリトル・モンスターだった、今は大人になったおよそ2万人の観客が、自分たちの人生で一番必要なときに「ありのままの自分を愛せばいい」と「Born This Way」で教えてくれた道標、ガガに向かって叫ぶ。その言葉を、彼ら彼女らは今も必要としている。

2025年9月23日、ロサンゼルスにて撮影されたレディー・ガガ

観客のはるか上方にそびえ立つその場所で、彼女はふらつき、激しく脈打つ心臓の鼓動を嫌でも意識してしまう。ドレスが前へと滑るように動き、バンドがその夜最初のコードを轟かせると、かつては「生きる理由」そのもののように感じていたアドレナリンの奔流に飲み込まれまいと、彼女は身構える。「ステージに立っていないと、私は死んだように感じるの」——14年前、つまり彼女が初めてセラピストにかかるよりも前、何度もの精神的危機を迎える前の取材で、彼女は筆者にそう語っていた。「それが健康的かどうかなんて……私にはどうでもよかった」。当時の彼女は眠らず、食事もロクにせず、コーヒーと音楽だけで生きていると豪語していた。気まぐれに付き合っていたのは、ぶっきらぼうなメタル好きのバーテンダーで、彼女はその男を自分のミューズとみなしていた。周囲の誰もが、彼女をガガと呼んでいた。

彼女は当時、ちょうど2作目のアルバム『Born This Way』を完成させようとしていた。この作品はのちに1,400万枚を売り上げることになる。当時の彼女のキャリアは、この先も一直線に上昇していくように見えていた。しかし、鋭利で不安定な3作目『ARTPOP』は、ファンからは愛される作品となったが、批評筋には冷たくあしらわれ、売り上げは鈍化し、ガガはキャリア初の激しい逆風に直面する。彼女はその頃すでに、心のバランスを崩しやすい状態にあった。彼女は19歳のときに音楽プロデューサーからレイプされたというトラウマを長年押し込めてきたが、『ARTPOP』時代にはそれが表面化しつつあったのだ。

それでも彼女は逃げるように前進し続け、その過程で自身最大級のヒット曲をいくつも生み出した。親友トニー・ベネットとともにジャズ・アルバムを制作し、ビリー・ストレイホーン作曲で、フランク・シナトラですら難しいとした「Lush Life」を見事に歌い上げた。映画界にも進出し、音楽業界での多層的なキャラクターとは対照的に、感情をむき出しにした演技でスターの地位を確立していく。『アリー/スター誕生』の(素晴らしい)サウンドトラックを作り上げ、さらにアメリカーナ色の濃い実験的なアルバム『Joanne』にも挑戦──いずれも、いわゆるレディー・ガガらしいポップ・アルバムではなかった。

スーパーボウルのハーフタイムショーに出演し、ゴールデングローブ賞やオスカーを受賞する一方で、彼女の心の内側は崩れ始めていた。「『アリー/スター誕生』の撮影は、リチウムを服用しながらやっていたの」と、彼女は何でもないように明かす。撮影直後の『Joanne』ワールドツアーでは、彼女自身が「精神崩壊」と表現する状態に陥った。

「ある日、妹が私にこう言ったの。『お姉ちゃんじゃなくなっちゃったみたい』って」と彼女は語る。「それでツアーを中止したの。精神科の治療のために病院に行った日もあった。休まなきゃいけなかったの。何もできなかった……完全に壊れてしまった。本当に怖かった。良くなるなんて思えない時期があった……今も生きていることが本当にラッキーだと思う。大げさに聞こえるかもしれないけれど、そういうときにどう転ぶかは誰だってわかるでしょう?」。

彼女は長い時間をかけ、さらにフィアンセであるマイケル・ポランスキーの大きな支えによって、再び立ち上がることができた。ポランスキーは、優しくて子犬のような瞳をしたハーバード出身の起業家で、彼女のことをステファニー以外の名前で呼んだことがないという。「ありのままの私を大切にしてくれる人を愛することが、決定的な転機になった」と彼女は語る。しかしそれは同時に、「そもそも”本当の自分”とは誰なのか」を見つけなければならなかったことも意味している。「誰とも”自分らしく”接する方法を知らないのに、どうやって誰かと”自分らしく”いることを学べるの?」。

彼女はその答えをつかみ、今では自分のことを「健康で、バラバラだった自分がひとつに戻ったように」感じているという。今年3月にはキャリア最高傑作とも評されるアルバム『MAYHEM』をリリースした。長年距離を置いてきた”ガガらしさ(Gagatude)”を、あらゆる多面性ごと完全に取り戻した作品だ。同作はグラミー賞で最優秀アルバム賞を含む7部門にノミネートされている。「失ってしまったすべてを取り戻すために、何カ月も費やしたの」と彼女は話す。「『MAYHEM』(混沌)というタイトルになった理由はそこにある。だって、それらを取り戻すまでの道のりは、本当にクレイジーだったから」。

同作に伴うツアー「The MAYHEM Ball」は、彼女のキャリアでも屈指の壮大なスペクタクルだ。にもかかわらず初日の公演から、彼女の変化は疑いようもなく証明されていた。「私はもうアドレナリン中毒じゃない」と彼女は言う。「昔はあの感覚が大好きだったけど」。

