筆者は4月下旬、取材で愛知県豊橋市を訪れた。中心部に位置する豊橋駅は、東海道本線の主要駅のひとつで、多くの列車がこの駅を起終点として名古屋・浜松両方面へ折り返して行く。東海道新幹線も「ひかり」の一部と「こだま」が停車する。静岡県・長野県の山間部に向かう飯田線と、名鉄名古屋方面に向かう名鉄名古屋本線も発着しており、愛知県東部のターミナルとなっている。

  • 「東海道新幹線再生アルミ」を使用した新駅舎に生まれ変わったJR飯田線下地駅。新駅舎の横を名鉄の急行が通過する

豊橋駅からJR飯田線の列車に乗り、豊川を渡ってすぐの地点に下地駅が存在する(豊橋駅から営業キロ2.2km)。下地駅では3月16日から新駅舎の供用を開始しており、「東海道新幹線再生アルミ」を採用した新しい建物に生まれ変わった。

100年近くの歴史を持つ古い駅だが、通過する列車は多い

下地駅は隣の船町駅とともに、飯田線の普通列車が一部通過する駅だが、その歴史は意外に古い。1925(大正14)年に開業し、あと約1年半で開業100周年を迎える。同駅付近の線路は複線だが、豊川を渡ることもあってか、線路の間隔が離れており、下地駅のホームは複線の内側に設けられている。相対式ホームを背中合わせにしたような構造で、幅が狭いため、乗降時は足もとに注意してほしい。

狭いホーム2面に挟まれるように駅舎が建ち、アンダークロスに向かって歩行者通路が設けられている。この駅舎が「東海道新幹線再生アルミ」を採用した新駅舎に建て替えられた。ガラス張りの建物で、豊橋市立下地小学校のイチョウ(「とよはしの巨木・名木100選」に指定)をモチーフにした緑色・黄色のグラデーションで装飾されている。

  • 飯田線の普通列車が下地駅に停車

他に古い枕木や旧駅舎の素材も再利用し、照明にLEDを採用している。新駅舎の内部に白いベンチがあり、おそらくそれが古い木材を再利用したものと思われる。訪問時は雨が降っていたため、風が強いと駅舎内に吹き込むことがあるが、小さいながらも開放的で明るい駅舎に見受けられた。

「東海道新幹線再生アルミ」は、東海道新幹線で使用された車両のアルミをリサイクルしたもので、アルミを新製する場合との比較でCO2排出量を97%削減でき、環境への負荷を軽減する。新幹線の車体に使用されていただけあって、さまざまな環境に耐えうる良質な素材でもあるという。

筆者が過去の取材で見てきた中では、東京駅一番街「東京ギフトパレット」ののれん、柱・壁や天井の桜装飾に「東海道新幹線再生アルミ」が使用されていた。薄い装飾であるのれんと花びらは、やわらかい通常のアルミと混合しているが、厚みの必要な柱と壁は再生アルミ100%となっていた。

  • 東京駅の「東京ギフトパレット」でも、新幹線の再生アルミが建材・装飾に使用された(2022年11月の報道公開にて筆者撮影)

その他、スポーツ大手のミズノと共同開発した野球の金属バットにも、新幹線のアルミ素材が使用されたという。相鉄新横浜線・東急新横浜線の新横浜駅に設置された待合室の内装用建材、JR東海・大建工業・相模原市が共同開発した内装用ルーバーの芯材にも「東海道新幹線再生アルミ」が使われている。建材だけでなく、タイバー(ネクタイピン)やアイスクリームスプーンといった日用品にも生まれ変わった。こうした採用例があるものの、駅舎の建材として「東海道新幹線再生アルミ」を使用する例は、下地駅が初めてだという。

現在、下地駅に停車する列車は、平日朝7時台(下り)の5本が最も多いが、それ以外は基本的に1時間あたり2~3本。朝夕は豊川駅以北へ向かう普通列車も一部停車するが、基本的には豊橋~豊川間の普通列車が下地駅に停車する。豊橋~飯田間で1日2往復運転される特急「伊那路」も、もちろん通過していく。

  • ワンマン運転の普通列車が豊川を渡り、豊橋駅に向かう

これだけなら他の路線でも見られそうな運行形態だが、下地駅ではJR飯田線の列車だけでなく、なぜか名鉄の列車も通過する。ただし、下地駅はJR東海の所属であるため、名鉄の列車は一切停車しない。豊川を挟んで隣の船町駅も同様である。なぜこのような光景が日常化したのだろうか。

豊川鉄道・愛知電鉄時代の名残、いまも共用区間として残る

ざっくり答えを言うと、歴史的な経緯によって現在の運行形態になった。豊橋駅自体の開業は1888(明治21)年9月1日。現在の東海道本線が大府駅から東へ延伸し、浜松駅まで開業した中に豊橋駅があった。線路を共用する飯田線と名古屋本線のうち、先に開業したのは飯田線。1897(明治30)年、豊川稲荷(妙厳寺)への参詣客輸送を目的に、私鉄の豊川鉄道が豊橋~豊川間を開通させた。その後、豊川鉄道は1900(明治33)年までに、現在の大海駅までの区間を全通させている。

  • 飯田線の豊橋~大海間は豊川鉄道という私鉄をルーツに持つ

現在の名古屋本線(豊橋~名鉄岐阜間)のうち、東側の区間となる豊橋~神宮前間は愛知電気鉄道という私鉄が開通させた。1917(大正6)年3月に神宮前~笠寺(現・本笠寺)間、同年5月に笠寺~有松裏(現・有松)間、1923(大正12)年4月に有松裏~新知立(1968年廃止、廃止時の名称は東知立駅)間、同年6月に新知立~西岡崎(現・岡崎公園前)間、同年8月に西岡崎~東岡崎間と順々に開通させたが、豊橋駅へ至るには豊川を渡らなければならず、ここが難関だった。

