
今年のトライアウトは「エイブル トライアウト 2025」として、2025年11月12日に開催される。トライアウトの合格率は非常に低い状況だが、NPBでのプレーを目指すべく、一軍での経験が豊富な実力者が参加することも珍しくなかった。そこで今回は、トライアウトで再起を懸けたドラフト1位入団の選手を紹介したい。(文・シモ)
桜井俊貴
[caption id="attachment_238878" align="alignnone" width="530"] 読売ジャイアンツ時代の桜井俊貴(写真:産経新聞社)[/caption]
・投打:右投右打
・身長/体重:182cm/89kg
・生年月日:1993年10月21日
・経歴:北須磨高 - 立命館大
・ドラフト:2015年ドラフト1位(巨人)
桜井俊貴はプロ野球を経て、社会人野球で再起をかけた。
桜井は立命館大でリーグ通算56試合に登板し、28勝8敗、防御率1.10を記録。その後、2015年ドラフト1位で読売ジャイアンツに入団した。
プロ4年目の2019年には自己最多の8勝を挙げ、先発陣の一角を担う。だが、プロ7年目の2022年に防御率14.04と成績を落とすと、同年オフに戦力外通告を受けた。
その後、12球団合同トライアウトに参加。しかし、他球団への移籍は叶わず、プロ生活7年での現役引退となった。
そして、翌2023年からは、巨人のスカウトに転身して選手の獲得に尽力する。そんな中、同年12月に社会人野球のミキハウスに入団し、現役復帰することが発表された。
今季は、9月16日に行われた第50回社会人野球日本選手権大会近畿地区最終予選の第1回戦で、9回101球を投げ、7安打2失点で完投勝利。
同23日の同予選準決勝では、9回125球を投げ、被安打7、6三振で完封勝利をマーク。今季の最終成績は、13試合に登板して4勝4敗の成績を残した。
日本のプロ野球から、社会人野球の世界に舞台を移して活躍する桜井。その姿は力強く、充実感に満ちあふれている。
多和田真三郎
[caption id="attachment_138127" align="alignnone" width="530"] 埼玉西武ライオンズの多和田真三郎(写真:産経新聞社)[/caption]
・投打:右投右打
・身長/体重:182cm/82kg
・生年月日:1993年4月13日
・経歴:中部商 - 富士大
・ドラフト:2015年ドラフト1位(西武)
多和田真三郎は埼玉西武ライオンズを退団後、2度のトライアウトに参加している。
深く沈みこむ独特のフォームから繰り出される、150キロの直球と変化球を武器に、プロ3年目に16勝5敗で最多勝に輝いた多和田。
しかし、プロ4年目の2019年に自律神経失調症を発症したことをきっかけに、成績が低迷。病気の回復を待っての契約保留選手扱いとなった。
そして、契約保留のまま迎えた翌2020年。7月に支配下選手登録された多和田は、二軍で5試合に登板して復調気配をみせるも、病状が完全に回復するまで支配下登録は保留となった。
翌2021年は実戦復帰に至らず、二軍でも登板なしの結果に終わり、2度目の戦力外通告を受けた。
同年の12球団合同トライアウトで多和田は、140キロ超の直球を軸に打者3人から2つのアウトを奪ったが、NPB球団からのオファーはなかった。
その後は、社会人軟式野球チームの六花亭に所属。2023年には2度目の12球団合同トライアウトに参加し、打者3人に対して力強い投球を見せていた。
現在も六花亭で仕事をしながら、軟式野球部に所属する多和田。着実に歩みを進めながら、野球人生をまっとうする姿がそこにはある。
西岡剛
[caption id="attachment_238721" align="alignnone" width="530"] 阪神タイガース時代の西岡剛(写真:産経新聞社)[/caption]
・投打:右投両打
・身長/体重:182cm/81kg
・生年月日:1984年7月27日
・経歴:大阪桐蔭高
・ドラフト:2002年ドラフト1巡目(ロッテ)
西岡剛は、阪神タイガースを退団後と独立リーグ時代の2度、トライアウトに挑戦した。
プロ3年目にレギュラーに定着した西岡は、122試合に出場し打率.268、4本塁打、48打点、41盗塁をマーク。史上最年少タイとなる、21歳での盗塁王に輝く。
2010年には144試合の出場で、打率.346、206安打、11本塁打、59打点で首位打者と最多安打のタイトルを獲得。内野手およびスイッチヒッターとして、初の200本安打も達成した。
また、同年に記録した猛打賞27回は、日本プロ野球のシーズン最高記録である。
同年オフにはミネソタ・ツインズと契約してメジャーに挑戦。しかし、思うような成績を残せず、2012年オフに阪神に入団してNPB復帰となった。
移籍1年目は122試合に出場して打率.290、4本塁打、44打点、11盗塁をマーク。しかし、以降は数々のけがが重なり、出番が激減した。
移籍6年目の2018年に戦力外通告を受け、同年オフの11月13日にトライアウトに参加した。しかし、NPBからのオファーはなかった。
その後、2019年からBCリーグ・栃木に入団した西岡は、シーズンオフにトライアウトに参加。だが、またしてもNPB復帰とならなかった。
