また、「感謝すること」も日々大事にしているという。
「デビューした頃からずっと、家の寝室の天井に『感謝』という文字を書いて貼っています。僕は恨みもエネルギーにしていますが、誰かを恨んだことでいいネタができたら、それはその人のおかげなので、結局その人に感謝するんです」
「お笑いが好き」という変わらない思いも原動力になっていると言い、「お笑いが好きだし、お笑いしかできないと思っているし、そこから逃げてしまったら全部なくなるような気がします」と語る。
そもそもお笑いの道に進んだのは、相方・村田秀亮に誘われたからだった。
「もともとは洋服の学校に行こうと思っていたんですけど、相方がお笑いやると言って、僕のことを『めちゃくちゃおもろい』と褒めて誘ってきて。それがきっかけです。人生なんて勘違いですよ。褒められたらやってみようかなと思うじゃないですか。実際にやってみてやりがいも感じましたし、褒められたことが少ないから、自分にはこれが向いているんだと思って突き進んできました」
お笑いしかないという久保田だが、『M-1』で優勝できなかったら芸人をやめる覚悟だったという。
「例えば、キャバクラに落としたい女がいて、15年で落としてみろとなったとき、15年目に全財産を突っ込んで振り返ってくれなかったら生きていけないでしょ。『M-1』の女神を振り返らすためにどれだけ失ったものが多いか。感情も時間も全部捧げてきたので、それでダメだったらやめるしかないなと」
そして、「『M-1』は慟哭です。泣き叫ぶものですよ」とずっと苦しめられてきたと吐露するも、優勝で得られたものはとてつもなく大きかったようだ。
「僕のろくでもない生き方をみんな笑って、『コイツ何してんねん!』と面白がってくれる。それだけだったら、ただのクズ芸人のエピソードですが、優勝したことで全部がひっくり返って、実はクズじゃないんだと。苦労した人のおもしろ話だったと思わせられたことがうれしかったです。『M-1』優勝でその証明ができました」
さらに、『M-1』優勝後の変化をRPG(ロールプレイングゲーム)に例えて表現する。
「優勝するまではブリーフのパンツで木の棒を持った初期設定の装備でうろちょろ歩いていただけだったのが、優勝したことによって黄金の甲冑が着られるようになったみたいな。みんな声をかけてくれるし、景色も変わるし、仕事も増えました」
今後については、『M-1』優勝のような具体的な目標はないそうで、「なるべく今日を楽しく、幸福度指数の高い生き方をしたいとは思っていますが、番組MCをしたいとか具体的なものはないです。目標は決めずに、そのときの自分の思いを大事にしていきたいです」と語っていた。
1979年9月29日生まれ、宮崎県出身。宮崎日大高校の同級生だった村田秀亮と2002年にお笑いコンビ・とろサーモンを結成。2006年に第27回ABCお笑い新人グランプリ最優秀新人賞、2008年に第38回NHK上方漫才コンテスト最優秀賞を受賞。『M-1グランプリ』では9度の準決勝敗退を経て、ラストイヤーの2017年に初めて決勝に進出し、優勝を果たした。