開業1周年を迎えて間もない2024年9月12日、宇都宮ライトレールの累計利用者数が500万人に到達したという。環境性(低公害・省エネ)や少子高齢化社会を前提とするコンパクトシティ構想とも親和性の高いLRT(次世代型路面電車システム)は、宇都宮ライトレールの成功により、今後、全国に広まる可能性がある。

  • 富山港線のLRT車両「ポートラム」が東岩瀬駅の旧駅舎を通過

ところで、最近は宇都宮ライトレールが注目されることが多いが、「LRTの先駆者」といえば富山県富山市の富山地方鉄道軌道線(市内電車)である。

富山港線の歴史は波乱万丈、事業体名の変更は7回

東京駅から北陸新幹線「かがやき」に揺られること約2時間半。JR富山駅の改札を出ると、駅構内からフラットな動線で富山地方鉄道軌道線に乗り換えられる。

富山地鉄の市内電車は現在、計6系統を運行。行先別で見ると、富山駅を起点に市街地をぐるりと1周する環状線をはじめ、南富山駅前行、富山大学前行、そして岩瀬浜行がある。このうち岩瀬浜駅へ向かう富山港線(富山駅~岩瀬浜間7.7km)は、その歴史を見ると波瀾万丈で面白い。

  • 富山駅の市内電車のりばに設けられた踏切

  • 富山地鉄の市内電車。系統によっては旧型車両も運行されている

富山港線は、現在の富山港周辺が工業地帯化したことを受け、いまから100年前の1924(大正13)年7月、富岩鉄道によって開業した。その後、戦時下の1941(昭和16)年12月、富岩鉄道から富山電気鉄道へ事業譲渡されている。富山電気鉄道は1943(昭和18)年1月に県内の他の鉄軌道を合併して富山地方鉄道となったが、戦争で富山港の重要性が高まる中、富山港線(当時は富岩線)は1943年5月に戦時買収を受け、国有化された。

戦後は国鉄富山港線となり、国鉄分割民営化を経てJR西日本の所管となった。その後、北陸新幹線の延伸に伴う富山駅の高架化が構想されると、多額の投資に見合う利用が見込めない富山港線は高架化せず、LRT化することが提案・決定された。これにより、JR富山港線は2006(平成18)年2月末をもって廃止。約2カ月間のLRTへの切替期間を挟んで、同年4月29日に富山市等が出資する第三セクターの富山ライトレールとして再スタートした。

  • 富山ライトレール整備時のイメージ(出典 : 国土交通省資料)

2020年2月には、富山港線が市内電車とつながったことを機に、富山ライトレールを富山地方鉄道へ吸収合併。富山港線は77年ぶりに富山地方鉄道へ「復帰」した。以上を見ると、富山港線を運行する事業体名が「富岩鉄道→富山電気鉄道→富山地方鉄道→鉄道省→国鉄→JR西日本→富山ライトレール→富山地方鉄道」と、7回も変わっていることがわかる。

既存路線をLRT化して存続する先例となったが

富山港線の歴史には、興味深い点がいくつかある。1943~1944年の間、富山港線と同じように戦時買収を受けて国有化された地方鉄道は、鶴見臨港鉄道(現・JR鶴見線)や南武鉄道(現・JR南武線)をはじめ、全国で22社(一部の路線が買収された会社も含む)にものぼったが、その後に被買収会社に返還された例は、富山港線が唯一である。

少し別の観点から見ると、所属会社から一度離れた路線が、同じ会社に再び戻ったという意味でも珍しい例だ。たとえば小田急小田原線は、戦時統制により小田急電鉄が東京急行電鉄(大東急)に合併されたことで東急小田原線となり、戦後、小田急電鉄が東急から独立したことで小田急小田原線に戻っているが、「大東急」の期間に小田急電鉄は存続していない。

三重県の桑名駅と岐阜県の揖斐駅を結ぶ養老鉄道が、紆余曲折の末に近鉄養老線となった後、2007年に近鉄の子会社として養老鉄道の社名が復活した事例なども同様である。他の事業体へ路線が譲渡された後、実家とも言うべき元の会社が存続し続け、出戻った例は非常に珍しいのではないか。もし他の事例をご存知であれば、教えてほしい。

さらに昨今、各地で鉄道の存廃が議論される中、富山港線は旧国鉄(JR)の路線をLRT化し、存続させることに先鞭をつけた事例でもある。富山港線は富山ライトレール開業前の2005年度まで利用者の減少が続き、同年度の1日あたりの輸送人員は平日2,265人・休日1,045人だったが、LRT化後の2006年度は平日4,893人・休日4,917人と大幅に増加した。

  • 富山地鉄の市内電車と富山港線がつながったことにより、「セントラム」などの車両も富山港線へ乗り入れるようになった

こうしたことから、同じ富山県内を走るJR城端線(高岡~城端間)・氷見線(高岡~氷見間)も、最近までLRT化を検討してきたが、2023年3月に行われた城端線・氷見線LRT化検討会で、LRT化を断念すると結論づけられた。今後は国の新たな支援制度(改正地域交通法。2023年10月施行)を活用しつつ、「新型鉄道車両の導入」を含む利便性の向上をめざす。城端線・氷見線の経営に関しては、今年2月8日付で、あいの風とやま鉄道への事業譲渡を前提とする「城端線・氷見線の鉄道事業再構築実施計画」が国交省から認定された。