そんな中、2021年から北九州下関フェニックスの監督などを務め、来季から千葉ロッテマリーンズの一軍チーフ打撃兼走塁コーチに就任した。
自身の経験をもとに、後進を育成する。
高橋純平
[caption id="attachment_178152" align="alignnone" width="530"] 福岡ソフトバンクホークスの髙橋純平(写真:産経新聞社)[/caption]
・投打:右投右打
・身長/体重:184cm/86kg
・生年月日:1997年5月8日
・経歴:県立岐阜商
・ドラフト:2015年ドラフト1位(ソフトバンク)
高校No.1投手として注目された髙橋純平は、8年のプロ生活の後、トライアウトに挑戦した。
ルーキーイヤーから3年間は、けがの影響やフォーム改造に時間を費やし、一軍での登板は1試合にとどまっていた髙橋。
そんな中、プロ4年目の2019年に飛躍。同年5月に一軍登録されると、ビハインドの場面での登板からはじまり、徐々に勝ちパターンの一角を任される。
最終的に、同年は45試合に登板して20ホールドポイント(3勝2敗17ホールド)、防御率2.65をマーク。51回を投げて58個の三振を奪い、奪三振率は10.24を記録した。
ところが、プロ5年目の翌2020年は右肩の炎症を起こし、状態が上がらないまま一軍登板なし。
翌2021年はシーズン序盤に10試合に登板するも、右手骨折のため一軍登録を抹消。以降2年間は一軍登板なしに終わり、2023年オフには無念の戦力外通告を受けた。
その後、髙橋は同年11月15日に開かれた12球団合同トライアウトに参加。打者3人に対して1安打、1三振、1死球の成績で終わったが、直球の最速は148キロを記録した。
しかし、NPB球団からの誘いはなく、現役引退を決めた。
髙橋は現在、ホークスジュニアアカデミーのコーチとして、子どもたちの指導を行っている。
陽岱鋼
[caption id="attachment_238877" align="alignnone" width="530"] オイシックス新潟アルビレックスBCの陽岱鋼(写真:産経新聞社)[/caption]
・投打:右投右打
・身長/体重:184cm/89kg
・生年月日:1987年1月17日
・経歴:福岡第一高
・ドラフト:2005年高校生ドラフト1巡目(日本ハム)
陽岱鋼は昨季、独立リーグに所属しながらトライアウトに挑戦した。
陽はプロ8年目の2013年に、打率.282、18本塁打、67打点、47盗塁をマーク。同年の盗塁王に輝いた。
翌2014年には打率.293、25本塁打、85打点、20盗塁と、キャリアハイの成績をマーク。走攻守すべてにおいて、高い技術を見せつけた。
同年オフに国内FA権を行使した陽は、翌2017年から読売ジャイアンツでプレー。
しかし、移籍初年度は87試合の出場で打率.264、9本塁打、33打点、4盗塁。移籍2年目も同じく87試合の出場で打率.245、10本塁打、37打点、2盗塁にとどまり、日本ハム時代ほどの活躍とはならなかった。
以降、右の代打の切り札として活路を求めたが、徐々に低迷。移籍5年目の2021年は7試合の出場で打率.143に終わると、自ら退団を決めた。
翌2022年からは、アメリカの独立リーグ2球団に所属。昨季からは独立リーグのオイシックス新潟アルビレックス・ベースボール・クラブでプレーしている。
そして、同年11月14日にはトライアウトに参加。NPB復帰には至らなかったが、ノーヒットながらも守備では相変わらずの強肩を見せた。
まだまだ挑戦を続ける陽を、これからも応援したい。
野村亮介
[caption id="attachment_169260" align="alignnone" width="530"] 中日ドラゴンズの野村亮介(写真:産経新聞社)[/caption]
・投打:右投右打
・身長/体重:187cm/85kg
・生年月日:1993年7月9日
・経歴:静清高 - 三菱日立パワーシステムズ横浜
・ドラフト:2014年ドラフト1位(中日)
野村亮介は、わずか3年で戦力外通告を受けてトライアウトに参加している。
野村は静清高を卒業後、 三菱日立パワーシステムズ横浜に入社。制球力と最速140キロ超の直球を武器に、社会人3年目の2014年に飛躍した。
その後は侍ジャパン21U代表にも選ばれ、2014年ドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。NPBへの切符を手にした。
入団後は、杉下茂、権藤博、星野仙一、小松辰雄など、歴代エースの背番号「20」を与えられ、大いに期待された。
ところが、ルーキーイヤーは3試合の中継ぎ登板で、防御率10.13の成績に。以降2年間は一軍での登板がなく、2017年に戦力外通告を受けた。
そんな中、野村は同年オフに12球団合同トライアウトに参加。だが、打者4人と対戦した中で本塁打を浴びてしまい、わずか3年のプロ生活に終止符を打った。
入団時の会見では「中日ドラゴンズのエースのような存在になりたい」と抱負を語っていたが、未来にはプロとしての厳しい現実が待っていた。
【了】