補助金を使わない獣害対策の立役者

「視察に来られる方は皆さん、『どんな補助事業を使ったんですか?』とか聞いてこられるんですけど、うちは全くそういうのは使ってないんですよ」
そう話すのは、島根県美郷町で獣害対策を担当する安田亮(やすだ・りょう)さん。1999年から地元の人々と共に数々の困難を乗り越えてきた、獣害対策のスペシャリストだ。そんな安田さんが世に多くある獣害対策関連の事業を知らないわけはない。しかし美郷町ではあえてそれを使わない。

安田亮さん。美郷町で獣害対策を担当する美郷バレー課の課長を務める

「事業を使うにはいろいろ条件があります。それを満たしていたら、うちの町に合わなくなる。逆にうちの事例をもとに事業を作ったら、みんながうちと同じことをするようになる。それじゃダメなんです」
安田さんがこだわってきたのは、町づくりを基本にした獣害対策だ。美郷町に必要な対策は何か、町がこの先どうあるべきか、未来を見据えて対策していくことの重要性を強調する。そしてそこに必要なのは「住民自身の参加」だという。

中山間地、過疎化が進む地域での獣害対策とは

美郷町は島根県のほぼ中央の山間にある。町を流れる江の川(ごうのかわ)の流れは雄大かつゆったりとしていて、息をのむ美しさだ。かつては、江の川沿いの舟運の要地として栄え、日本最大の銀山で世界遺産にも登録された「石見(いわみ)銀山」で採掘された銀の輸送路にもなり、多くの人が行き来した。

江の川の風景

しかし現在は、多くの中山間地にある市町村と同じく過疎化が進み、現在の人口は4000人あまり。町内には高校がなく、子供たちも進学をきっかけに町外に出ていくことが多いため、高齢化にも拍車がかかり、高齢化率は47.4%(2020年)だ。
しかし、筆者が取材中に出会った町の高齢者たちはなぜか元気な人ばかり。その秘訣(ひけつ)は、獣害対策にあるという。

青空サロン畑で獣害対策を学ぶ女性たち

青空サロン畑での作業の様子

美郷町の獣害対策の舞台の一つになっているのは、「青空サロン畑」と呼ばれる共同の畑。主役はそこに集まる女性たちだ。頻繁に集まって、一緒に農作業をしたりおしゃべりをしたり、そして獣害対策の勉強をしたりする。その雰囲気は明るく、ひっきりなしに笑い声が聞こえてくる。高齢の人も多いが、みな足取りが軽く、声にもハリがあって元気だ。

休憩中のメンバーの皆さん。夫と共にやってくる人も

ここに参加するのは農家だけではない。勤めを定年退職して家庭菜園を始めた人、まだ現役の人、それぞれが負担のない範囲で参加している。安田さんによると、この辺りは農家でなくても庭で家庭菜園をしたり果樹を植えたりしている人が多いそう。「そういう人が対策をしていなかったら、そこからまた獣害が出てしまうので、住民みんなが獣害対策を学ぶ必要があるんです」と安田さんは住民参加の必要性を強調する。
だからといって、強制参加ではない。「普段参加しない人も、その気になったらいつでも参加できるように、常に連絡だけは欠かさない」と、青空サロン畑の発足から20年間参加している女性が話してくれた。

青空サロン畑で獣害対策の指導をしているのが「まさねぇ」こと井上雅央(いのうえ・まさてる)さん。奈良県の営農指導員や農研機構の研究員を経て、この町に移住してきた。
まさねぇが美郷町に来るきっかけを作ったのも安田さんだ。

獣害対策の説明をするまさねぇ(写真中央)

まさねぇは獣害を動物からの目線でとらえ直し、「動物の居心地の悪い環境にする」ことで獣害を防ぐ方法を教えてくれる。その方法は大掛かりなわなや柵に頼らなくても、だれもが自分で取り組めることばかりだ。以前は「獣害対策とは捕獲。猟師がするもの」と思い込んでいた女性たちも、まさねぇの教えを実行して効果が上がることがわかると、次第に「自分たちの畑を守るのは自分たち」という意識に変わっていった。中には自分でわな猟免許を取得する人もいる。「私たちは猟友会にも補助金にも頼っていない」と話す女性たちの姿には、自ら町を守っているという誇りも感じられた。

獣害を住民にとっての“自分ごと”にするために

このような住民の意識の変化の裏側には何があるのか、ほかの地域と何が違うのか、美郷町の獣害対策の歴史を見ていこう。

「害獣の捕獲を個人農家がやるのは難しいし、危険だ」「プロに任せた方が確実だ」、そう思っている農家は少なくないのでは。また、防護柵やわなを設置するための補助金もあり、自分たちに最適なものよりも「補助金が付くものを購入しよう」という発想になるのもうなずける。
しかし安田さんは「そうした考え方が、農家が獣害を“他人ごと”だととらえ、猟友会や自治体に頼る体質を作っている」という。安田さんが長年取り組んできたのは、そうした体質を変え、住民自身が獣害を“自分ごと”としてとらえるための町づくりだ。

