毎日こつこつと積み上げるように働き、生きている私たち。そこに、にわか雨のように突如訪れる「病」。自分自身だけでなく、パートナーや子ども、親などの近親者が何らかの疾患に襲われることで、当たり前のように過ごしていた日々が一変することもあります。そして、病に対する大きな不安を抱えながらも、それでも働き、生きていかねばなりません。
生きるとは、働くとは、幸せとはなにか考えるシリーズ「生きる、働く、ときどき病」。今回は久保田圭一さんにお話を伺います。
東京都で接骨院を営む久保田圭一さん(55歳)。結婚前は俳優としてドラマや映画への出演経験もあった久保田さん。40歳での結婚を機に柔道整復師の道へ進み、接骨院を開業することに。結婚の翌年に生まれた息子・光一くん(14歳)は生まれつき視覚障害があり、幼児期に手術を受けました。久保田さんに、仕事のこと、息子の障害を受け入れるまでのことなどについて聞きました。全3回のインタビューの1回目です。
■結婚を機に俳優から柔道整復師へ転職。
ーー久保田さんが結婚する前のお仕事について教えてください。
久保田 結婚前は芸能プロダクションに所属し、少しですがドラマや映画などに出演しました。その後舞台俳優に転向しましたが、俳優だけでは生活が不安定だったため、仲よくしていたメイクアップアーティストの知人を手伝う形でヘアメイクの仕事もしていたんです。
また、趣味で格闘技やダンスをやっていてけがをしたとき、柔道整復師に体に触れてもらうと痛みがよくなった経験があった経験から、自分でも見よう見まねで俳優仲間にマッサージをすることもありました。
同じ俳優業をしていた妻との結婚を考えたときに、収入が不安定だったため、芸能の世界から離れて美容師になるか柔道整復師になるかの二択が浮かびました。いろいろと悩んだ結果、柔道整復師の道へ進むことに。結婚後、資格を取るまでに3年ほど専門学校で学ぶことを決めました。これは笑い話ですが、妻の両親に妻との結婚を申し込みに行ったとき、お父さんから「仕事はどうするんだ」と聞かれ「学生になります!」と答えたら「は?」と言われました(笑)。そりゃそうですよね。
ーーたしかに驚くかもしれませんね(笑)。結婚後は夫婦で俳優業から転職して働いたのですか?
久保田 そのつもりだったんですが、なんと入籍した2日後に妻の妊娠が発覚したんです。本当にびっくりしました。そこで、妊娠中の妻は仕事はせず、私は日中はスポーツクラブのインストラクターとして働き、夜は専門学校で勉強する日々に。忙しくはありましたが、体のことを学ぶのはとても楽しく毎日が充実していました。妻のおなかが少しずつ大きくなっていくことにも、とても幸せを感じました。
専門学校で3年間学んで国家資格を取得したのち、接骨院の勤務医院長として7年務め、その院の権利を買い取る形で2018年に開業しました。
ーー俳優の仕事から柔道整復師の仕事へは大きなキャリアチェンジかと思いますが、どんな違いがありますか?
久保田 俳優の仕事では、演技することは大好きでしたし、表現などの技術面では突きつめたつもりでいました。ただ後になって気づいたのは、芸能界で仕事をしていくことには興味がなかったのかもしれないということです。そもそも俳優をめざしたのも、学生時代にずっと応援団に所属して主役をサポートし続けてきた経験から「サポートされる側になりたい」という無意識の欲求があったのかもしれません。
柔道整復師の仕事は、患者さまが主役で私はサポート役。遠回りしましたが、この仕事を始めて「自分にはサポートされるよりサポートするほうが向いている」と気づきました。患者さまの痛みを取り除こう、けがを治そうと患者さまの体に向き合えることにやりがいを感じますし、充実感を持って仕事できています。
■息子の目の動きに感じた違和感。目が見えないかもしれないと言われ……
ーー息子さんが生まれたのはいつ頃ですか?