今の彼女は、満員のアリーナで巨大なガガ的コスチュームに押し込まれたまま台車に乗って登場すれば、健全な人なら誰でも覚えるであろう当たり前の反応を示すようになった。「ファンの姿が一面に広がるの」と、彼女は目を大きく見開いて語る。「私は大きなドレスを着ていて、音楽は耳をつんざくほど大音量で、とてもドラマチック……最初の90秒はパニックにならないよう、自分に言い聞かせ続けなきゃいけないの」。ポランスキーは彼女のマイクのフィードをモニターしており、彼女の荒い呼吸が聞こえてくることもあるという。

その感覚は、最初の曲が終わるまで続く。「『Bloody Mary』の間は、ちょっと動揺しているの」と彼女は言う。だがそのあとに続くのは、今年を象徴するヒット曲「Abracadabra」。「Bad Romance」に匹敵するか、むしろそれ以上にガガらしさが詰まった、これまでで最もガガ的な楽曲と言っていいかもしれない。圧倒的な高揚感を持つコーラスでは、マザー・モンスターが本領を発揮した、意味不明で最高なガガ語が炸裂する──「Abracadabra, morta-ooh-ga-ga/Abracadabra, abra-ooh-na-na!」。

なぜか、「Abracadabra」の振り付けに入ると毎回、彼女の心拍は落ち着き、そして自分が何者であるかを思い出すという。これまでのツアーで、そして今回のツアーでも重ねてきたすべての練習が一気に作用し始めるのだ。「”自分であること”のリハーサルが私を救ってくれる」と彼女は言う。「体の細胞ひとつひとつが『あなたは何をすべきか知ってるでしょう』って言ってくるの」。そのあたりで彼女は観客を見渡し、おなじみの掛け声を叫ぶ——「Put your fucking paws up!」(みんな手を上げろ!)。もちろん、ステファニー。

「彼女は”ガガ”と”ステファニー”のどちらか片方じゃないんです」とポランスキーは語る。「その両方なんですよ。そして、みんなが思っている以上に、その二つは密接に結びついているんです」。

彼女自身は、少し違った言い方をする。「レディー・ガガは、レディー・ガガを作った人なの」——ややこしい言い回しに自分で小さく笑いながら彼女は言う。「なんだろう、何事に対しても前よりずっとリラックスできるようになった気がする。『私はレディー・ガガなんだから大丈夫』みたいな……”ガガとはこうあるべき”なんて決めつける必要はない。昔の私は、自分にそう言い聞かせていたと思う。今はもう、呼び名がどうであれ気にしない。私は私なんだから」。

三人のレディー・ガガ

とはいえ、シンプルなだけでは済まされないこともある。7月初旬のある火曜日の午後、ツアー初日まで残り8日。空っぽのラスベガスのアリーナに設置されたオペラハウスの中を、3人のレディー・ガガが歩き回っている。ひとりは巨大な赤いドレスに乗り、静止したまま出番を待つガガ。もう一人はレオタード姿で、観客席に向かって伸びる花道のそばで振り付けを試しているガガ。そして3人目はアリーナの床に立ち、暗がりからその二人を見つめているガガだ。

赤いドレスに乗るガガの正体は、ツアーダンサーの一人、ジェシカ・トアトア。小柄なブロンドで、どこか本物のガガにも似ている。ショーの中で展開されるサイコドラマでは、ガガのダークサイドである〈ミストレス・オブ・メイヘム〉を演じている。なお、ステージの主役であるガガは、ときにその対になる”光”の側面──すなわちメイヘムに追われる存在を体現する。彼女はそのキャラクターを〈エセリアル・ガガ〉と呼んでいる。レオタード姿のガガは、別のツアーダンサーであるチャイナ・テイラー。彼女はリハーサル中、本物のガガがオフステージから”自分”を観察できるように、ガガ役を代わりに演じている(「このショーは、客席に座る人々によってつくられるの」とガガは言う)。

「ステージにもっとスモークを焚いて」薄暗がりの中、PA越しにマイクへ向かって話すのは本物のガガだ。メイクは最小限、黒一色の衣装に身を包み、ステージクルーのような格好をしている。ニット帽の下からは金髪のポニーテールがのぞき、唯一の”らしさ”といえば破れたフィッシュネットのタイツだけ。これまで目にしてきた中でも、最も”ステファニー”に近い姿だ。そしてツアーの観客たちも、毎公演の終盤、衣装を脱ぎ、メイクを落とした彼女が再びステージに現れる瞬間に、同じ姿を見ることになる。ポランスキーはこの状態の彼女を「アーティスト」と呼んでいる。

この日、彼女はときおりフィアンセであるポランスキーに意見を求めていた。ショーツにTシャツ、ランニングシューズというラフな黒づくめの装いで、穏やかに佇む彼は、いまや彼女にとって欠かせない創作パートナーだ。今回のツアーでも、彼はガガとともに、クリエイティブ・ディレクター兼エグゼクティブ・プロデューサーとしてクレジットされている。

空中を漂うステージスモークはいっそう濃さを増し、ストロボライトが深紅に染め上げる。禍々しいシンセのコードが鳴り響く。完成されたショー以上に、この奇妙で不可思議な”マルチ・ガガ”の光景は、彼女の潜在意識を覗き込んでいるかのような感覚を呼び起こす。「その見方は間違っていないと思う」と、彼女は後に語っている。「これはゴシックな夢。私が人生を通してずっと向き合ってきた”内なるロマンス”と、完全につながっている」。

