――藤岡さんと大友さんは、そんな大先輩と共演されてどんなことを感じられましたか?
藤岡:僕にとっては初めての本格的な時代劇ですし、シリーズ8作目まで北大路さんをはじめ皆さんが作られてきた世界観の中にどう信次郎として入っていけるのかというのは、自分の中でも一つの課題でした。でも撮影に入った時に、北大路さんや監督をはじめスタッフの皆さんがすごく温かく迎えてくださったんです。
常に皆さんが作品をより良くするために毎シーン毎シーン話し合って、心を一つにして作っているのが初日から分かったので、自分の中でも「こうじゃないか」と考えてやっていくと、一緒に芝居する皆さんがちゃんと受け取ってくださる。それに対して僕もまたぶつけてキャッチボールができるように体制を整えてくれました。だから、想像していたよりも葛藤することなく自由に表現させていただけたと思います。本当にかけがえのない時間で、自分が出ていない他の方の掛け合いのシーンもすごく勉強になって、素晴らしい作品に入らせていただいたことに感謝しています。
大友:第8作まで続くシリーズなので、皆さんに愛されている世界に飛び込むということで、うれしさもあり背筋が伸びる思いもありました。分からないことがたくさんあるので、全部吸収して帰ろうという気持ちで、大先輩の皆さま、京都のスタッフの皆さまと向き合う日々になりました。
私も藤岡さんと同じように緊張していたんですけど、この取材が始まる前にも北大路さんが椅子を引いてくださったり、ずっと周りを見てくださっているんです。向き合って正座で話しているシーンで、私がちょっと足先を組み替えたら、それに気づいて「椅子を彼女に持ってきてあげてください」ってスタッフさんに声をかけてくださったり。そういう優しさに加えて力強さもあって、北大路さんが清左衛門そのままだったんです。だから私自身、照日が清左衛門に助けてもらうように撮影中ずっと助けていただき、落ち着いて役に集中することができました。
北大路欣也が少年時代に打たれていた滝
――時代劇といえば、撮影所育ちの監督さんをはじめ美術さん、照明さんといった受け継がれていく職人の技があると思います。『三屋清左衛門残日録』を撮影される中で、やはりそういうものは実感されますか?
北大路:私はデビューしたのが13歳でしたが、どこの撮影所に行ってもスタッフの方々に長年伝授されている技術は変わらないですね。でも私たちは全部に接することができるわけではないんです。出来上がったものを見て初めて「すごい」と気づくんですよ。
大友:全てのスタッフの皆さんと近い距離でやり取りするというのはなかなか難しいのですが、完成した作品を見て「あの時されていたことがこうなるんだ!」と思います。
北大路:それだけ陰で、本当に縁の下の力持ちとしてみんなが支えてくださる上に我々がいる。それはすごく幸せなことです。私たちがスタジオに入る前からセットを掃除して磨き上げる小道具や大道具の方から、照明など器具を操作している方々。昔はインカムがなかったのですごく大きな声が現場で飛び交っていたんですけど、変化したのはそれくらい。指示が出て若いスタッフが素早く動いているのを見ると、昔と全然変わらないですね。そういうのを見ながら、我々はこの出来上がった世界でどう役を生きていくか。ああいう姿を見ていたら、誰だって燃えますよね。
大友:応えたいと思いますね。
藤岡:そうですね。
大友:普段は観光客の方がいらっしゃる滝(京都府京丹波町の琴滝)の近くに祠(ほこら)やお社が建っていて、本物だと思って何げなく触ってると美術さんが用意したものだったんです。とてもリアルでその空間が本当に私たちが生きやすい世界になっていることに、いつも感動していました。
藤岡:「鳥居は本物なんですか?」と聞いてみたら、「建てた」と言われてびっくりしました。
北大路:私はあの滝に、少年時代から行っていたんですよ。滝に当たったこともあるし。
大友・藤岡:えー!!
北大路:京都という土地には、1時間ぐらい車で走れば時代劇の理想とする場所があるんですよ。滝もあるし川もあるし。だから京都によって時代劇が全盛になって、時代劇を守ってくれた。私はそんな京都で生まれて京都で育ったので、時々関西弁が出るんです。そしたら、(藤岡に)標準語に直されちゃって(笑)
藤岡:そんな……(笑)
北大路:もちろん標準語で一生懸命やるんだけど、スタッフの方の京都弁を聞くと、ふと戻ってしまうんですよ。それであなた(藤岡)の顔を見て、「ああ直さなきゃ」って。
藤岡:違うんです!北大路さんに「これで(標準語)合ってる?」と聞かれて、「これが正しいと思います」って言ったんです! その直後に、自分のセリフでなぜかなまってしまって、北大路さんに指摘されてしまいました(笑)
北大路:あれは仕返し(笑)