久保田 2010年の冬でした。妻は産後1カ月ほどは都内の実家で過ごし、その後家族3人で暮らしはじめました。忙しい日々でしたが、息子はほんとうにかわいくて癒やされましたし、この子のためにもしっかりしなければ、と父親として身が引き締まる思いでした。
ですが、あるとき抱っこした息子の目の動きに違和感を覚えました。眼球がけいれんするように揺れ動いていたんです。医療の勉強をしていた私は、何か異常があるときに現れる「眼振」の可能性が頭をよぎりましたが、「気のせいかもしれない」と見て見ぬふりをしてしまいました。 しばらくして妻が生後3カ月になった息子を連れて実家に立ち寄ったとき、義母が『この子と目が合わないから病院に行きなさい』と言ってくれたことがきっかけで、受診したんです。
ーー受診してからの経緯を教えてください。
久保田 最初に受診した病院で、息子に眼振があり目の焦点が合いづらい状態だったことから、医師に「この子は目が見えないかもしれない」と言われました。まさかの言葉に、頭が真っ白になりました。その病院では「非常に珍しい病気だからすぐに治療しましょう」とすすめられたのですが、医師の話に少し不安を感じたため、セカンドオピニオンを受けることにしました。
最終的に国立成育医療研究センターの眼科を受診し、いくつかの検査を経て、息子には『家族性滲出性硝子体網膜症(FEVR)』という眼疾患があると分かりました。診断がおりたのは、息子が生後4カ月になった頃でした。
ーーどんな病気なのでしょうか。
久保田 『家族性滲出性硝子体網膜症(FEVR)』は両眼の網膜血管の形成異常が原因で、視力低下などの症状があらわれる病気です。網膜にある異常な血管によって、網膜がぎゅっと引っ張られてしまい、網膜に穴が開いて剥離が起きる可能性がある、と説明を受けました。網膜剥離は、進行すると視野が欠けたり失明に至る可能性もあるものです※。
※監修医師より:FEVRは、生まれつき網膜の血管の発達が不十分または異常となる病気です。そのため、血管の伸び方が偏ったり、血流が滞ったりして、網膜が引っ張られたり(牽引)することで、網膜剥離などの重い合併症を起こすことがあります。網膜剥離や血管からの滲出(血液成分が漏れ出すこと)は、視力や視野にさまざまな影響を与えます。進行の程度や病変の場所によっては、重い視力障害や失明に至る場合もあります。
■「この子は桜の色を見られないのかな」
ーー医師の話を聞いて、どう感じましたか?
久保田 最初に受診した病院で「目が見えないかもしれない」と言われたこともあり、私たち夫婦は不安でたまりませんでした。「息子の目は見えるようになるんでしょうか」「視力はどのくらいになりますか」と質問したんです。
そのとき医師は「それはこの子が将来身長何センチになるか教えてくれって言ってるのと同じですよ」と言ってくれました。その言葉にすごく納得したと同時に、息子のハンディキャップを不安に感じていたことに気づいたんです。続けて医師は「この子がどのくらい見えるようになるかどうかは分かりませんが、一緒に治療を頑張りましょうね」とも言ってくれました。このときから、“障害"という言葉に対する心の距離が少しずつ縮まっていった気がします。
ーーご夫婦で息子さんの病気をどのように受け止めたのでしょうか。
久保田 最初はなかなか重い現実を受け止めることができず、絶望感でいっぱいでした。でも息子は日々成長しているし、親として受け止めざるを得ません。
ある日、桜が咲く公園を家族で散歩しながら、妻がぽつりと「この子は春の桜の色を見られないのかな」とつぶやきました。私は「もし見られないのなら、花のにおいをかがせてあげよう。花びらを触らせてあげよう。どんな色をしているかは、僕らが言葉にして教えればいいじゃないか」と伝えました。息子なりの春の感じ方があるはずですから。このとき、妻と「周りの子と比べるのは絶対にやめよう」と約束しました。
そして、僕たち夫婦は「息子のためにできることを全部やろう」とも決めました。医療的なアプローチだけでなく、日常生活の中でもできることを探して、息子の成長を支えていこうと。息子の存在が、私たち家族の絆をより強くしてくれたと思っています。
✅第二回では、手術や学校での様子などをお聞きします。


