鉄道博物館はJR東日本との共催で、9月20日に「鉄道開業150年記念 てっぱくトークショー ~150年の歴史から考える、未来へつなぎたい鉄道の文化と魅力~」を開催した。

  • 「鉄道開業150年記念 てっぱくトークショー」では、(写真左から)小野田滋氏、古今亭駒治さん、市川紗椰さんが登壇。鉄道博物館の荒木副館長(写真右端)が司会・進行を務めた

2022年は鉄道開業150年の節目を迎える年。「鉄道開業150年記念 てっぱくトークショー」では、150年の歴史を振り返りつつ、独自の発展を遂げた日本の鉄道に関する講演や、鉄道にゆかりのあるゲストを迎えたトークショーが行われ、鉄道落語も披露された。

■鉄道博物館副館長の講演、日本の鉄道文化の特徴は

まずは「ナイスガラパゴスな日本の鉄道 その150年の歴史と特徴」をテーマに、鉄道博物館副館長の荒木文宏氏が講演。鉄道の歴史を振り返り、日本と欧米の鉄道文化の違いについて語った。

1872(明治5)年に開業した日本最初の鉄道は、英国の技術を導入して建設された。その後、1880(明治13)年11月に開業した北海道初の鉄道で米国の技術、1889(明治22)年12月に開業した九州初の鉄道ではドイツの技術を取り入れた。同じ日本でも、本州・北海道・九州で技術が異なるという。

  • 荒木副館長が講演。1872(明治5)年の鉄道開業にまつわる錦絵なども紹介した

大隈重信による当時の述懐によれば、日本には鉄道の知識がなかったため、英国人技師の勧めに従ったとのこと。日本の国土の約7割は山岳・丘陵地帯で平地が少ないため、世界的に標準とされている軌間(1,435mm)ではなく、狭軌(1,067mm)を採用した。急曲線を曲がりやすくなり、車体が小ぶりになるため、車両・設備等のコストも安くなったとのこと。

新橋~横浜間の鉄道開業以降、日本政府は鉄道による全国ネットワークの形成をめざした。財政負担が大きかったことから民間資本を活用し、日本鉄道(現在の東北本線、高崎線、常磐線など)、山陽鉄道(現在の山陽本線)、九州鉄道(現在の九州各線)などにより、中長距離の基幹路線が多数開業。全国ネットワークに加わるべく狭軌で建設され、その多くが1906(明治39)年制定の「鉄道国有法」により、官営鉄道に編入された。

  • 本州の1号機関車

  • 北海道の弁慶号

  • 九州の初代2号御料車

狭軌で鉄道網を広げたため、国力増大にともない標準軌への改軌やスピードアップを求める声もあったという。1917(大正6)年に横浜鉄道(現在の横浜線)で改軌実験を行い、技術的には可能と判断されるが、最終的に原敬内閣で否決。しかし、標準軌の南満州鉄道を運営することで得たノウハウや、東京~下関間で構想され、1941(昭和16)年から2年間で途中まで着工していた弾丸列車計画が、後の新幹線に生かされることになる。

戦後の経済発展で、輸送力が限界を迎えつつあった東海道本線の増強を目的に、1959(昭和34)年4月、東海道新幹線の建設に着工。かつての弾丸列車計画で半分完成していた新丹那トンネルなども活用された。1964(昭和39)年10月1日に東海道新幹線が開業し、高度な保安装置の導入や、世界初の最高速度210km/hを実現。その後も東北・上越新幹線をはじめ、「全国新幹線鉄道整備法」にもとづいた整備新幹線5路線の整備計画が、政府によって1973(昭和48)年に決定した。

  • 弾丸列車計画で使用する予定だった蒸気機関車

  • 標準軌鉄道のノウハウが東海道新幹線(1964年10月開業)に生かされた

  • 東北・上越新幹線や各種新幹線の整備計画も当時に定められた

これらの歴史を踏まえ、荒木副館長は話題を日本の鉄道文化のガラパゴス化に切り替えていく。そもそも日本と欧米では、交通網の発達にあたり、考え方が大きく異なる。欧米では、交通の文化は徒歩に始まり、馬車を経て鉄道に至った。これに対し、日本の交通は徒歩から鉄道に直接移行した。

この違いは安全管理や運行方法の考え方にも表れている。欧米では、列車の安全を運転士に依存し、係員の教育を中心に安全を管理しているという。運行方法に関しても、遅れてきた乗客を待つ、改札がない、天候や馬(車両)などの状態によって想定通りに進まないことを考慮するなど、駅馬車時代の考え方が引き継がれている。

一方、日本の鉄道では、利用者・設備・車両等の安全管理を徹底し、最終的には保安装置で機械的に列車を停止させてでも事故を避けるようにしている。鉄道をまったく新しい交通手段として受け入れ、欧米と異なる考え方で安全と運行を保持してきた。公共交通機関としての使命を意識し、利用者を第一に考えた各種サービスが充実するとともに、定時運行が当たり前のように行われている。

