【2025年版】日本人メジャーリーガーの歴代最高年俸ランキング31~35位【M…

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 毎年、多数の選手が新たな契約を結び、年俸の高騰が話題を呼ぶMLB。日本人選手に目を向けると、2024年オフには菅野智之投手、佐々木朗希投手、小笠原慎之介投手らが新たに海を渡った。

 

 ここからは、歴代日本人メジャーリーガーの最高年俸ランキングを紹介していく。時代によって1ドルの価値が変化する様や、日米の年俸格差、そして成功した選手の存在が後続の選手らの契約に与える影響を感じることができるかもしれない。(※年俸は『BASEBALL REFERENCE』と『Spotrac』を参照。1ドル150円で統一した。)

 

 

第35位 和田毅

最高年俸:407万ドル(約6億1050万円)

対象年度:2012〜13年(ボルチモア・オリオールズ所属)

 

 2011年オフにボルチモア・オリオールズと2年総額815万ドルで契約した和田毅。

 

 しかし、1年目の12年はスプリングトレーニング中のけがで左肘靱帯再建手術(通称トミー・ジョン手術)を受けることとなり、1年間を棒に振った。

 

 投球再開後も患部の状態は思わしくなく、13年も再び長期の故障者リスト(IL)入り。復帰後はマイナーで先発登板を続けたが、オリオールズ在籍2年間はメジャー登板なしに終わり、同年限りで自由契約となった。

 

 

 オフにはシカゴ・カブスとマイナー契約。シーズン途中にメジャー契約へ移行した。

 

14年は初登板を含む13試合に先発し、4勝4敗、防御率3.25をマーク。翌15年は8試合(7先発)で1勝1敗、防御率3.62の成績となった。

第34位 伊良部秀輝

最高年俸:412万5000ドル(約6億1870万円)

対象年度:2000年(モントリオール・エクスポズ〔現ワシントン・ナショナルズ〕所属)

 

 1997年シーズン途中にニューヨーク・ヤンキースと4年総額1280万ドルで契約した伊良部秀輝。

 

96年オフにメジャー移籍を表明した際には、サンディエゴ・パドレスが保有権を有したが、伊良部がヤンキース入りを熱望してパドレスとの大型トレードという形で希望を叶えた。

 

 

 1年目の97年は物足りない成績だったが、98年は13勝、99年は11勝をマーク。契約が1年残った99年オフにはモントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)にトレード移籍となったが、2000年は11試合登板で2勝に終わった。

 

 01年オフにはテキサス・レンジャーズとマイナー契約。リリーフとして開幕メジャー入りを掴み、一時はクローザーの役割を担った。

 

しかし、シーズン途中に肺血栓塞栓症(エコノミー症候群)により戦線離脱。02年は38試合登板で3勝8敗16セーブ2ホールド、防御率5.74の成績となった。

第33位 高橋尚成

最高年俸:420万ドル(約6億3000万円)

対象年度:2012年(ロサンゼルス・エンゼルス所属)

 

 2009年オフにニューヨーク・メッツとマイナー契約を結んだ高橋尚成。

 

 開幕前にメジャー契約を勝ち取ると、同年は53試合(12先発)で2桁10勝を挙げるなど存在感を示した。

 

 

 オフにはロサンゼルス・エンゼルスと2年総額800万ドルで契約。リリーフに専念した11年は61試合に登板し、4勝3敗2セーブ7ホールド、防御率3.44とまずまずの安定感を見せた。

 

 エンゼルス、ピッツバーグ・パイレーツの2球団でプレーした12年は計51試合登板で防御率5.54と悪化。翌13年に所属したカブスでは、マイナー契約からメジャー昇格を果たしたが、シーズン途中にフリーエージェント(FA)に。

 

 直後にコロラド・ロッキーズと契約したが、メジャー登板はなかった。

第32位 藤川球児

最高年俸:450万ドル(約6億7500万円)

対象年度:2013〜14年(シカゴ・カブス所属)

 

 2012年オフにシカゴ・カブスと2年950万ドル+出来高払いで契約した藤川球児。

 

デビュー戦で初セーブを挙げるなど好スタートを切ったが、シーズン序盤のけがでトミー・ジョン手術を受け、長期離脱を強いられた。

 

 

 14年も長期のIL入りを強いられるなど手術の影響は大きく、登板数も15試合どまり。本来の力を示すことはできなかった。

 

 FAとなったオフにはテキサス・レンジャーズと契約。シーズン途中に移籍後初登板を果たすも、わずか2試合の登板でシーズン終了を待たずに自由契約となった。

第31位 大家友和

最高年俸:453万ドル(約6億7950万円)

対象年度:2006年(ミルウォーキー・ブリュワーズ所属)

 

 1998年にオフにボストン・レッドソックスとマイナー契約を結んだ大家友和。

 

 2001年シーズン途中にモントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)へトレード移籍となった。

 

 

 02年には32試合(192回2/3)を投げ、13勝8敗、防御率3.18をマークするなど飛躍。翌03年は負け越したものの、2桁10勝を挙げるなど多彩な球種と制球力の高さを武器に先発ローテーションの一角を担った。

 

 ナショナルズ、ミルウォーキー・ブリュワーズの2球団に在籍した2005年は計11勝をマーク。オフには178万ドル増の453万ドルでブリュワーズと再契約を交わした。

 

 

【了】