Outfit: Saint Laurent by Anthony Vaccarello

ガガはいま、この日の課題──自分の”分身”たちをステージに集めた理由そのもの──に全力で向き合っている。彼女は急きょ、「Shallow」を大胆に作り替えた新バージョンをショーに組み込むことにしたのだ。演出は、アンドリュー・ロイド・ウェバー『オペラ座の怪人』へのオマージュとなっている。「(花道先の)サブステージへどう移動させるかが、いつも悩みの種なんです」とポランスキーは言う。そこでチームが斬新な解決策をひねり出した──ゴンドラだ。あとはクルーが実際に製作し、キャットウォークを横切って反対側にあるピアノの前まで、どうやって運ぶかを考えるだけだ(最終的に、ゴンドラに車輪を付け、ダンサーたちが引いて移動させるというシンプルな方法に落ち着いた)。

「ボートに乗って『Shallow』を歌うなんて最高でしょ」と、ガガは嬉しそうに語る。「ちょっと馬鹿げてる! でも、こう思ったの——これは完璧なチャレンジだ。だって、大失敗する可能性もあるんだから”って」。さらに彼女は、「Shallow」を今回初めて”自分の美学の宇宙”に引き寄せたいと考えたという。スタジオ版のアレンジは映画(『アリー/スター誕生』)の文脈に強く結びついており、彼女自身はそれを「自分のシグネチャー・スタイルではない」と感じていた。そんな折、共作者のひとりであるマーク・ロンソンが、最終版では使われなかったエレクトロニックなドラム・ループを制作していたことを思い出した。彼女がテキストを送ると、ロンソンはそれを掘り起こして送り返してくれたという。

この曲はいまや、鼓動のように脈打つシンセ・ベースで幕を開け、ムードもスタイルも一変した。「このアレンジによって浮かび上がってきたのは、アリーとジャクソンの関係が、実はかなり暗いものだったという事実なの」と彼女は語る。「このバージョンでは、”何か本当に恐ろしいことが起きるかもしれない”という予感が漂っている」。

ヘイトに打ちのめされた先で

「こっちへ来て」とガガの声。私たちはコンクリートの回廊を抜け、カーテンで仕切られた絨毯敷きのバックステージに設けられた彼女の”聖域”へと向かう。装飾は最小限だ。ロードケースに収められた大型テレビ、ふたり用にセットされたテーブル、彼女とポランスキーの写真が入った額縁、数冊のコーヒーテーブルブック──『Italian Chic』と『Vanity Fair 100 Years』。私たちはふたつ並んだ柔らかな椅子に腰を下ろす。テーブルのあいだには、火の灯っていない高価なキャンドル──ル・ラボの〈Santal 26〉──が置かれている。これまでの取材では、ガガは椅子に座って内省的に語るインタビューよりも、彼女の日常を追いかける形式のほうがリラックスしている様子だった。だが今回は違う。冒頭から、会話は重たい領域へと踏み込んでいく。彼女は深いところへ潜っていく──その飛び込む瞬間を、見届けることになる。

コンサートに通底するナラティブは、彼女の実人生の旅路を”夢の論理”で再構築したような内容で、ポップ・コンサートの只中にありながら、ガガが本格的なキャラクター造形や即興的な演技を行える場となっている。「アリーナのステージで、こんなふうに”演技”をしたことは、これまで一度もなかった」と彼女は語る。正確に言えば、こんな表現に挑んだアーティストは他に誰もいないだろう。「毎晩、内容が違うのよ」。ある夜の公演後、彼女は涙を流した。その理由を、ポランスキーにはこう説明したという。「『Million Reasons』をメイヘムに向かって歌い終えたあと、彼女──メイヘムが、私を怖がったの」。

彼女は物語をできるだけ簡潔に説明しようとする。「メイヘムは、私がショーを始めるときの姿」と彼女は言う。「ガガとしての私の、いちばん利己的な側面で、正直に言えば、私自身が嫌っている部分でもある。メイヘムは自分を”女王”だと宣言し、よりナイーブで若い自分を深い眠りにつかせるの。彼女を傷つけ、苦しませることで特別な存在になる方法を教え込むために。ところが、エセリアル・ガガはそれを楽しんでしまう。彼女は、そのゴシックな狂気へと素直に身を投じていく。一方のメイヘムは狼狽する。この少女を傷つけ、抑えつけることで高貴な存在へ導くという自身の目論見が、思いどおりに運ばなくなるから」。

もちろん、この物語には明らかに自伝的な要素が潜んでいる。「私が若い頃、どれほど過酷に働かされていたか、みんなはあまり知らないんじゃないかな」とガガは言う。その言葉を聞いて、私は2009年のある出来事を思い出した。深夜を回った時間帯、彼女はよくわからないプロモーション動画のために、立て続けに6曲も歌わされていた。やがて声は完全に出なくなり、彼女は逃げるように部屋を去った──ところがしばらくすると戻ってきて、まるで人間離れした意志の力で、その無意味なパフォーマンスを最後までやり遂げたのだ。その光景を見ながら、私は強い不安を覚えた。物語の中のキャラクターと同じように、ガガ自身もまた、自分に向けられる痛みを抱え込み、受け入れてしまう癖があった。「芸術のために苦しむべきだと信じていた。あまりにも本気で信じていたの。ある意味では誠実で、愛おしい考え方だったのかもしれない。でも、まったく健康的なものじゃなかった」。

