
250GTOの相場は3000万ポンド(約58億円)を越えてなお上昇し続けているが、いつの日か、F1はこれに追いつくのだろうか?クラシックカーの取り引きで世界的に有名で、実際にF1を所有するサイモン・キッドストンが2台の価格動向について推察を張り巡らせてくれた。
【画像】アナログ時代の名車、フェラーリ250GTOとマクラーレンF1(写真2点)
「これからもマクラーレンF1の値段はどんどん上がる」そんな言葉をよく耳にするが、それを鵜呑みにする気にはなれない。また、そうした価格動向を予想できるほどの知識も才能も私は持ち合わせていない。
かつては、フェラーリ250GTOについても同様の言葉が囁かれた。そのきっかけとなったのは、1987年5月に初めて100万ポンド(当時のレートで約2億4000万円)を越えたときのことで、各メディアは一斉に「異常事態だ」とこれを報じた。その次に起きたことも、多くの方々がご記憶だろう。同じ車が3年後にその10倍の価格で取り引きされたかと思えば、1992年に今度は1/5へと急落。ところが、それから30年以上経ってもGTOの価格は安定して上昇しており、最近では車によって3000万ポンド(約58億円)で売りに出されることもあれば4000万ポンド(約78億円)以上で落札されることもある。一般的にいって、オークションでビンテージカーを売却するのは資金目当てか次なる一品を手に入れるのが目的だが、現在GTOを所有しているオーナーについていえば、そのどちらにもあてはまらないような気がする。
では、市場ではマクラーレンF1こそ次世代のフェラーリGTOと目されているのか? 10年ほど前の話だが、私はそれぞれのアニバーサリー・ツアーに同行したことがある(GTOはとあるオーナーから借用して参加したものだが…)。そこで驚いたのは、実に多くの真面目なコレクターたちが2台揃って所有している点にあった。F1の地位が年々高まっているのは、その希少性と無関係ではあるまい。考えてもみてほしい。伝説的デザイナーといって差し支えのない人物がF1のトップチーム率いて作り上げたスーパースポーツカーなのだ。
しかも、マーケティング上の理由から企画された訳でもなければ、コストやメーカーのルールもすべて度外視し、ただ究極の車を作りたいという思いだけで完成させたのがF1なのである。ダグ・ナイが語ったとおり、そのパフォーマンスの卓越性はレース結果が雄弁に物語っている。そして忘れてはならないのがその優れた実用性で、多くのオーナーがF1でパブに出かけたことによってこれは証明されている。
私はダグと一緒にコリアー・シンポジウムでスピーチさせてもらったことがあるが、様々な話題のなかでも、F1に関するトピックがもっとも重要視されていた。まだほとんど距離を走っていないF1がオークションにかけられたのは、たしか1998年のことだが、そのときの価格はようやく40万ポンド(当時のレートで約 8700万円)に届いた程度だった。250GTOを所有するラテン系オーナーのひとりは、そのとき「高すぎる」ことを理由にオークションに参加しなかった。そんなマクラーレンがいまや1000万ポンド(約19億円)を越える価格で取引されていることはご存知のとおり。
つまり、クラシックカーの価格は下がることがなく、上がるいっぽうであるのが一般的で、そのことは歴史がよく証明している。そして2台の場合もまた、実勢価格にずれがあるとはいえ、少なくとも中期的には互いに競い合うようにして上昇している。そして長期的には、GTOの価格がF1のおよそ4倍に相当するという現在の比率は徐々に縮まっていくだろう。また、2シーターでラゲッジルームを持たないF1GTRが本来のF1よりも安く取り引きされている傾向も、今後は徐々に是正されていくはず。私個人の話をすれば、なぜ1998年以前に貯金をはじめなかったかが悔やまれるばかりである。
編集翻訳:大谷達也 Transcreation:Tatsuya OTANI
THANKS TO Kidston SA, Geneva
ジュネーヴのキッドストンSAは、長年にわたり何台ものフェラーリ250GTOやマクラーレンF1の取り引きに関わってきた。