LRT化検討会に提出された資料を見ると、城端線・氷見線のLRT化に必要な費用(導入車両数を25編成75両とする前提)は、架線ありの場合で435億円(うち車両費114億円)、蓄電池式による架線なしの場合で421億円(うち車両費191億円)と試算されている。これは新型鉄道車両26両を導入する場合の費用131億円、BRT(バス高速輸送システム)化する場合の費用223億円(75台分の車両費21億円、道路整備費135億円など)を大幅に上回る。同資料には、富山港線は電化されていたためLRTへの切替えが約2カ月で済んだが、城端線・氷見線は非電化のため、より長期の運休(約2年)が必要となること、低床であるため冬季に運行障害を起こすリスクが高いといった課題も挙げられている。

「城端線・氷見線の鉄道事業再構築実施計画」では、新型車両の導入をベースとする事業費合計を341.2億円(新型車両の導入に173億円、ICカード導入に4.6億円、運行本数増加・パターンダイヤ化に44.8億円、高岡駅での両線の直通化に37.8億円など)としているが、それでもLRT化より割安ということになる。

LRTはこれまで、比較的容易に整備可能な都市交通手段のひとつとして選択肢に挙げられることが多かった。しかし、本当にそうなのかという問題意識が提起された事例であるように思う。

富山港線の終点、岩瀬浜駅周辺には何がある?

では、実際に富山港線に乗車してみることにしよう。富山駅を発車して最初の約1.2kmは、一般の道路上に敷設された軌道を走り、普通の路面電車と変わらない。しかし、奥田中学校前駅の手前から鉄道線区間に入ると、低床型の車両にもかかわらず、かなりのスピード(60km/h程度)を出す。

  • 岩瀬浜駅は富山港線の終着駅

  • 富山港線の案内役はキャラクターの岩瀬ゆうこ。各駅で見かける

富山港線は乗車するだけでも楽しいが、終点の岩瀬浜駅周辺に見るべきものはあるだろうか。じつは、岩瀬浜駅のある岩瀬地区にはミシュラン掲載店が6店舗もあり、近年、グルメの街として注目されているという。財布に余裕のある方は、ぜひゆっくりと楽しんでいただきたい。

観光名所として有名なのは、明治時代に建てられた北前船廻船問屋の森家(国重文)だが、現在は「令和6年能登半島地震」の影響で耐震補強工事が実施され、休館中(隣の馬場家は見学可能)とのこと。また、岩瀬地区で専門の漁が行われているシロエビは富山湾の味覚として有名だが、筆者が訪れた9月上旬は不漁のため、「岩瀬カナル会館」内のレストランでシロエビを食べることが叶わなかった。シロエビを目的に岩瀬浜を訪れる人は、事前に確認してほしい。

結局、2つの訪問目的に「振られた」格好になったが、富山港周辺を歩いたところで面白いものを見つけた。「富山港展望台」である。1986年に完成したというこの展望台の高さは地上25m。なんとも不思議な外観は、地元の金比羅社の境内にある常夜燈がモデルになっているという。

  • 「富山港展望台」の外観

  • 時代を感じる「富山港展望台」のテープ始動ボタン

建物内にエレベーターはなく、らせん状の約100段の階段をせっせと上る。展望室からは、眼下に富山港や岩瀬地区の町並みが見えるほか、天候に恵まれれば立山連峰や能登半島まで見渡せる。ふと見ると、壁際に赤いボタンがある。案内が流れる「テープ」の始動ボタンだという。本当にテープが使われているかはわからないが、「テープ」の3文字に時代を感じずにはいられなかった。

富山地鉄には「日本一長い駅名」や懐かしい車両も

さて、ここまで富山港線を中心に見てきたが、市内電車とバス、富山地方鉄道の電鉄富山~南富山間が乗り放題となる「1日フリーきっぷ」(大人650円)を使って富山市内を巡るだけでも、丸一日楽しめる。富山城(富山市郷土博物館)や美術館などの見学のほか、富山地方鉄道の市内電車で富山大学前行に乗れば、現在の「日本一長い駅名」である「トヨタモビリティ富山 Gスクエア五福前(五福末広町)」にも行ける。訪問すれば話のタネになるだろう。

  • 「1日フリーきっぷ」はスクラッチ式

  • 現在、「日本一長い駅名」となっている「トヨタモビリティ富山 Gスクエア五福前(五福末広町)」

  • 「レッドアロー」の愛称で親しまれた元西武鉄道5000系も活躍している

富山地方鉄道には懐かしい車両も走っている。かつて「レッドアロー」の愛称で親しまれた元西武鉄道5000系だ。筆者は南富山駅から富山駅まで乗車したが、観光列車として車内の座席等が改造されており(デザインは水戸岡鋭治氏)、西武鉄道時代の面影はほとんどなかった。なお、「レッドアロー」の後を継いだ「ニューレッドアロー」こと元西武鉄道10000系も富山地方鉄道へ譲渡され、「キャニオンエキスプレス」の愛称で活躍している。

その他、富山県の交通系の話題として、日本に最後まで残ったトロリーバス(無軌条電車)である「立山トンネルトロリーバス」が老朽化のため、11月30日を最後に事業廃止となる(2025年4月から電気バスで運行予定)。また、黒部峡谷鉄道は能登半島地震による落石で鐘釣橋が損傷し、宇奈月~猫又間で区間運転を行っているが、10月5日以降、普段は降りられない猫又駅で降車可能になった。

こうした貴重な体験を求め、秋の行楽シーズンに富山へ出かけてみるのもおすすめだ。