『MAYHEM』を制作していた頃、ガガは「自分の中にあるさまざまな側面」が夢に現れたという。インダストリアルな告白調の楽曲「Perfect Celebrity」には〈天井で眠るクローン〉という一節があり、不穏なシングル「Disease」は、まだ名前を与えられていなかった”ガガのダークサイド”の視点から語られていく。〈眠っているあいだも君は苦しんでいる/記憶のすべてに苛まれながら〉と歌われるそのフレーズは、彼女自身の内面をそのまま映し出しているかのようだ。

ガガ自身ははっきりと覚えていなかったが——筆者も当時の取材メモを読み返すまで失念していた——、彼女はすでに2011年の時点で、よく似たビジョンについて語っていた。あの年、マンハッタンを運転手付きの車で移動しながら、彼女はこんな夢の話をしていた。「自分の中に”何か邪悪なもの”が入り込んでいる夢を見たの。目の前には白い壁があって、そのネガティブさや邪悪さを外に出すためには、壁を叩かなきゃいけない。そうすると、魂の中心から”何か”が飛び出していくの。私はそれを追い出そうとしていた……一種のエクソシズム(悪魔祓い)みたいなものね」。

そのエクソシズムは、明らかに当時は成功していなかった。やがて「Disease」のMV制作に至る過程で、メイヘムというキャラクターが姿を現すことになる。「振り付けを考える段階で、”自分自身と戦う”というアイデアを探り始めた」と彼女は言う。「この曲は、あなたを傷つけようとする”誰か”について描いたもの——そして、その”誰か”が実は自分自身である、ということを、とても意図的に表現した曲なの」。

ガガはこれまでもホラー映画的なイメージを扱ってきたが、「Disease」のビデオは、彼女の内奥にある最も暗い思考を符号化したかのような世界観を持ち、いっさいの妥協なく、キャリアにおいて最も重要なアルバムの幕開けを告げる作品となった。MVの冒頭で、彼女はまず”自分自身の死体”として歌い始める。メイヘムが運転する車にはねられた姿で横たわり、そこから映像は、さらに深い悪夢の領域へと沈み込んでいく。

奇妙なことに、そのMVや、そこから今回のツアーが取り込んだテーマ的な要素の数々は、ガガの最新出演映画──昨年10月に公開され、瞬く間に悪名高い大失敗作と見なされた『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』がなければ、生まれていなかった可能性がある。「『ジョーカー』はとにかくネガティブに叩かれまくった」と彼女は言う。「あの頃の私は、芸術的に反抗したい衝動に突き動かされていたんだと思う」。

ホアキン・フェニックスと並んで、悲劇的な妄想に囚われたハーレイ・クインを繊細に演じたガガは、映画において数少ない称賛を集めた存在だった。だが、それ以外のレビューは容赦なく辛辣だった。2019年の陰鬱な『ジョーカー』のファンは、新作での大胆すぎる(というより無謀とも言うべき)トーンの転換に、強い拒否反応を示した。前作がスコセッシ風の都市荒廃ドラマだったのに対し、今作はメンタルヘルスを主題とした超現実的なセミ・ミュージカルであり、しかも途中にはアニメーションパートまである。

数々の経験を重ねてきたガガにとっても、映画への怒涛のヘイトは堪えたのだろうか? 「全然平気だったってことはないかな」。筆者の質問に、彼女は微笑みながらそう答える。「正直に言うと、そのときのことを話すのがちょっと怖いくらい。でも本当のことを言えば、最初にああいう反応が始まったとき、私は笑ってしまったの。だって、あまりにも常軌を逸していったから」。だが、その可笑しさはやがて消えていったという。「時間が経っても、なかなか収まらないものってあるでしょう。そうなると、少しずつきつくなってくる。ただ、それは私がこの作品に、あまりにも多くの自分自身を注ぎ込んだからだと思う」。

つまり「Disease」のMVは、あの時の怒りと敵意に対する回答でもあった。「そのエネルギーを全部あのビデオに注ぎ込んだの」と彼女は言う。「あの時の私は、はっきりとこう思っていた——私がどういう人間か思い知らせてやる、この闘いがどういうものか」。

しかし、その結果生まれた作品は、あまりにも深く自身を切り刻むものとなった。「撮影が終わったあと、私は精神的に少し暗い場所に入り込んでしまった」とガガは語る。「たぶん、自分をちょっと怖がらせてしまったんだと思う……。数週間のあいだ、ずっと心がざわついていて、頭から離れなかった。私は何を言おうとしていたんだろうって考え続けていたの。自分の中にある”ひとつの側面”が、別の”側面”を恐れている——そう感じる瞬間があって……それから私の中には、”まだ傷は癒え切っていない”という感覚が確かにあった」。

4月のコーチェラでのパフォーマンス──事実上、今回のショーの”初稿”となったステージ──を経て、彼女は自分の内面で起きている闘いを、パフォーマンスの中心に据えることにした。「この葛藤を、誰もが理解して、愛せるものにしたいと思ったの」と彼女は言う。「それに私がこれまで作ってきた中で、いちばん暗い内容である必要なんてなかった……『私は暗くなければいけない』っていうのは、メイヘムがそう言ってるんじゃない? 私の中の”何”が、私をもっと強く、尖った存在でいなければと思わせているんだろう?」

「暗さを和らげたとはいえ、自分を心理的に不安定にさせたコンセプトを、ワールドツアーの中心に据え、毎晩のように向き合い続けている」と筆者が指摘すると、彼女は笑った。「今、あなたは私のことを完全に言い当てたうえで、同時に精神分析までしてみせたわね」と彼女は言う。「トラウマ的な体験をすると、それを中心にすべてを回してしまう——私なら、まさにそういうことをやりかねないもの」。けれど彼女は、こうも考えている。「人生のあらゆる領域で、居心地の悪さを感じることは、人をより良くしてくれる。そこを通り抜けることを、自分自身に許してあげればいいのよ」。

Jacket designed by Sam Lewis, made by Seth Pratt. -Headpiece by Philip Treacy. Tights by Falke. Shoes by Vivienne Westwood.

