まさかの“不協和音”…?プロ野球、チーム内での内紛が騒がれた6組。驚きの…

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 プロ野球の世界では、日本一達成を目指して毎シーズン熱戦が繰り広げられる。各チームが一致団結して勝利を目指す一方で、真剣勝負だからこそ同僚との間で軋轢が生じることも少なからず存在する。そこで今回は、同じチーム内で内紛が騒がれてしまったケースを取り上げたい。

 

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能見篤史 マット・マートン

 

 阪神タイガースで大活躍したマット・マートンは、能見篤史に対する発言で大きな批判を受けた。

 

 能見は社会人野球の大阪ガスを経て阪神に入団。入団後は勝てない時期が続いたが、2009年に13勝をマークし大ブレイク。最終的に阪神では通算104勝を挙げた。

 

 

 一方のマートンは2010年から阪神の一員となり、入団1年目に打率.349をマーク。当時の日本記録となるシーズン214安打を放った。

 

 成績は申し分ないマートンだったが、集中力に欠く場面も多かった。また、2012年は打撃不振に苦しむ時期もあり、守備でも緩慢なプレーが見られるように。

 

 すると、6月9日のオリックス戦の守備機会で、本塁へ突入するセカンドランナーを刺そうとする動きをせず。同試合でマウンドへ上がっていた能見に嫌悪感を示す発言をした。

 

 物議を醸すこととなったが、2013年4月9日の巨人戦に勝利したのち、2人が阪神甲子園球場のお立ち台に上がると、「ノウミサン、アイシテルー」の言葉とともに抱擁。無事に和解した瞬間だった。

岩隈久志・野村克則

 

 球団創設期から東北楽天ゴールデンイーグルスを支えた岩隈久志。苦しい時期を乗り越えて復活した男だが、野村克則との口論の様子はテレビでも中継された。

 

 大阪近鉄バファローズのエースとして活躍した岩隈は、2005年から新規参入球団の楽天でプレー。しかし2段モーション禁止の影響で投球フォームを崩し、2006年はわずか1勝に終わった。

 

 それでも、2008年には華麗な復活を果たし、28試合の登板で21勝、防御率1.87と驚異的な成績を収めた。その後はメジャーリーグの舞台も経験した。

 

 

 内紛があったのは、2007年。先発した岩隈だったが、精彩を欠く投球で4回降板となると、試合中にもかかわらずロッカールームに引き上げてから出てこなかった。その態度を野村克則コーチが叱責すると、岩隈も反論。一触即発の場面がテレビ画面に映し出されていた。

 

 実際には家庭内で体調不良者がいたため、連絡を取っていたようだ。この1件については後に岩隈が謝罪したという。

大野雄大・朝倉健太

 

 現役でプレーする中日ドラゴンズの大野雄大と、現役時代に2桁勝利を四度達成した朝倉健太は、選手とコーチの関係で衝突した過去がある。

 

 大野は京都外大西高から佛教大を経て、2010年のドラフト1位で中日に入団。2013年から3年連続で2桁勝利をマークしたものの、2016年からはやや不振に苦しんでいた。

 

 

 一方の朝倉は2015年で現役を引退し、2016年から中日の投手コーチに就任。若手の指導にあたっていた。

 

 2017年の春季キャンプ、大野は朝倉のノックを受けようとしたものの、朝倉がノックを受けさせないという事態に発展。通常の練習メニューが免除されたと考えた大野と、免除ではないという朝倉に考えの相違があり、朝倉が罰則メニューを追加。

 

 この1件が衝突の要因になったとされた。ただ、数日後に大野は朝倉のノックを受けており、大騒動までには至らなかった。

中村紀洋・中畑清

  

 実績十分な中村紀洋の行動に対し、厳しい姿勢で対応したのが、当時の横浜DeNAベイスターズの監督である中畑清だった。

 

 中村は高校通算35本塁打の実績を引っ提げ、1991年ドラフトで近鉄バファローズから4位指名を受け入団。入団4年目から頭角を現すと、2001年は打率.320、46本塁打、132打点と大活躍。

 

 

 その後は中日ドラゴンズや東北楽天ゴールデンイーグルスでのプレーを経て、2012年からDeNAに入団した。また、同年に中畑が指揮官に就任。チームの変革期を迎えていた。

 

 しかし、2012年8月15日の阪神戦で中村は、ランナーとして出塁した内村賢介が盗塁を企図したことに激怒。采配批判ともいえる発言に対して、中畑は中村の二軍降格を決めた。

 

 そこから2年が経過した2014年、再び中畑の逆鱗に触れる発言をして二軍送りに。同年は最後まで一軍復帰は果たせなかった。

井端弘和・高木守道

  

 中日ドラゴンズの中心選手として活躍した井端弘和。当時監督を務めていた高木守道との内紛は、チームの雰囲気を象徴する出来事だったといえるだろう。

 

 井端は亜細亜大を卒業後、1997年ドラフトで中日から5位指名を受け入団。2001年から遊撃のレギュラーに定着し、二遊間を組んだ荒木雅博との「アライバ」コンビは他球団の大きな脅威となっていた。

 

 

 一方の高木も「ミスタードラゴンズ」の異名でファンからの人気も高かった。2012年には名将・落合博満の後を継ぎ、チームの指揮官に就任した。

 

 しかし、高木監督就任2年目の2013年5月15日の日本ハム戦、センター前ヒットを許した場面で中継に入らなかった井端の守備に、高木が激怒。一方の井端も帽子を投げ捨てるようにベンチから去り、高木も後を追うようにベンチを去ったのだ。

 

 この様子はテレビで中継され、その関係性が心配された。ただ、その後は井端が謝罪。高木もこれを快く受け入れたようだ。

山﨑武司・伊原春樹

  

 東北楽天ゴールデンイーグルスで本塁打王を獲得した山﨑武司だが、オリックス・ブルーウェーブ(現:バファローズ)時代に当時の監督、伊原春樹とひと悶着があった。

 

 中日ドラゴンズでアーチを量産した山﨑は、2003年にオリックスへ移籍。移籍1年目から長打力を発揮し、22本塁打を記録した。

 

 

 しかし、2004年に伊原春樹が監督に就任。山﨑は地元である名古屋の試合において、関係者を招待していたためスタメン出場を直訴したものの、結果的にはスタメン落ちに。この言動には賛否両論が飛び交い、山﨑に対する批判も決して少なくなかった。

 

 この1件で両者の間に亀裂が生じ、同年限りで山﨑は退団。2005年からは楽天へ活躍の場を移した。この移籍がきっかけで復活を果たし、2007年にキャリアハイの43本塁打をマークした。

 

 その後も楽天打線の主軸として活躍を続けた山﨑。選手は指導者によって大きく影響されることを象徴する例だったかもしれない。

 

 

【了】