東京都は、国内外から訪れる旅行者の多様なニーズに応えながら、誰もが快適に観光できる都市を目指している。東京商工会議所 Hall & Conference Roomでは29日にシンポジウムを実施。障害者や高齢者などが安心して観光できる「アクセシブル・ツーリズム」の充実に向けて、基調講演、パネルディスカッション、ミニセミナーなどが開催された。
東京都は、国内外から訪れる旅行者の多様なニーズに応えながら、誰もが快適に観光できる都市を目指している。東京商工会議所 Hall & Conference Roomでは29日にシンポジウムを実施。障害者や高齢者などが安心して観光できる「アクセシブル・ツーリズム」の充実に向けて、基調講演、パネルディスカッション、ミニセミナーなどが開催された。
■親孝行温泉のススメ
冒頭、主催者を代表して東京都産業労働局の江村信彦氏が挨拶した。日本政府観光局(JNTO)によれば、2024年の訪日外国人旅行者数は3,686万9,900人で過去最高となる見込み。江村氏は「旅行需要は堅調に推移しています。さらに今年9月には世界陸上、11月にはデフリンピックの開催も控えており、選手や関係者の方々をはじめ、国内外から数多くの旅行者が東京を訪れることが見込まれます」と話す。
そのうえで「東京都としても、都民の皆様、観光関連事業者など、幅広い関係者の協力のもと、アクセシブル・ツーリズムの充実を図ってまいります」と江村氏。先の東京五輪2020大会では公共交通機関、宿泊施設、町の施設のバリアフリー化が進んだことにも触れ、「今後とも、ハード・ソフトの両面から取り組みを加速させていきます」と話した。
続いて、NHKラジオ深夜便(旅の達人「バリアフリーで温泉を楽しむ」コーナー)に出演するなど、多方面で活躍中の温泉エッセイスト山崎まゆみ氏が基調講演を行った。テーマは「旅の達人が語るバリアフリーな家族旅行」。同氏は、高齢となった両親を温泉旅行につれていくことを”親孝行温泉”と名付けたそうだ。その経緯について、以下のように話した。
「父親が晩年、病院に入院しました。やがて足腰も弱まり、院内の廊下を歩くこともおぼつかなくなったんです。私は足腰の衰え以上に、メンタルが弱まっているのを心配しました。『俺はもう家に帰れないんじゃないか』などと言う父親を見たとき、温泉宿に泊まって元気を取り戻してほしい、と思い立ちました」。
そこで病院から外出許可をもらい、クルマで30~40分の場所にある温泉旅館に両親を連れて行った。仕事柄、全国各地にある温泉宿に詳しく、その温泉宿はバリアフリー対応で貸切風呂もあることを熟知していた。
「父はマインドも内向きになっていました。『そんなところに行っても何もできないし、迷惑をかけるだけだから』と言う父を、なかば引きずるようにして連れて行ったんです」と苦笑いする山崎氏。そして、その効果は抜群だった。「まず病院着から外出用の洋服に着替えるだけで、表情が明るくなりました。タクシーで山間を走っていたときも『もう山の緑がこんなに芽吹いているんだ』『綺麗だね』って、楽しそうに独り言を呟いているんですね。温泉旅館に着いた頃には父もリラックスした顔つきになっていて。早速、浴衣に着替えて温泉に行くんですが、私が貸切風呂で入浴介助をするつもりでTシャツを着て付いていくと、『お前に介助してもらうほど弱っちゃいない』『大浴場のでっかい風呂に入って、お湯の中に浮かびたいんだ』と断られました。その後、母と一緒に父の湯上がりを待つんですが、なかなか上がってこない。もしかしたら倒れているんじゃないか、と心配して、温泉宿のスタッフの方にお願いして様子を見てきてもらいました。やがてスタッフの方が戻ってきて、和やかな表情で『お父さん、良い湯だそうです』と報告してくれました。しばらくして、温泉を満喫した父が大浴場から出てきました。顔もツヤツヤで、頬も少し赤く染まっていて。朝、病院着のときの父の表情とはまったく違う、晴れやかなものでした」。