「Disease」のビデオは終盤に向かって、恐怖のレベルがさらに引き上げられる。仮面とボンデージ姿のメイヘムが、大量の黒い胆汁のようなものを吐き出す場面だ。その直後、状況は一変し、エセリアル・ガガがその”怪物”を抱き寄せ、彼女に向かってサビを歌う──〈私にはあなたの病を治すことができる〉(I can cure your disease)。このイメージは、ガガのキャリアにおける決定的な瞬間を参照しているようにも見える。それは、『ARTPOP』への反発がはっきりと可視化された出来事──2014年3月、SXSWで「Swine」を披露した際、パフォーマンスアーティストのミリー・ブラウンが、着色したミルクをガガの身体に嘔吐したあの場面だ。世間の反応は最悪だった。「拒食症を美化している」という批判が巻き起こり、さらには〈ショック狙いのスペクタクルに傾倒しすぎて、音楽そのものが埋もれている〉というイメージが、彼女に強く刻み込まれることになった。

ガガは、「Swine」(〈人間の皮をかぶった豚〉という歌詞)とそのパフォーマンスが、自身の性被害の経験を作品として昇華しようとする試みであり、決して無意味な挑発ではないのだと説明しようとした。だが、その声に耳を傾ける者はほとんどいなかった。そして『ARTPOP』全体に向けられた拒絶は、彼女のキャリアの行方を大きく変えることになる。「ええ、とても大きな影響があったわ」と彼女は言う。「ほかのどんな作品に対する批判よりも、はるかに大きかった。辛かった……。自分の作品に対して、あそこまで大きな批判を受けたのは初めてだったから」。

『MAYHEM』で取り戻したもの

10月初旬、ツアーの合間に訪れた短い休息期間のなかで、ガガは『MAYHEM』が生まれた原点へと戻ってきた。場所はロサンゼルスのThe Villageスタジオ。静かなライブルームで、彼女は黒いレザーチェアに腰を下ろしている。この日の装いは、オーバーサイズの黒いブレザーにSocial DistortionのTシャツ、足元はヒール3インチの膝丈レザーブーツ。風邪気味ではあるものの、瞳は生き生きとしている。ツアーは珍しく彼女の理想どおりに進んでおり、MTV Video Music Awardsで年間最優秀アーティスト賞も受賞したばかりだ。「これまで本当にたくさんのショーをやってきたけれど、今はすごくいい気分なの」と彼女は言う。

MTV Video Music Awardsでのパフォーマンス映像

2023年のある日、ガガはまさにこの部屋の隅に置かれたスタインウェイのピアノに向かい、後に『MAYHEM』で最初に録音されることになる楽曲「Vanish Into You」を書き始めた。プロデューサーのアンドリュー・ワットとの共作だ。ふたりが初めて顔を合わせたのは、その数カ月前、別のスタジオでのことだった。当時ワットは、ザ・ローリング・ストーンズのグラミー受賞作『Hackney Diamonds』の制作に携わっており、ガガは近くで『ジョーカー』関連の音楽を録音していた。そんな折、ミック・ジャガーが、スティーヴィー・ワンダーをキーボードに迎えてレコーディングしていた、力強いゴスペル調のバラード「Sweet Sounds of Heaven」のセッションに、彼女を招き入れた。ワットは意を決して、ガガの手にマイクを渡す──そして数分後、その曲はデュエットへと姿を変えていた。

「彼女がライブルームに入ってきたんだ」とワットは振り返る。「コンサート以外の場では見たことのない、彼女の恐れ知らずな姿を初めて目の当たりにした。確かに彼女はレディー・”ファッキン”・ガガだ。でも相手は、ローリング・”ファッキン”・ストーンズだろ? おまけにスティーヴィー・”ファッキン”・ワンダーまでいる。しかも彼女はその曲を2回聞いただけ。それなのにミックが歌詞を手渡した途端、彼女は感覚だけを頼りに歌い始めたんだ」

その後、ガガとポランスキーはワットと連絡を取り合い、ガガ自身が「自分のアルバムを作る準備ができた」と感じたタイミングで、彼を制作へ招き入れた──最終的に3人は、本作の共同エグゼクティブ・プロデューサーを務めることになる。「Vanish Into You」の制作が進むなかで、ワットはプロデューサー/ドラムプログラマーのサーキット(Cirkut)を加えることを提案し、彼らは約1年にわたる濃密なコラボレーションへと入っていった。その過程でガガは、ついに自分本来の”アーティスティックな中心軸”へと回帰していく。『ARTPOP』以降、長らく生産的ではありながらも寄り道的なキャリアを歩んできた彼女が、ようやくその境地に辿り着いたのだ。

「私は『ARTPOP』に、本当に多くのものを注ぎ込んだの」とガガは言う。「あれは私にとってEDMの大作だったし、当時の私はとても混沌とした状態にいた。足元の地面が沈んでいくようなときに、しっかり立ち続けるのって難しいでしょう?」。