定時運行により、単線区間での列車のすれ違いや、複線区間での高密度な運行が可能となり、「定時運行をしないとこの芸当はできない」と荒木副館長は強調する。定時運行を守ることで、普段と違う状況になることを防ぎ、係員のミスや事故防止にもつながっていると説明した。数分に1本という高頻度な運行は、定時運行だけでなく、高度な運行技術と関係者の努力、さらに利用者もスムーズな乗降に協力し、安全が確保されているからこそ成立していると話した。

  • 日本と欧米の鉄道文化の違いを述べる

  • 米国ボルティモア・アンド・オハイオ鉄道の初期の車両

  • 日本の鉄道は定時運行が特徴。分刻みのダイヤ設定が可能に

車両の動力方式の違いについても話があった。かつて長距離列車といえば、機関車が客車を牽引する「動力集中方式」がほとんどだった。その上でスピードアップを図るには、機関車を大型化して馬力を上げる必要がある一方、頑丈な線路も求められる。しかし、日本の土地でそれらは不向きだという。線路に過度な負担をかけずに高速運転を行うため、1編成の動力車を数両に分ける「動力分散方式」の電車・気動車が日本で発達してきた。欧米でも「動力集中方式」は健在だが、「動力分散方式」の良さも見直され、電車の高速列車が増えているとのこと。

鉄道の高速化は、単純にいえば動力車の馬力を上げれば可能だが、それにともない騒音・振動等が発生すれば、環境に悪影響を及ぼす。環境への影響をいかに抑えるかによって速度が決まると言っても過言ではないという。新幹線E5系や「ALFA-X」を例に、高速化と環境対策の兼ね合いについても説明した。

とはいえ、鉄道の高速化と言っても、日本の鉄道は在来線と新幹線で軌間が異なっている。これを踏まえた高速鉄道のネットワーク構築として、山形・秋田新幹線における新幹線の在来線乗入れや、車両側で軌間を切り替えられるフリーゲージトレインの例が挙げられた。なお、フリーゲージトレインの取組みは、新幹線区間での技術的問題により、一時休止している。

鉄道における旅の変化にも触れた。以前のような、早く目的地に着いて観光する旅行とは別に、列車の旅そのものを楽しむ形も選ばれているという。かつてのお座敷列車のように、リーズナブルな値段の鉄道旅の要望もあるとしつつ、現在運行されている豪華列車やレストラン列車を紹介。旅の姿や楽しみ方も変わっていると荒木副館長は説明した。

  • 高速化と環境対策について

  • 山形・秋田新幹線での在来線乗入れの例

  • 豪華列車など、旅の様式の変化にも触れた

最後に荒木副館長は、あってほしい未来の鉄道の姿として、「ナイスガラパゴスな日本の鉄道の歴史を振り返って、日本の鉄道の姿を想像していただきたい」と述べ、講演を締めくくった。

■古今亭駒治さんによる鉄道落語も

10分間の休憩を挟み、鉄道落語の時間となった。和楽器による「鉄道唱歌」の演奏が会場に響き渡る中、落語家の古今亭駒治さんが登壇。落語に入る前に、鉄道博物館へ来るときに乗った電車での小話や、小学校で落語を披露した際に生徒が書いた感想文を紹介した。駒治さん自身、こどもたちのメッセージを楽しみにしていると言うが、彼らの予想外の感想にところどころ突っ込みが入る。その都度、会場から笑いの声が上がった。

  • 古今亭駒治さんが鉄道落語「鶯の鳴く街」を披露

会場が温まったところで、駒治さんは「鶯の鳴く街」という落語を披露した。地方に住む少年が、地元に新型車両がデビューするという広告を読み、期待に胸を躍らせる。それをきっかけに、山手線沿線から引っ越してきた友達や、地元駅員らとの掛け合いが繰り広げられた。

この落語は15分程度だが、ローカル鉄道にちなんだ小話や、旧型車両にありそうなものなどが、ネタとして織り交ぜられていた。当日ならではのアドリブと思われる台詞も聴けた。見覚え・聞き覚えのあるものが落語に登場した時には、会場が参加者らの笑い声に包まれた。地方鉄道での新型車両にまつわる話を笑いの要素も交えつつ、声と身振りで感情豊かに表現した鉄道落語だった。

■スペシャルトークショー開催、それぞれの鉄道趣味を語る

再び休憩時間を挟み、最後にスペシャルトークショーが開催された。「これまでも、これからも、鉄道文化は皆さまと共に」をテーマに、荒木副館長が司会・進行を務め、パネリストとしてモデルの市川紗椰さん、落語家の古今亭駒治さん、鉄道総合技術研究所アドバイザーの小野田滋氏の3名が登壇。鉄道に深い理解を持つパネリストによるトークが繰り広げられた。

