日本テレビ系大型特番『24時間テレビ48-愛は地球を救う-』(31日20:54まで放送)では、横山裕のチャリティーマラソンがまもなくスタートする。
「子ども支援マラソン」と題して行われる挑戦。横山はランナーに決定した当初から、「自身の子ども時代を振り返り、いま、支援が必要な子どもたちを支援したい」という決意を語ってきた。
今夜の放送では、横山がなぜ走るのか、その思いが詳しく明かされる。そこには、横山の生い立ちや、2人の弟と亡き母への深い愛が強く結びついていた。
横山のチャリティーランナー決定を受け、SUPER EIGHTのメンバーたちも事前取材に答えた。20年以上をともに歩む仲間たちは横山のことを「頼りになる」「人の見ていないところで努力する人」と評する。さらに、「ここへきて彼がこれまであまり明かしてこなかった過去を語るのは、『自分の境遇を明かすことで救われる人がいるなら』と思ったからに違いない」とも話した。
横山は1981年、大阪生まれ。本名は「候隆(きみたか)」。3歳のとき両親が離婚し、シングルマザー家庭で育った。当時の暮らしを「うち貧乏やったと思うんですけど、オカンがそれを感じさせなかった。とにかく子どもファーストで、自分のことより子どもに何かしてあげな、という人だった。裕福ではなかったけど、幸せだった」と語る。
やがて母が再婚。名字が横山となるが、2人目の父との仲は必ずしも良好ではなく、自分の居場所がないような気持ちになったことも。そんなとき心の支えになったのは、6歳差と8歳差で生まれてきた2人の弟たち。兄を慕って、どこにでもついてくる弟たちがかわいくて仕方なかった。
だが、生活に余裕があったとはいいがたく、横山は中学卒業後、建設会社に就職。家計の負担を考えての選択だった。工事現場で働きながら、やがてタレント活動をスタートさせる。時には作業着のまま事務所のレッスンなどに行くこともあった。働きながらの自分が、芸能界で光をつかむことはできるのか…葛藤しながら、人知れず自己研さんを積む日々が続いた。やがてその努力が身を結び、活躍の場が広がって、横山は10代にして単身、関西から東京に拠点を移す。
そんなある日、大好きな母が重い病に倒れてしまう。やがて、2度目の離婚。生活は立ち行かなくなり、幼い弟は児童養護施設の世話になることになった。まだ10代だった横山は、生きるために、また家族で暮らすためにと、東京で一層仕事にまい進する。
ひたむきな日々の中、ずっと心に引っかかっていたのは「離れて暮らす弟たちはどんな思いで過ごしているのか」ということだった。
今回チャリティーランナーに決定した横山は、弟たちが世話になっていた児童養護施設を20年ぶりに訪問。「あの頃、弟はどんなふうに暮らして、どんな思いだったのだろう」。当時を知る先生たちに熱心に話を聞く横山が読ませてもらったのは、先生たちがつけていた日誌。そこには横山の知らなかった弟の様子が、細かく記されていた。
横山がテレビに出演しているのを見た弟が、小さな声で「きみ兄ちゃんだ」とつぶやき、近くにいた先生に抱きついて喜びを体で表現していたこと。遠く離れた東京にいる兄をテレビで見られてうれしい反面、会いたい気持ちがあふれ、その夜は眠りにつく前にホームシックになってしまったこと。兄が忙しいスケジュールのあいまをぬって迎えに来てくれたときは、満面の笑顔だったこと。
20年越しで、愛する家族の思いを知り、涙があふれた横山は改めて走る決意を新たにした。
番組では、ほかにも、横山が支援を必要とする子どもたちに寄り添う施設や、シングルマザー家庭を訪問し、「子どもの貧困」の今に迫る姿を映す。現在、全国にどれだけ支援を必要とする子どもたちがいるかを知り、そして昨年のやす子の「全国の児童養護施設に募金マラソン」での寄付金で贈呈された品物が子どもたちに喜ばれている様子を実際に見て、横山の「走る思い」はより強くなった。
【編集部MEMO】
横山は取材に応じた際、「実際に弟がお世話になった施設をロケで行かせていただきましたが、やす子ちゃんが去年走った支援金で届いたテレビが飾ってありました。そこに子どもたちが集まっているのを見て、俺が走る意味があるなと。弟がお世話になっているので、またここに支援金で何かをプレゼントできるかなと思い、背中を押してもらいました。自分が走る意味があるんだと思い、頑張ろうと真剣に思いました」と決意を新たにしていた。
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