あのアルバムと、それをめぐる彼女の選択は、世間が期待していたものを一切差し出さなかった。「こう言うと人は嫌がるの」と彼女は続ける。「『あなたたちが望むような服は着ない。望むような髪型もしない。そして、あなたたちが望むようなポップ・ミュージックも作らない。だって、みんな『Bad Romance』みたいな曲を求めているんでしょう? でも、私はもう二度とあれはやらない』ってね」。

そういった批判の背後に性差別があったことは、今振り返れば明らかだとガガは指摘する。男性アーティストが同じことを繰り返すのを拒めば、彼らは「新たな領域を切り開くラディカルな思想家」として称賛される。「過去の栄光に頼る必要のないビジョナリー」として扱われるのだ。だが、ガガの場合は違った。「私は”もう終わった人”みたいに扱われたの」と彼女は言う。その当時、彼女はまだ27歳だった。

彼女の感覚では、世界は自分を”アーティスト”ではなく”商品”として扱っていた。「私が行くあらゆる場所で、あらゆる部屋の、あらゆる角度から、そう見られていた」と彼女は言う。「プロダクト。オブジェクト。ビジネス。『彼女に何をやらせられる?』『これはやってくれる?』『これをやらせられる?』——私が他人にとって巨大なビジネスになった瞬間、彼らの優先事項は、私が”尊厳ある芸術的体験”を得られるかどうかではなくなった。いかに早く、いかに多く金を生み出せるか、それだけになってしまったの……。人生のある時点から、私が部屋に入っても、そこにはもう楽器がなかった。そこにあったのは、”私をビジネスの一部としてどうコントロールするか”という話だけだった」。

Outfit: Saint Laurent by Anthony Vaccarello. Headpiece by Tomovyov.

そこで彼女は、その世界から静かに身を引き、「周縁の領域」へと滑り込んでいった。トニー・ベネットやブラッドリー・クーパーといった人々の助けを借りながら。「息苦しくなるような会話から自分を引き離す方法のひとつが、自分自身の道を切り開くことだった」と彼女は言う。「私は、自分でコントロールできる空間を作り続けてきた。『こうすれば、私は”物”として扱われずにいられるかもしれない』って」。

そして今振り返れば、あの寄り道はどれも必要なものだった。「『MAYHEM』という作品は、この10年で私が経験してきたすべてがなければ、生まれなかったと思う」と彼女は言う。「音楽を始めてからの年数を全部数えたら、もうすぐ30年になる。その経験がなかったら、『MAYHEM』はどんなふうになったんでしょうね? もし私がジャズ・シンガーになっていなかったら? もし『ARTPOP』を作っていなかったら?」。

2020年の『Chromatica』は、彼女がポップへの回帰を試みた最初の作品だった。「911」をはじめ、実際にきわめて優れた楽曲も収録されている。「911」は、彼女が当時服用していた抗精神病薬について、驚くほど率直に言及した曲だ(現在は服薬量を減らしているという。「いくつかは飲んでいるけれど、以前ほど多くはない。かなりの種類を減薬したわ」)。彼女はいまでもこのアルバムを愛している。だが同時に、それを”過渡期にある、どこか中途半端な一歩”として捉えるようにもなった。

「『Chromatica』(=色彩)というのは、本当に文字どおりの表現だったの。だって、あのときの私にはそれしか残っていなかったから」と彼女は言う。「以前にはあった詩情を、あの頃の私はあまり持っていなかった。どこかで失ってしまっていたのね。それは『Joanne』のときも同じだったと思う。誰かに『今どんな気分?』って聞かれても、芸術的に答える余裕なんてなくて、ただ『最悪よ』と返すしかない——そんな感覚に近かったの……『Chromatica』の精神は、”希望を感じられないときに、それでも希望を持とうとすること”だったのよ」。

『MAYHEM』は、まったく違う状態のガガから生まれた作品だ。「私は、自分の過去と現在における”悪夢”を、意識的に、そして正面から駆け抜けて、そのすべての中に詩情を見出そうとした」と彼女は言う。「それこそが、ミュージシャンとして”健全である”ことのサインだった。今回のアルバムを作る過程で、自分の芸術的な能力をすべて取り戻せたことには、本当に感謝している。とてつもなく深いところまで掘り下げる必要があったし、人生の多くを変えなければならなかった。”人間としての私”が本当に必要としているものを、もう一度、中心に据え直すために」。

マイケル・ポランスキーの愛が変えた人生

2024年のある日、マイケル・ポランスキーは裏庭で、ガガの指に草を一本巻きつけてプロポーズした。そのエピソードは「Blade of Grass」(『MAYHEM』収録)にも描かれている。ただし、その後どこかのタイミングで、彼はどうやら”アップグレード”したらしい。ロサンゼルスのスタジオで彼女が手を動かすと、ガガの薬指には新生児のこぶしほどの大きさのダイヤモンドがきらめいている。「草のほうも、ちゃんと持ってるわよ」とガガは笑う。

「今日はつけていないだけ!」。

ポランスキーは2019年末、あるチャリティイベントで偶然ガガの母親と出会った。当時の彼は、ポップスターと結婚するどころか、デートをする未来すら想像していなかったという。「彼女のお母さんが僕に『娘と会ってみない?』と言い出したとき、絶対に冗談だと思いました」と、ミネソタ育ちのポランスキーは振り返る。「だって僕の人生で、僕のことを”注目を浴びたがるタイプの人間”だと思う人なんて、一人もいなかったので」。

