■社員の働く環境は?
DDAMに勤める社員にも話を聞いた。AIイノベーション事業部事業部に在籍するツェレンサンブー・バーサンドルジさんは、モンゴルでソリューション開発を続けながら、日本チームとの橋渡し役も務める人物。「生成AIの登場により、最新技術のトレンドは移り変わりのスピードが速くなりました。そこで、エンドクライアントのニーズを最も理解している日本のメンバーたちに、AIの最新情報を伝えています」と話す。
「毎週R&D(研究開発)の成果物を報告して、技術のキャッチアップを行っています。直近では生成AIでどんなことができるか、日本のメンバーに実際に触れてもらう機会をつくるためにワークショップを開催しました。最新技術ならここまで出来る、それならあのクライアントの依頼にも応えられるのでは、という閃きにつながっています」とバスカさん。
――とても流暢な日本語ですが、どこで学びましたか?
もともと高校生のときに、モンゴルで日本語を学びました。やがてドラゴンボールにハマり、アニメオタクになりました。漫画は日本語のまま読みますし、アニメも日本語で見るのが好きです。最近だと葬送のフリーレンにハマりました(笑)。
初めて日本に留学したとき、若者言葉が理解できないことがありましたが、アニメを見ることで同世代の話も分かるようになりました。日本には2011年3月に初めて行きました。大学の卒業後に日本で就職して5年間働いたので、のべ10年弱は日本にいたことになります。
――DDAMの好きなところは?
難しい課題に直面しても、チームが一丸となって乗り越えることができます。若い会社なので、勢いがあります。
――日本人のメンバーとは、どんな仕事をしていますか?
普段、日本チームとはリモートでやりとりをしています。年に数回、メンバーがモンゴルに来るときはプロジェクトの年間計画を立てたり、ソリューションの新しいアイデア出しを行ったりします。最近だと4月に、ECサイトにチャットボットを導入するプロジェクトがありました。そこでどうやったら良くなるか、議論を交わしました。
ユーザーとAIが対話しながら、後ろで対話シナリオを適用したら良いんじゃないか? いまユーザーが何を探しているのか、そのニーズを探って商品を提案しよう、新しい顧客体験にもつながるんじゃないか、そんなアイデアが出ました。実際、そのときのアイデアをベースにしてプロジェクトは進み、現在は実装のフェーズに移っています。やはり、お互い顔を見ながら話すと良いアイデアも出ますね。
――日本のメンバーから刺激を受けることはありますか?
はい、たくさんあります。モンゴル人は、もともと遊牧民でした。だから、おおざっぱなときがあるかも知れません。でも日本人は、細かいところにも気配りできる。資料づくりでは誤字脱字に気が付き、文字の大きさ、位置もきちんと揃えます。それによりクライアントに正しい情報が伝わりますし、安心感も与えられますし、いつも見習っています。
――仕事で心がけていることは?
AIの話題になると、つい複雑で難しい内容になりがちです。でもクライアントは、現場の開発者だけではありません。ときに社長、役員、管理職クラスの社員さんを相手にすることもあります。誰にでも分かりやすい話をしたいので、押さえるべきポイントを押さえながら説明することを心がけています。
――今後、仕事を通じて実現したいことは?
DDはデジタル広告にも強い企業です。一方で、まだモンゴルではデジタル広告の分野が未熟だと感じています。日本のデジタルマーケティング業界は、モンゴル人の私からすると、飛び抜けて先進しています。だから、いまとても貴重な現場で学ばせていただいています。
個人としては、今後、モンゴルでもデジタルマーケティング分野が発展してくれることを願っています。将来、この業界で自分なりの貢献ができるような、そんなところまで成長したいです。
■DDAMに期待することは?
そして最後に、代表取締役社長執行役員の瀧本恒氏にも話を聞いた。
――チームを率いるうえで、考えていることはありますか?
