
横浜DeNAベイスターズのファーム拠点「DOCK OF BAYSTARS YOKOSUKA」で日々練習に励む若手たちが、1人、また1人と横浜スタジアムへと羽ばたいていく。今回はプロ初登板、初先発を記録した武田陸玖に、記念すべき日の翌日に話を訊いた。(取材・文:石塚隆)【取材日:10月2日】
プロフィール:武田陸玖(たけだ・りく)
身長/体重:173cm/78kg
出身:山形県
山形中央高校では高校通算31本塁打を記録し、投手としても活躍。2023年のWBSC U-18ベースボールワールドカップ優勝に投打で貢献した。同年にドラフト3位で横浜DeNAベイスターズに指名され入団。二刀流で研鑽を積んでいたが、今季途中から投手に専念し、最終戦でプロ初登板、初勝利を記録した。
プロ初登板は「あんまり覚えていません。ただ……」
2年目の武田陸玖にとってプロ初登板、初勝利という記念すべき日になった10月1日のヤクルト戦(横浜スタジアム)。その翌日に武田に会い、前日の感想を聞くと少し首をかしげながら言った。
「いや、あんまり投げたという実感がないんです。ピッチングの内容もあんまり覚えていませんし。ただ……楽しかったし、最高だなってことだけは覚えています」
20歳のサウスポーはそう語ると、初々しい笑顔を見せてくれた。
一軍登板があるかもしれないと知ったのは数日前だった。チーム関係者から「準備をしておくように」と伝えられた。プロ初の一軍という舞台。通常ならばそう言われた瞬間、気持ちが高揚したり、緊張に支配されそうなものだが、武田は違った。
「まあ、さらっと言われたのもあるのですが、あまり意識することなく、普段通り準備していました。本当に行くぞ、と伝えられたのは試合前日でした。順位も決まったタイミングだったので、自分としても投げられるんじゃないかって思っていました」
入団以来、憧れの場所である横浜スタジアム。初めて目にする光景や鼻をつく匂い、球場を取り巻く雰囲気に武田は心をときめかせた。
「もうハマスタで野球ができるってことだけでうれしかったですね。だからアップからブルペンにいてもロッカーにいてもすべてが楽しかったです」
「そこで緊張が解けたんです」
天真爛漫さを見せる武田だが、冷静さも忘れずブルペンでは「いつもと違うことはしてはダメだ」と、自分のルーティンを守り準備をした。練習をはじめブルペンでの過ごし方や段取りなどは、宮城滝太ら先輩たちが丁寧に教えてくれた。
出番が訪れたのは6回表、5対4のリードの場面だった。さすがの武田もリリーフカーに乗っているときは、めちゃくちゃ緊張したという。しかし、リリーフカーを降り、バッテリーを組む松尾汐恩から「全力でいけ!」と声を掛けられマウンドの土を踏むと、自分の心にスッとなにか落ちてくるものがあった。
「マウンドに立って周りを見渡すとスタンドにお客さんがたくさんいるし、一人ひとりの顔が見えました。すごく応援してもらって最高だなって思って、そこで緊張が解けたんです。本当に幸せな時間でした」
肝心の投球については無我夢中であまり覚えていないというが、MAX147キロのストレートを軸に、スライダーを織り交ぜ1イニング11球を投げ2安打、1失点という記録だった。同点に追いつかれてしまったが、その裏の攻撃で勝ち越し、期せずして初登板初勝利をマークした。これについて武田は苦笑しながら語る。
「うれしいのですが、何て言うか『勝たせていただいた』という感じで、結構複雑というか……でも、皆さんに感謝したいです」
登板前に「向かっていけ!」と背中を押した三浦大輔監督は、武田の投球について次のように評している。
三浦大輔監督が見た武田陸玖の姿
[caption id="attachment_234078" align="alignnone" width="530"] 横浜DeNAベイスターズの武田陸玖(写真:編集部)[/caption]
「堂々としたピッチングだったと思いますし、しっかり腕を振って、マウンド上で生き生きとしていましたね。ヒットを打たれ1点取られましたが、打ち取っていた当たりでしたし、初登板としてはいいスタートが切れたと思います。初勝利に関しては“持っているな”という感じですね(笑)。このグラウンドの景色や感じたことを、今後の野球人生のためのいい力に変えてもらいたい」
武田としても今回の経験は、いい学びが多くあったと振り返る。
「いっぱい課題が見えましたね。あと、やっぱり一度ああいう場所に立っておけば、今後登板があった際に経験を生かすことができるので、本当にマウンドに立たせてもらいありがたかったです。幸せでした」
武田は「幸せ」と重ねて言った。
大きな第一歩を印した2年目の今季、武田にとってはどのような1年だっただろうか。今年は9月に入団以来取り組んできた打者と投手の“二刀流”を辞め、投手一本に絞ることを宣言した。
「9月にピッチャー一本でやると覚悟して自分で決断しました。後悔はしていませんし、1年半、野手としてやってきたことは絶対にピッチャーとしてこれから生きて来ると思っています。この世界で両方をやらせてもらえて球団にはすごく感謝しています」
どうして投手一本に絞ったのか武田本人に尋ねる前に、球団の判断を知ろうと桑原義行ファーム監督に話を聞いた。すると次のような事情があったと桑原監督は教えてくれた。
球団の本音と武田陸玖の思い
「球団としては二刀流を追いかけられるのならば、追いかけてもらいたかったというのが本音でした。本人がまだやりたいというのならば、我々としても二刀流の育成チームを組んでいるので支援を続けるつもりでした。
ただ野手を続けていく過程で怪我をしてしまうことがしばしばありました。両方順調に進んでいると思ったら、野手で故障をしてしまい、投手をやることにも支障が出ることが続いてしまったんです」
武田は、昨年春先に左肘の炎症を起こし、また5月には右肩烏口突起移行術を受け、年間を通し実戦をあまり経験することができなかった。また今年に入ると初夏に左肩関節亜脱臼をしている。桑原監督は続ける。
「そこで本人と話した結果、ピッチャーで勝負したいという彼の希望に加え、我々としても素晴らしい可能性を持っていると判断したので、心置きなく投手一本に専念しようということになりました。
真っすぐで空振りが取れる非凡なセンスはありますし、今後はピッチャーに専念するので、これまで以上に変化球も追求できます。今から腰を据えてやれば、来年の先発の一枚として面白い存在になれるのではないかと考えています」
高いレベルで二刀流を追求することの困難さ。故障という要因はあったが、投手一本で行くことを決めた理由を武田本人は「難しい決断でした」と語る。
(取材・文:石塚隆)
【後編に続く】
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