ガガが彼について綴った歌詞には、その”ちぐはぐさ”がはっきりと表れている。〈あなたみたいな人が、どうして私みたいな女を愛せるの?〉。ポランスキー自身の言葉で説明するとこうだ。「極度にシャイで、プライバシーを何より大切にしたい人間が、自分の人生を思い描いていたものとは正反対の方向へと変えてしまう存在を、どうやって愛することができるのか?」。その問いを引き受け、前に進むためには、彼自身もまた変わる必要があった。

「お母さんは、私たちは相性がいいって思ったのよ」とガガは言う。「少なくとも、私が彼に夢中になるだろうってね」。母親はさらに、こう念を押したという。「ステファニー、彼はとても真面目な人よ」。

この話を語る途中で、ガガは言葉を詰まらせ、目に涙を浮かべる。「ごめんなさい」と彼女は言う。「あの頃を振り返ると、本当に特別な気持ちになるの。だって、当時の私の周りにいたのは、”とにかく楽しくいられればいい”という人たちばかりだったから。みんな”酔っ払いレディー・ガガ”が大好きだったの」。けれど、ポランスキーに対しては、直感的にこう思ったという。「私の小手先のテクニックは、彼には一切通用しないって。会ったらきっと、大人として本当に誠実な会話をして、お互いを好きかどうか確かめることになるだろうって、最初からわかっていたの」。そして、こう続ける。「マイケルが持っている重力みたいな感覚──それこそが、彼にいちばん強く惹かれた理由かもしれない。彼は、私が抱えているものがどれほど深刻かを、一瞬で理解してくれたの」。

ガガは続けて、かつては父親との問題から、男性選びを誤ることが多かったと認める。「私のお父さんは、ちょっと厳しいタイプなの」と彼女は言う(筆者が初めて彼に会ったときのことを思い出す。彼は筆者の胸元を指でつつき、「この記事、清く正しく書けよ」と言ったほどだ)。「パパは、どちらかというと昔の私に似ていた。live fast, die young(​​太く短く生きる)みたいなメンタリティね。でも今の彼は変わったわ。本当に、大きく変わった。だから、若い頃の私は、きっとそういうタイプの男に惹かれていたんだと思う。でも、マイケルはまったく違ったの」。

新しい関係が深まっていくにつれ、父親はガガがティーンの頃、ヘアスプレーでクラブのステージに火をつけたパフォーマンスを見て以来、初めてホッとしたのではないか──と彼女は思っている。「パパは、ずっと私のことを心配していたんだと思う」と彼女は言う。「でも今は、もう私のことでそこまで心配しなくていいって感じてくれている。それがすごく嬉しいの。父が少しでも心を休められると思えることがね」。

政治的な立場の違いはあるものの、ふたりの関係は良好だ。父親は保守派で、トランプ支持者。一方のガガは長年の民主党支持者で、ジョー・バイデンの大統領就任式では国歌を歌っている。「私はただ、父との関係を、意見が食い違う部分とは切り離して大切にしようとしているの」と彼女は言う。「誰もが知っているように、それは簡単なことじゃない。でも、私たちは家族。どんな家族も同じよ」。

ポランスキーと出会った頃、ガガはちょうど『Chromatica』を完成させようとしていた。”癒やし”をテーマに掲げたアルバムだったが、実際の彼女はボロボロだった。「当時の私は、タバコを一日に3箱吸って、ポーチに座って一日中ぼんやりしていたの」と彼女は振り返る。これから『Chromatica』について、「自分がどれほど良い状態にいるか」を語るインタビューを受ける予定だったにもかかわらず、現実はまるで違っていた。「確かに”最高に良い状態”ではあったけど、それは一日中マリファナを吸って、ワインを2本飲み干して、気絶するように眠る人間の中ではっていう意味での話ね」。

2017年前後の深刻な精神的危機は峠を越えていたものの、2021年初頭に『ハウス・オブ・グッチ』を撮影していた頃でさえ、彼女の状態はまだ不安定だった。当時、撮影現場に精神科看護師が帯同していたことが話題になったが、それは役柄の過酷さというよりも、彼女自身が抱え続けていたメンタルヘルスの問題によるものだった。「正直に言えば、あの映画を撮っていた期間、私は全然うまくやれていなかったと思う」と彼女は振り返る。

カップルが出会ってから数週間後、COVID-19が世界を襲った。「彼女は『Chromatica』を予定より早くリリースしたけど、ツアーも、すべてのパフォーマンス計画もキャンセルせざるを得なかったんです」とポランスキーは振り返る。「だから僕は、最初からレディー・ガガではなく、ステファニーとしての彼女と向き合うことになりました」。だが、出会った当初のガガの状態は、彼を深く心配させたという。

「ずっと気にかかっていたのは、彼女が力を失っているように感じるところでした」とポランスキーは語る。「自分の人生を、自分でコントロールできていないように見えたんです。あれほど才能にあふれた人が、そこまで強い無力感を抱いている姿を、僕はこれまで見たことがありませんでした」。ポランスキーは、ガガがピアノの前に座り、曲を書こうとしては、途中で泣き崩れてしまう場面を何度も目にしていた。

「彼の目に映っていたのは——本来いるべき場所から、あまりにも遠く離れてしまった人の姿だったと思う」とガガは語る。「彼は、私を守りたい、大切にしたいと思ってくれた。私はそれまで、そんなふうに愛されたことがなかった。彼にとって私の人生は、一時の楽しみなんかじゃなくて、本気で向き合うべきもの。彼のおかげで、私の人生はかけがえのないものなんだって気づけたの」。

Dress and shoes by Enfants Riches Déprimés.Tights by Falke. Headpiece by Lilian Shalom.