一番大事にしたいのは、「メンバーの皆んなに仕事を楽しんでもらいたい」ということです。グループには、いろんな部署で仕事に携わる社員がいます。そして担当業務やプロジェクトが大きくなればなるほど細分化されていく。だから、ともすると「これは世の中にどう役立っているんだろう?」という、やっていることの意味が見えづらくもなることもあると思います。
そんなとき、マネージャーのようなポジションの方に、あるいは同僚に「この仕事ってクライアントにどう役立って、結果として生活者にどう役立っているんだろうか」「世の中を、どう豊かにしているんだろうか」と聞いてもらえたら良いですね。目の前の仕事、自分に課された作業だけを見つめていると、その仕事の面白さ、充実感というものが、つい、失われてしまいます。こちらでも、そのあたりを丁寧にマネジメントしていきます。
そのうえで、チームメンバーと協働していく喜び、上司や部下と協力しながら仕事を進める楽しさ、自身が成長していける充実感、そんなところにも仕事の面白さを感じてもらえたらと思っています。組織としては、常に風通しを良くしながら、上下関係というよりは仲間意識を高め、皆さんが力を発揮できる環境を整えていければと考えています。
――DDAMには、どんな期待をしていますか?
昨年(2023年)4月に正式に仲間に加わってもらいました。そのおかげで、社内のAI化が急ピッチで進んでいます。今後、ますますAIは進化を続けますが、私たちはDDAMの力によってAIについて、業界の誰よりも詳しく知ることがで出来ています。
電通グループは現在、グローバルで145以上の国と地域に展開しています。DDAMには、是非そのハブとなってもらいたいですね。たとえばグローバルプラットフォーマーとつながり、また私たちが提案する『∞AI』(ムゲンエーアイ)を世界に発信する役割も担って欲しいと思っています。
モンゴルでは、まだデジタルマーケティングが大きなマーケットにはなっていません。まっさらな状態なので、そこにチャンスがあると思っています。これは提案ですが、さまざまなPoCを自由にやってもらうことで、ひょっとしたら新しいAI広告代理店のような雛形を作れるんじゃないか。モンゴルで作ったものを世界に展開していく、そんな将来にも期待しています。
■社長の特技は、まさかの……
ちなみにこの日、DDAMのオフィスでは瀧本社長、そして同社 執行役員 データ&AI部門長の山本覚氏を囲んだ社内ミーティングが開催された。若手社員から「学生時代は、どのようにキャリアを設計していましたか?」という質問があがると、瀧本社長は「自由に生きていました(笑)。実はピアノが得意でして、ピアノ教室で生徒さんにピアノを教えていたこともあります。でも教室が倒産してしまったので、生徒さんたちを引き取って、一時期はピアノ教室を経営していました」という意外すぎるエピソードを披露。オフィスには社員の驚きと笑い声が沸き起こった。
「いろいろ経験してみたい、という思いが強かった学生時代です。その後、就職した会社では初めに人事の仕事をして、インターネットの黎明期に入ると情報通信の部署に異動願いを出しました。グループ会社の経営、M&Aなども経験しています。若い時代にいろいろチャレンジした経験が、いまに活きていると感じます」(瀧本社長)
一方の山本氏は、大学院の入試時に面接官と話した内容を明かした。「私は初めに応用化学、そして生物化学も専攻しました。やがて物理化学で半導体を知り、最後に人工知能を研究しました。当時、私ほど専攻をころころと変わる人はいなかったんです。ずっと同じ研究を続けている人が偉い、と言われていた時代です。そこで面接官に、社会に適応できるか心配されていたわけです。でもそれは違うと。すでに欧米では自分のキャリアを変化させながら可能性を探っていくことは一般的な常識でした。
そこで『もし仮に、これでボクの人生が台無しになったとしても構わない。でもそれで日本でも上手くいくことが証明できたのなら、後に続く多くの学生のためになる。だから私はこの選択をしました』と答えました。このエピソードで何が言いたかったのかというと、自分が失敗しちゃう恐怖よりも、自分が失敗したことによって周りに気付きを与えられるなら、そっちのほうが大事ということです。ある1つの事例になりたい、という思いでこれまで生きてきました。だから若い人には、どんどんトライして欲しい。でも、やっぱり自分が『楽しい』と思うことをやらないと、人間は長続きしません。いま自分がやっている仕事に、どう理由づけしたら、自分の思い描く『楽しさ』が実現できるか。そんな観点も大切にしつつ、キャリアについて考えてもらえたら良いと思います」と話した。