獣害対策の主体を猟友会から住民自身に

安田さんが獣害対策の担当になったのは、合併前の旧邑智(おおち)町の職員だった1999年。当時、町内のイノシシによる獣害は後を絶たず、農家から駆除を求める声が多かったため、地元猟友会に駆除を依頼していた。猟友会は駆除した害獣の尻尾を役所に持ち込み、町は頭数と種類に応じて奨励金を支払う。しかしここに問題があった。
農家が捕獲を求める時期は、田畑に農作物がある夏場だ。一方、猟師が捕獲したがるのはイノシシに脂がのっている冬場。夏にとってしまうと冬の獲物が減るため、農家の希望に沿った捕獲はしてもらえなかった。また、奨励金の対象にならない狩猟期間に捕獲した害獣の尻尾が、奨励金の申請の際に持ち込まれるということもあった。
捕獲の頭数は増加しているにもかかわらず、獣害はいっこうに減らない。そんな中、生きがいだった野菜作りをやめていく農家を目の当たりにし、安田さんは獣害対策の見直しを始めた。
まず取り組んだのが、猟友会と害獣駆除班を別組織とすることだ。新たに農家に狩猟免許を取得してもらい、農家主体の害獣駆除班を編成。また、捕獲方法も農家自らが安価に設置できる箱わなを中心とした。

夏のイノシシ肉の資源化

箱わなで捕獲したイノシシを食肉として資源化する体制も整えた。
猟師が夏に捕獲したがらないのは、夏場のイノシシ肉は臭くてまずいと言われているからだ。しかし実のところ肉のおいしさを決めるのは、捕獲後の放血処理が適切に行われているかどうかだ。
そこで安田さんは、箱わなで捕獲したイノシシを檻(おり)ごと解体処理場に持ち込んで、そこで屠殺(とさつ)および放血を行い、臭みのないイノシシの精肉を生産する体制を整えた。研究機関に肉のデータを送り、肉質や栄養について冬の肉と遜色ないという裏付けもとった。この肉は「おおち山くじら」と名付けられ、地域振興の資源となった。ちなみに「山くじら」とは、肉食の禁じられていた江戸時代に使われていた、イノシシ肉を指す隠語である。

安田さんは、おおち山くじらが生まれたばかりのころには地元での定着のため、住民の集まりに積極的にイノシシ肉を料理して持ち込んだという。また、地元の小中学校の給食にも使われ、山くじらは子供から大人まで地元の人に愛される滋味となった。
人の集まるところに山くじらがあることで、イノシシの存在に人々が関心を寄せ続ける。そうした地道な取り組みからも、獣害対策と地域づくりを進めていった。

美郷町の人気店「またたび」の山くじらラーメン。町外からもこれをめがけてやってくる人が多いという

イノシシの革も小物に加工して販売している

それでも課題は残る

美郷町の獣害対策は、住民主体の取り組みで全国から注目されるようになった。しかし、安田さんはまだまだ課題があると、筆者をある場所に連れて行ってくれた。

それは町のはずれにある地域。昭和の末期に大規模な事業で圃場(ほじょう)整備が行われた場所だ。数人の高齢農家で管理をしているが、広大な土地を管理しきれず、毎年作付けの面積を減らしているという。それでも防護柵にはところどころイノシシやシカが侵入した形跡があった。

倒れた柵の修理に手が回っていない状況。ここからイノシシやシカが侵入している

安田さんは「多くお金をかけて大きく整備した結果が、管理の負担を増やしている」と、大規模な開発への警鐘を鳴らす。そして、見回りや草刈りなど日々のシンプルな対策を続けることが高齢化の中で難しくなっていることなどの実情を詳しく説明してくれた。「だから事業に乗っかるのではなく、長い目でこの町がどうなっていくか、どうしていきたいか、しっかり考えて対策を立てなければいけない。だから獣害対策も地域振興の目線でとらえなければいけないんです」と、自分たちで自分たちの町に合った対策を模索することの大切さを繰り返した。

「お金をかけて対策をすればそれなりの結果が得られる」と人は思いがちだ。そうでなくても、人はすぐに問題を解決してくれる特効薬に飛びつきたがる。本当の解決策は他人が用意したメニューではなく、自分たちが長い時間をかけて課題に向き合った先にしかない。現代人の多くがはまりがちな“わな”に、安田さんは気づかせてくれた。

安田さんが長い時間をかけてやってきた課題解決策は「地域振興を軸にした獣害対策」だ。そして、獣害対策を通じて住民が町づくりに積極的にかかわることに希望を見いだしているという。「暗い話ばかりのところに人は来ないでしょう。でもこの町は青空サロン畑の女性たちをはじめ、明るい人が多い。そういう人のところには人が集まるんです」と、安田さんは笑顔を見せた。

次回は、獣害対策をきっかけに美郷町に集まる人々やプロジェクトについて紹介したい。

【取材協力】