ポランスキーは彼女に「音楽を取り戻さなきゃいけない」と伝え、ガガはその手助けを求めた。「それが”音楽”だったから、結果的に僕は彼女が音楽を作るのを手伝うことになったんです」と彼は言う。「もし彼女が”イタリアンレストランを開きたい”と言っていたら、僕はパスタの作り方を学んでいたでしょう。つまり、目的は音楽そのものじゃなかった。ただ、行き着いた先がそこだった、というだけなんです」。

ガガはポランスキーに意見を求めるようになり、彼はいつの間にか歌詞や音楽面の提案をするようになっていった。「アルバムに入っている歌詞の中には、僕が書いたものも結構あるんです。そんな意図はなかったんですけどね。二人でメッセージのやり取りをしていて、僕が『こんなのはどう?』って送ると……」それがそのまま曲に使われていた、と彼は笑う。自分にソングライターのクレジットを付けていたことにも、彼は驚いたという。それは一部のファンにとっても意外な出来事だった。「彼女が僕の関わりをきちんと認めてくれたことが、とても嬉しかった」とポランスキーは語る。「ただ、外から見ている人たちにとっては、僕たちが思っていた以上に混乱を招いてしまった部分もあったみたいですけどね」。

『MAYHEM』の制作セッションは長期にわたり、しばしば激しい感情を伴うものだった。「彼女がボーカルを録るたびに、僕が涙をこらえきれなくなることが何度もあったし、彼女自身も泣いていた」とワットは振り返る。そのなかで彼は、ポランスキーの存在がどれほど”安定剤”として重要だったかを強調する。

「マイケルは本当に特別なんだ。とにかく冷静でブレない。僕たちはみんな、アートに深く入り込みすぎて、エキセントリックになったり、興奮して跳ね回ったりする。でも彼は、全体を均衡に戻してくれるレベラーなんだよ。『いや、その曲は前の曲ほど好きじゃないな』ってことを平然と言える人でね。すべてお見通しのブッダみたいなエネルギーを持っているんだ」。

そこからガガとフィアンセは、ツアーの企画に関わるあらゆる側面を二人三脚で進めていくようになった。「親友どうしが人生を一緒に歩んでいくような感じ。おまけに、いつだってクリエイティブでいられるのよ」とガガは言う。

そのパートナーシップは、一方通行ではなく相互的なものだ。マサチューセッツ州ケンブリッジ近郊に、Outer Biosciencesというスキンヘルス研究企業がある。社員は約20名。その共同創業者のひとりが、実はレディー・ガガである。「発想の出発点は彼女でした」とポランスキーは語る。ガガは正式に取締役を務めているが、その事実はこれまで公にされてこなかった。「ステファニーが関わっているとなれば、必要以上の注目が集まってしまう。それはこの会社にとって本質的ではなかったんです。ここは消費者向けのビジネスではなく、研究機関ですから。僕の仕事は、彼女の活動のように可視化されるものではありません。だから彼女が『私たちはパートナー』と言うと、外からは一方向の関係に見えることもある。でも実際には、彼女は僕にとっても、信じられないほど大きな支えなんです」。

二人はツアーの最中か、その直後に結婚する予定だという。「ずっと結婚の話をしていて」とポランスキーは語る。「ツアーの合間に少しまとまった休みがあると、そのたびに誘惑されるんです。『この週末に結婚できるかな?』って。盛大な式にするつもりはないけれど、ちゃんと楽しめるものにしたいですね。いろんな意味で、もう結婚しているような感覚なので、式を挙げたとしてもそんなに大きく変わらないんじゃないかな」。

次のステップが「親になること」であるのも明確だ。ポランスキーは、ガガが名付け親を務めたエルトン・ジョンとデヴィッド・ファーニッシュの子どもたちから、大きな影響を受けているという。「彼らの子どもたちは、本当に幸せそうに育っているんです。いちばん大事なのは、『これが自分たちの家族で、これが自分たちのやり方なんだ』と実感できること。彼女がレディー・ガガであることや、アートのすべてを、僕との関係や母になることから切り離す必要なんてないんです」。

「私がいちばん望んでいるのは、母親になることなの」とガガは言う。「彼は絶対に素晴らしい父親になる。私たちはその未来を本当に楽しみにしているの」。

ふいに、彼女が23歳のとき、夕食をともにしながら言った言葉を思い出した。当時まだ1枚のアルバムしか出していなかった彼女は、こう誓っていた。「私はずっとレディー・ガガであり続けるわ。いつか子どもができたとしても」。

彼女はこちらをまっすぐ見つめる。「嘘をついてしまったわね」と言い、プラットフォームブーツのヒールが床から浮きそうになるほど大笑いする。そして、これまで見た中でいちばん肩の力が抜けた表情で、もう一度こう言った。「嘘だったのよ! あれから私は大人になったの」。

From Rolling Stone US.

レディー・ガガ

『MAYHEM』

配信中

再生・購入:https://umj.lnk.to/LadyGaga_MAYHEM