  • 「皆さんと一緒に鉄道の魅力を語れたら」と市川紗耶さん

米国に住んでいたことのある市川さんは、その頃から鉄道好きだったという。鉄道の音を中心に、多様な観点で鉄道に親しんでいる。日本と海外の鉄道文化の違いに関する話題が出た際、日本の鉄道について「時間の正確性と安全性が桁違い」と市川さん。その理由に指差喚呼を挙げ、海外の鉄道仲間に聞かれたときも、「それがあるからこの安全性とダイヤの正確性が担保されているんだよ」と話しているという。

好きな鉄道路線に関して、市川さんはハンガリー・ブダペストの路面電車や地下鉄1号線を紹介した。路面電車は観光の足として便利だが、「車両によってパンタグラフの色が違う」と、細かいところにも目を光らせる。地下鉄1号線は、電化された地下鉄としてヨーロッパ最古で、「音もおもちゃ感があり、音楽みたいな列車」と語った。他にも、ドイツのヴッパータール空中鉄道(モノレール)やナローゲージなどを好きな鉄道として挙げた。最近は200系新幹線復刻カラーのE2系がとくに気になっているとのこと。

  • 駒治さんは軽妙な語り口で「前」駅を語った

駒治さんは自身の鉄道趣味である「前鉄」について語った。「(施設)前」と名のつく駅を訪れ、その駅から、駅名に含まれている施設まで本当に近いのか、ロードメジャーとストップウォッチで調査しているという。一例として、豊橋鉄道渥美線の愛知大学前駅、熊本電気鉄道の熊本工専前駅など紹介した。両駅とも駅からその施設まで本当に近いところに立地している。

一方、「前」駅からその施設名まで、意外と遠い駅もある。訪れた中で最も遠かった例として、阪堺電気軌道の御陵前停留場を挙げた。仁徳天皇陵古墳(大山古墳・大仙陵古墳)の近くにある駅とのことだが、停留場から古墳の入口まで約2.2kmもあったという。実際には、JR阪和線の百舌鳥駅が古墳への最寄り駅となっている。その他、小田急線の読売ランド前駅も、よみうりランドまで意外と遠く、約1.9kmだったとのこと。このような「前」駅の奥深さを駒治さんは語った。

  • 土木の観点で鉄道に親しんでいるという小野田滋氏

小野田氏からは、鉄道総合技術研究所について話があった。国鉄時代の研究所を継承した組織で、鉄道設計の基礎的な要素の研究を行い、「鉄道の技術の下を支えている組織」と小野田氏は説明。新幹線の先頭形状について市川さんが疑問を呈すると、小野田氏は最初に模型で実験し、形が見えたところで実物の試作品を作り、風洞で試験を行うと答えた。それを繰り返し、最終形を設計。JR各社がそれぞれ車両を設定し、メーカーに発注するとのこと。

最近話題になった、鉄道開業当時の高輪築堤についても小野田氏が答えた。当時、すでに東海道沿いに多くの人が住んでおり、新たに線路を敷設することが難しかったという。そのため、人の住んでいない海上に土を盛り、鉄道を通したと小野田氏は説明する。

江戸時代に造られた台場(お台場)の前例も活きた。当時、日本の職人は外国の技術者も認めるほどレベルが高く、西洋の土木技術も難なく受け入れられたという。そして沿線の陳情も受け入れつつ、高輪の海上に鉄路を設けたという経緯になる。「錦絵でしか見たことのなかったものが出てきたことは、驚きでしたよね」と、駒治さんもひと言添えた。

実現性は別として、今後の鉄道にあったら良いと思うものに関する話題が出たとき、市川さんは海外にいながら日本の鉄道のきっぷを簡単に買えるしくみや、路面電車・LRTの復活を挙げていた。駒治さんは「新幹線に『前』駅がほしい」という要望や、打ち上げのできる新幹線を思い描いた。そこから未来の新幹線に発展し、「そんなに値段が高くない、ちょっとのプラスで乗れる個室」(駒治さん)、「『飲みたいワイワイしたい』と、『リラックスしたい』がどっちも叶えられるものになるのは夢がありますよね」(市川さん)など、夢が膨らむ話が展開した。

  • 勝海舟の描いた『蒸気車運転絵』が紹介される

最後に荒木副館長は、鉄道開業当時に勝海舟が描いた『蒸気車運転絵』という絵を紹介した上で、「将来の日本の発展を願って描かれた汽車があって、それから150年間、鉄道をこよなく愛する皆様が鉄道を支え、その鉄道が日本を支えてきたと言えるのではないでしょうか」と振り返る。その上で、「『ALFA-X』のような技術開発が実を結んで、将来夢を持って、鉄道と共に未来へ参りたい」と結んだ。