(左から)成瀬善久、新庄剛志、陽岱鋼(写真:産経新聞社)

 今年のトライアウトは「エイブル トライアウト 2025」として、2025年11月12日に開催された。トライアウトの合格率は非常に低い状況だが、NPBでのプレーを目指すべく、実績を残した大物選手が参加するケースもあった。そこで今回は、トライアウトで再起を懸けた大物選手を紹介したい。

松山竜平

[caption id="attachment_239322" align="aligncenter" width="530"] 広島東洋カープの松山竜平(写真:産経新聞社)[/caption]

・投打:右投左打

・身長/体重:176cm/96kg

・生年月日:1985年9月18日

・経歴:鹿屋中央高 - 九州国際大

・ドラフト:2007年大学生・社会人ドラフト4巡目

 

 広島東洋カープの3連覇時にはチームの中心に座っていた松山竜平。果たして、NPBでの現役続行は実現するだろうか。

 

 九州国際大でヒットを量産し、当時から高い評価を得ていた松山は、2007年ドラフト4巡目で広島に入団。2013年に頭角を現すと、10本塁打を放ってパンチ力を披露した。

 

 

 2017年には、規定打席には到達しなかったが打率.326を記録。自己最多となる14本塁打を放つなど、チームの37年ぶりとなるリーグ連覇に大きく貢献した。

 

 翌2018年に124試合に出場し、自身初の規定打席に到達。打率.302、3年連続となる2桁本塁打(12本)を記録するなど存在感を発揮した。

 

 しかし、2020年以降は出場機会が徐々に減少。その後は代打で貴重な役割を果たしつつも、昨季は65試合の出場で打率.178と不振に陥った。

 

 今季はわずか1試合の一軍出場にとどまり、オフに戦力外となった松山。NPBでのプレーを基本線に、トライアウトの受験を決断。

 

 長年本拠地としてプレーしたマツダスタジアムで行われたトライアウトでは、7打数3安打1四球と結果を残した。経験豊富なベテランを獲得する球団は現れるだろうか。

新庄剛志

[caption id="attachment_239320" align="aligncenter" width="530"] 北海道日本ハムファイターズの新庄剛志(写真:産経新聞社)[/caption]

・投打:右投右打

・身長/体重:181cm/76kg

・生年月日:1972年1月28日

・経歴:西日本短大付高

・ドラフト:1989年ドラフト5位

 

 まさかのトライアウト受験でファンを驚かせたのが、現在北海道日本ハムファイターズで監督を務めている新庄剛志だ。

 

 1989年ドラフト5位で阪神タイガースに入団。高卒3年目となる1992年に95試合に出場すると、打率.278、11本塁打を記録。亀山努らと共に頭角を現した。

 

 

 その後も主な打撃タイトルの獲得はなかったが、2桁本塁打を度々マークするパンチ力に加え、守備でも屈指の強肩でファンを沸かせるなど高いスター性で人気を集めた。

 

 2000年オフに海を渡り、ニューヨーク・メッツなどでプレー。その後、日本球界に復帰し、日本ハムに入団。2004年は123試合出場で自己最高となる打率.298をマークした。

 

 現役ラストイヤーの2006年には、悲願の日本一を達成。この年限りでユニフォームを脱いだものの、47歳で現役復帰を宣言し、2020年の12球団合同トライアウトに参加した。

 

 トライアウトではヒットを記録したが、獲得球団は現れなかった。とはいえ、現役復帰を目指して突き進んだ姿は、ファンの印象にも残っているはずだ。

大隣憲司

[caption id="attachment_239321" align="aligncenter" width="530"] 福岡ソフトバンクホークスの大隣憲司(写真:産経新聞社)[/caption]

・投打:左投左打

・身長/体重:176cm/88kg

・生年月日:1984年11月19日

・経歴:京都学園高 - 近畿大

・ドラフト:2006年大学生・社会人ドラフト希望枠

 

 福岡ソフトバンクホークスで2度の2桁勝利をマークした大隣憲司も、12球団合同トライアウトの受験経験がある。

 

 近畿大から2006年大学生・社会人ドラフト希望枠でプロ入りし、プロ2年目の2008年に22試合の登板で11勝8敗、防御率3.12の好成績をマーク。

 

 

 その後も先発ローテーションの一角として投げ続け、2012年には自己最多の12勝、防御率2.03の好成績を収めた。

 

 しかし、2013年に黄色靭帯骨化症と診断され、翌年からは登板機会が減少。2016年からは2年続けて1試合の登板に終わった。

 

 2017年オフに戦力外通告を受けた大隣は、トライアウト受験を決意。打者4人に対して1安打2奪三振の投球で、千葉ロッテマリーンズが入団テストを実施し、合格を勝ち取った。

 

