lead=お笑いコンビのナイツが、21日に放送されたテレビ朝日系バラエティ番組『しくじり先生 俺みたいになるな!!』(毎月第4金曜24:50~※一部地域を除く)に出演し、漫才協会のしくじりを明かした。
現在塙宣之が副会長、土屋伸之が常任理事を務めている漫才協会。所属芸人の錦鯉が『M-1グランプリ2021』で優勝するなど近年大きな盛り上がりを見せているが、ナイツによると長い歴史の中でさまざまなしくじりを起こしてきたという。
もともと漫才ブームが起きた1980年代あたりまでは勢いを保っていたという漫才協会。しかし1990年代、各芸能事務所がお笑い養成所を創設するようになると芸人になるには弟子入りが基本という“徒弟制度”が切り替わってしまい、失速。デビュー当初ポップ路線を目指していたナイツは協会のことを知らなかったと打ち明けるが、芸歴1年目の2002年、所属事務所・マセキ芸能社の社長から命じられ、漫才協会に入ることに。当時は漫才協会=演芸場を活躍の場とする芸人というイメージがあり、「ナイツ終わったな……」「もうテレビに出られないな!」と周囲からささやかれていたと話す。所属後は、昼は漫才協会が主戦場とする“浅草東洋館”、夜はマセキ芸能社主催のお笑いライブに出演する生活を送るようになり、客層の異なるステージをこなすうち「漫才のテンポをどっちに合わせていいかわからない」という悩みが生まれ、「結果どっちもウケなくなった」という苦しい状況だったことを振り返った。
新たなスターを生み出そうと試行錯誤していた協会幹部たちは、『M-1グランプリ』に影響を受け、2002年“漫才新人大賞”というイベントをスタート。賞レースを開催すれば話題にもなり、人材の育成にもなると考えたが、当時1700組を超えるエントリーがあった『M-1グランプリ』に比べて漫才新人大賞の参加者はわずか6組で、協会員以外の芸人たちにも門戸を開いたものの、さほど話題にもならない。あせった幹部たちは2005年、当時の人気バラエティ『はねるのトびら』(フジテレビ)を見て、ユニットを結成すればウケるのではないかとひらめき、ナイツをはじめとする若手に“漫才四天王”“浅草三銃士”なるユニットを結成させるも、こちらもまったく話題にならなかったという。
協会幹部たちのしくじりを間近で見てきたナイツの2人は「なぜ流行ったのか、その真理を理解せずに影響を受けるのはやめよう!」と教訓を語ったが、教室から「それ、協会に言ってくれよ。オレたちじゃなくて!」(平成ノブシコブシ・吉村崇)、「師匠たちを座らせて(授業)やってよ(笑)!」(ハライチ・澤部佑)とツッコミを受けまくる羽目に。
幹部たちの方針に振り回されてきたナイツだったが、ドラマの影響などもあって2005年に浅草演芸ブームが到来。それが後押しになり、「“浅草といえばナイツ”といわれるようになろう!」と決意することに。「今の時代、浅草の若手漫才師で売れた人がいないんだったら、そこを伸ばしていけば、もしかしたら遠回りのようで近道になるんじゃないかな」と思ったと明かし、その後本腰を入れて浅草をベースに活動。以前にもまして漫才に真剣に向き合うようになったと話した。伊集院光は「めちゃくちゃエライじゃん! 普通なら“浅草のせいで”とグチって終わる。“こんなお客さんの前で(漫才やっても)オレたちうまくなるわけないじゃんって言いながら、うっかり20年経っちゃう人いっぱいいますからね」と大いに感心した。
このほか2007年に塙が史上最年少で漫才協会理事に就任したのは、実は土屋のイタズラがきっかけだったという意外なエピソードも明かされ、教室は騒然。「確かにイタズラのノリでしたけど、どこかに協会を変えたいという意識があったんです」と主張する土屋に、生徒たち全員が「ウソつけ!」と総ツッコミとするひと幕も。
ABEMAでは、今回の授業を見逃し配信中。28日の続編では、塙が理事に就任したあと起こった漫才協会存続の危機に関わる大事件を語る。