大浴場に杖を忘れ、しっかり自分の足で歩いて戻ってきた父を見て山崎氏は「本当にこういうことってあるんだ」と思ったそう。そのときに”親孝行温泉”というワードを思いついた、と笑顔で話す。
実は、山崎氏の妹は2歳で身体障害者となり、両親はその介護で大変な時間を過ごしてきた。だから妹さんが亡くなり落ち着いてからの5~6年間、3人で何回かの家族旅行をしたという。あるとき鹿児島を訪れ、その温泉宿から帰るときにエントランスで撮影した写真が父の遺影になった。「やっぱり旅行中は、良い表情が撮れます。良い表情というだけでなく、家族の思い出も共有した写真になるんですね。この写真は、私が大好きな父の表情をしています。考えてみれば、私と母が遺影の候補に挙げた写真は、どれも家族旅行中のものでした」。
後半はアクセシブル・ツーリズムの拡大に向けた取り組みについて話した。ここで山崎氏は、そもそも”バリアフリー”という言葉が障壁になっているのではないか、と指摘する。「私もこれまで温泉地の皆様に働きかけてきたんですが、そのとき『バリアフリー温泉をやってみませんか』と聞くと反応が良くありません。受け入れる側は、館内をすべてフルフラットにしないといけない、スロープも作らなくちゃ、予算が足りない、ハードルが高いと尻込みしてしまうんですね。でも『親孝行温泉をやってみませんか』と聞くと、事業者さんも『うちでもできるかな』『できることから始めても良いかな』と、前向きに考えてくれます」。
東京都では「東京観光 バリアフリー情報ガイド 全35コース」という冊子を無料配布している。また、東京都参道労働局のホームページにも一部の詳細情報をプラスして掲載している。この出来が素晴らしい(けれど一般の人に伝わっていない)、と山崎氏。「障害を持っている方とそのご家族が、一緒に観光を楽しみたいと思ったとき、行った先がどんな施設か分からないと訪れる勇気が持てません。こうしたバリアフリー情報ガイドは、そんな人たちの背中をそっと押してくれるものです。ぜひ、多くの人に閲覧してもらえたらと思います」。
最後は、海外における事例を紹介した。たとえばアメリカの温泉地であるパゴサホットスプリングスは段差だらけの入浴施設で、バリアフリーの設備が充実できていない。けれど入浴者同士で肩を貸し合うなどして、助け合うことで不便さを克服している。こうした事例もひとつのヒントになるのではないか、と伝えた。
■情報発信は的確に
このあと、会場ではパネルディスカッションが開催された。テーマは「情報通信社会におけるアクセシブル・ツーリズムの推進」。パネリストの山田肇氏は、ツーリズム情報を案内するときは受け手を特定して正しい発信をすること、と指摘する。
「例えば、公共交通機関において。施設特性に基づく情報提供においては英語併記を基本とし、必要に応じては中国語、韓国語を含めた表記を行うことが望ましいとしていますが、次の駅まで2分で到着する電車において日本語、英語、中国語、韓国語の案内が順番に表記されていたら、情報が取得できずに降りそびれる乗客が出ます」と山田氏。逆にユニバーサル・スタジオ・シンガポールで、とあるアトラクションに乗るときに英語で短くYOU WILL GET WET, POSSIBLY SOAKED!(濡れるよ、びしょ濡れかも)と書かれているのを見て「整理された情報が最も理解しやすい方法で表示されている」と感心したという。
グリズデイル・バリージョシュア氏は「日本はバリアフリーが進んでいます。もっと自信を持って発信して良いと思います」と話す。日本人の間には完璧な設備を整えないとバリアフリーを名乗れないような雰囲気があるけれど、そこは当事者による情報発信でカバーできる、と同氏。
方山れいこ氏は、過去にJR巣鴨駅のアナウンスや音声を、文字、手話、オノマトペで視覚化する試み「エキマトペ」に関わった人物。自身が率いる企業ではたくさんの身体障害者が活躍していることを紹介したうえで「世界で聴覚障害のある人は、2050年までに4人に1人になると言われています。聴覚障害がマイノリティでなくなる未来が来ると、見える世界も変わってくるのではないでしょうか」と新しい視点を提供した。