 ロッテでの復活を期待されたものの、一軍登板は2試合にとどまり、同年限りで現役引退。プロ通算52勝を挙げた左腕は、最後の最後まで腕を振り続けた。

成瀬善久

[caption id="attachment_239319" align="aligncenter" width="530"] 東京ヤクルトスワローズの成瀬善久(写真:産経新聞社)[/caption]

・投打:左投左打

・身長/体重:180cm/87kg

・生年月日:1985年10月13日

・経歴:横浜高

・ドラフト:2003年ドラフト6巡目

 

 2007年は千葉ロッテマリーンズで圧巻のパフォーマンスを見せた成瀬善久。タイトルにも輝いた名投手だが、12球団合同トライアウトを受験した。

 

 横浜高から2003年ドラフト6巡目でロッテに入団。プロ4年目の2007年、24試合の登板で16勝1敗、防御率1.82の好成績を収め大ブレイク。最優秀防御率のタイトルを獲得した。

 

 

 2010年には13勝を挙げ、「史上最大の下克上」での日本一達成に大きく貢献。ロッテで合計5度の2桁勝利をマークした。

 

 しかし、故障の影響もあり2013年は14試合の登板に。6勝にとどまり4年連続2桁勝利、6年連続規定投球回到達の記録が途絶えた。

 

 2013年オフにフリーエージェント権(FA)を行使し、東京ヤクルトスワローズに移籍。新天地で再起を図るも、移籍初年度の2015年は14試合の登板で3勝8敗、防御率4.76と苦しんだ。

 

 その後も復活を果たせず、2018年に戦力外通告を受けた成瀬。この年のトライアウトを受験した結果、オリックス・バファローズの入団テストを受験し、合格となった。

 

 しかし、オリックスでの勝利は記録できず、2年連続の戦力外。その後は独立リーグでのプレーを選択した。

陽岱鋼

[caption id="attachment_238877" align="aligncenter" width="530"] オイシックス新潟アルビレックスBCの陽岱鋼(写真:産経新聞社)[/caption]

・投打:左投左打

・身長/体重:177cm/78kg

・生年月日:1986年7月17日

・経歴:福岡工大城東高 - 国際武道大

・ドラフト:2008年ドラフト2位(阪神)

 

 ドラフト2位で阪神タイガースに入団した柴田講平。2011年こそ覚醒の予感を漂わせたが、チャンスを活かし切れなかった。

 

 国際武道大で4年間プレーし、首位打者を2回獲得。打撃、守備の両面を高く評価され、2008年ドラフト2位で阪神から指名を受けた。

 

 

 ブレイクを予感させたのは2011年。徐々に出番を増やしていき、104試合に出場した。同年は打率.271に加え、7個の盗塁を成功させたように、スピードでも持ち味を発揮していた。

 

 レギュラー定着を期待された一方、2012年からは年を追うごとに出場機会が減少。阪神での最終年となる2016年はわずか10試合の出場に沈み、同年に戦力外通告を受けた。

 

 その後、12球団合同トライアウトに参加したが、ヒットを記録できなかった。

 

 それでも千葉ロッテマリーンズが入団テストを実施し、獲得を発表。1年の在籍にとどまったが、トライアウトのチャンスを活かした例と言えるだろう。

小林雅英

[caption id="attachment_238704" align="aligncenter" width="530"] 読売ジャイアンツの小林雅英(写真:産経新聞社)[/caption]

・投打:右投右打

・身長/体重:182cm/89kg

・生年月日:1974年5月24日

・経歴:都留高 - 日本体育大 - 東京ガス

・ドラフト:1998年ドラフト1位

 

 千葉ロッテマリーンズの抑えを長く務めた小林雅英は、12球団合同トライアウトで新たなチャンスを掴み取った経緯がある。

 

 東京ガスから1998年ドラフト1位でロッテに入団。プロ1年目から46試合に登板すると、翌2000年には65試合の登板で防御率2.13の好成績を記録し、守護神に定着した。

 

 

 2002年にはプロ野球新記録となる33試合連続セーブポイントを記録するなど、大車輪の活躍。43試合の登板で37セーブ、防御率0.83の好成績をマークした。

 

 その後も最多セーブのタイトル1回、さらにはセ・パ交流戦のMVPなど、球界屈指のクローザーとして活躍。7年続けて20セーブ以上をマークし、MLBにも挑戦した。

 

 2010年、読売ジャイアンツに入団するも12試合の登板に終わり、1年で戦力外通告。現役続行を目指してトライアウトに臨み、打者5人をノーヒットに抑えた。

 

 当日のピッチングが印象に残ったのか、オリックス・バファローズが獲得に動き、正式に契約を発表。最終的にはオリックスも1年限りの在籍となったが、最後まで腕を振り続けた1人だった。

 

 

【了】