【2025年版】日本人メジャーリーガーの歴代最高年俸ランキング21〜25位【M…

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 毎年、多数の選手が新たな契約を結び、年俸の高騰が話題を呼ぶMLB。日本人選手に目を向けると、2024年オフには菅野智之投手、佐々木朗希投手、小笠原慎之介投手らが新たに海を渡った。

 

 ここからは、歴代日本人メジャーリーガーの最高年俸ランキングを紹介していく。時代によって1ドルの価値が変化する様や、日米の年俸格差、そして成功した選手の存在が後続の選手らの契約に与える影響を感じることができるかもしれない。(※年俸は『BASEBALL REFERENCE』と『Spotrac』を参照。1ドル150円で統一した。)

 

 

第25位タイ 田澤純一

最高年俸:700万ドル(約10億5000万円)

対象年度:2018年(マイアミ・マーリンズ、ロサンゼルス・エンゼルス所属)

 

 2008年オフに日本球界を経由せず、ボストン・レッドソックスと3年契約を結んだ田澤純一。

 

 1年目の09年からメジャー登板を果たし、12年にはリリーフとして37試合に登板するなど着実なステップアップを見せた。

 

 

 クローザー候補にも名前が挙がった13年は71試合に登板し、5勝4敗25ホールド、防御率3.16をマーク。セットアッパーとしてワールドシリーズ制覇に大きく貢献した。

 

 以降もリリーフ陣に欠かせない存在として大事な場面で登板を重ねた田澤。

 

 16年オフにはマイアミ・マーリンズと2年総額1200万ドルで契約を交わし、18年はマーリンズ、ロサンゼルス・エンゼルスの2球団でプレーした。

第24位 城島健司

最高年俸:766万6666ドル(約11億4990万円)

対象年度:2009年(シアトル・マリナーズ所属)

 

 2005年オフにシアトル・マリナーズと3年契約を結んだ城島健司。現在でも日本人捕手としては唯一のメジャー挑戦者となっている。

 

 

 1年目の06年は144試合に出場し、打率.291、18本塁打をマークするなど結果を残した。以降もチームの正捕手として活躍を続け、翌07年は135試合出場で打率.287、14本塁打をマーク。

 

 08年は打率.227、7本塁打と苦しんだが、オフには3年総額2400万ドルで再契約を交わした。

 

 しかし09年はけがの影響と若手の台頭もあって出場機会が大きく減少。71試合の出場にとどまり、残り2年の契約を破棄して日本球界復帰を決断した。

第22位タイ 秋山翔吾

最高年俸:800万ドル(約12億円)

対象年度:2022年(シンシナティ・レッズ、サンディエゴ・パドレス傘下3A所属)

 

 NPBではシーズンの最多安打記録(216本)を樹立した秋山翔吾。

 

 首位打者1度、最多安打4度の安打製造機は、2019年オフにメジャーで唯一日本人選手が所属したことのなかったシンシナティ・レッズと3年総額2100万ドル(約22億500万円)で契約を結んだ。

 

 

 メジャー1年目の20年は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で60試合制となった。開幕からメジャーへの適応に苦しんでいたが、終盤は調子を上げ、打率.245、7盗塁でシーズンを終えた。

 

 さらなる飛躍が期待される21年だったが、左太もも裏を痛め、開幕を負傷者リスト(IL)で迎えた。復帰後は外野守備で再三の好守を見せた一方で、打率.204と打撃成績は低迷。

 

 22年開幕直前に退団が決まると、その後はサンディエゴ・パドレス傘下3Aでプレーしたが、メジャー昇格は叶わず。シーズン途中に広島東洋カープへの入団を発表し、日本球界復帰を決めた。

第22位タイ 佐々木主浩

最高年俸:800万ドル(約12億円)

対象年度:2003年(シアトル・マリナーズ所属)

 

 1999年オフにシアトル・マリナーズと3年契約を結んだ佐々木主浩。1年目の2000年からクローザーとして63試合登板で37セーブを挙げ、新人王を受賞した。

 

 

 01年は45セーブと数字を伸ばし、翌02年も37セーブをマーク。3年連続60試合以上登板の献身ぶりも見せ、オフには2年総額900万ドルで再契約を交わした。

 

 03年も不動の守護神として開幕を迎えたが、故障の影響もあってクローザー降格。最終的に自己最少の35試合登板で10セーブ、防御率4.05と投球内容も悪化し、1年契約を残して日本球界へ復帰した。

第21位 松井稼頭央

最高年俸:803万3333ドル(約12億500万円)

対象年度:2006年(ニューヨーク・メッツ、コロラド・ロッキーズ所属)

 

 2003年オフにニューヨーク・メッツと3年2010万ドル+出来高払いで契約した松井稼頭央。

 

 「1番・遊撃」で出場したデビュー戦では、初打席で初球先頭打者本塁打を放つ鮮烈デビューを飾り、シーズンを通してまずまずの活躍を見せた。

 

 しかし、二塁にコンバートした2年目の05年からは相次ぐけがの影響もあって成績を落とし、06年シーズン途中にコロラド・ロッキーズへトレード移籍となった。

 

 

 以降もけがとの戦いが続いたが、08年からプレーしたヒューストン・アストロズでは、09年に自己最多の132試合出場で5年ぶりの規定打席到達となったが、打率.250、9本塁打、19盗塁と好不調の波が大きかったことが起因し、打撃面ではやや物足りない数字に。

 

 10年シーズン途中に自由契約となり、直後に古巣・ロッキーズとマイナー契約を結んだが、メジャー昇格はならなかった。

 

 

【了】