建設費を削減しつつ、東海道本線への接続も果たすには、すでに開業していた豊川鉄道と連携を図る必要があった。しかし当初、豊川鉄道の敏腕経営者であった倉田藤四郎がそれを受け入れなかった。愛知電気鉄道も、当時の社長・藍川清成により、現在の御油駅から豊川駅へと至るルートを立案し、関係者間に交渉を図る。浜名湖北岸から豊橋市北部を経由して浜松~豊橋間を結ぶ、遠三鉄道計画との接続も考慮したとされる。なお、遠三鉄道計画は実現しなかった。

藍川のプランが実現すれば、名古屋方面から豊川稲荷への参拝客を輸送する役目が奪われてしまう。倉田はこれを陽動作戦だと見抜いた一方で、豊橋市と財界が大きく動揺した。当時は鉄道ブームの真っ只中。豊橋市と財界は豊橋を中心に経済・交通網の拡大を考えていたため、藍川の計画を阻止しなければならなかったという。

  • 飯田線の小坂井駅

再三にわたる協議の末、倉田(豊川鉄道)は愛知電気鉄道の小坂井~豊川間への乗入れを許可。愛知電気鉄道は伊奈~豊橋間に単線を建設し、既設の豊川鉄道の線路とあわせて両社で共同利用することにより、豊橋駅への乗入れと複線化を同時に果たすこととなった。

その結果、1926(大正15)年4月1日に東岡崎~小坂井間が開業し、まずは小坂井駅で豊川鉄道と連絡した。その後、1927(昭和2)年6月1日に伊奈~吉田(現・豊橋)間の延伸が完成し、晴れて神宮前駅からの列車が豊橋駅に乗り入れるようになった。共用区間は豊橋駅から3.9km先の平井信号場までとなる。こうした歴史の名残から、現在に至るまでJR飯田線と名鉄名古屋本線が線路を共用している。ただし、用地の所属としては、下り線(豊川・東岡崎方面)がJR東海、上り線(豊橋方面)が名古屋鉄道となっている。

  • 平井信号場でJR飯田線と名鉄名古屋本線が分岐。左に続く架線柱は飯田線の線路

  • 上り線は築堤上で合流する。写真右下の架線柱は飯田線の下り線

ちなみに、神宮前駅から豊橋駅への乗入れが完成した後も、伊奈~小坂井間は支線として残り、豊川鉄道への乗入れも行われていた。この区間は戦時中の1944(昭和19)年に単線化され、1954(昭和29)年に豊川線が新豊川(現・豊川稲荷)駅まで全通すると同時に廃止された。

現在のJR飯田線・名鉄名古屋本線の運行本数は

現在、豊橋駅の1・2番線はJR飯田線が使用(一部列車は4番線から発車)し、3番線は間借りする形で名鉄名古屋本線が使用している。名鉄線ホーム前に同線専用のきっぷうりばが設置され、改札内乗換えに対応する。改札内でのJR線・名鉄線乗換え用に、ICカード専用乗換改札機も設置されている。豊橋駅で下車する場合は2階コンコースの改札機を通行すれば良い。

  • 豊橋駅は東海道新幹線や東海道本線・飯田線、名鉄名古屋本線などが集まる主要駅に

飯田線の列車は1時間あたりおもに2~4本が発着。最も運行本数の少ない11~13時台は1時間あたり2本が発着する。最も本数の多い時間帯(特急列車も含む)は18時台の1時間あたり6本。次いで7時台(平日のみ)と10時台で1時間あたり5本。特急「伊那路」は豊橋駅10時8分発・18時20分発の2本設定され、ともに飯田駅まで運行される。

行先を見ると、飯田線の列車は豊川行、本長篠行、天竜峡行など複数あり、一部列車は船町駅と下地駅を通過する。その際、駅の電光掲示板にも表示されるので、船町駅と下地駅を利用する場合は確認してほしい。余談だが、豊橋駅10時42分発・14時38分発の岡谷行、豊橋駅16時42分発の上諏訪行は全長195.7kmに及ぶ飯田線を全線走破する列車で、終点まで最大7時間かかる。

  • 飯田線を走る豊川行の普通列車

  • 名鉄名古屋本線の列車は普通を除き、豊橋駅まで乗り入れる

一方、名鉄名古屋本線は1時間あたり片道最大6本の乗入れと決められており、快速特急・特急・急行がそれぞれ2本ずつ豊橋駅を発着する。普通は手前の伊奈駅で折り返す。おもに快速特急は新鵜沼行、特急は名鉄岐阜行、急行は名鉄一宮行として運転されるが、朝夕については複数パターンが存在する。いずれも名鉄名古屋駅まで乗換えなしで行けるが、豊橋駅23時41分発の最終列車(鳴海行の急行)のみ名鉄名古屋駅まで行かないので、遅い時間に豊橋駅から名鉄名古屋方面を利用する場合は注意すべきだろう。

下地駅の新駅舎をきっかけに、JR飯田線と名鉄名古屋本線が線路を共用する理由を探っていくと、飯田線が国有化されておらず、名古屋本線も東西で接続していなかった(現在の名鉄名古屋駅から神宮前駅までの区間は1944年開通)時代までさかのぼり、当時の経緯から、いまもJR東海と名古屋鉄道の両社が線路を共有するに至ったことがわかった。豊橋駅の改札口もJR東海と名鉄で共通しているため、現地を訪れてわからないことがあれば、両社の駅員に尋ねてみたほうが良いかもしれない。