飛鳥時代のスーパースター、聖徳太子。その“ふるさと”といえば、奈良県のほぼ真ん中に位置する「明日香村」です。村内は歴史的に見ても、ビッグネームなスポットが多く、“村まるごと遺跡”といっても過言ではないほど、見どころが多い場所。ひとたび古墳や遺跡の見学会を行えば、村の人口よりも多い、1万人クラスの歴史ファンが全国から大集結することも……!
また近年は、おしゃれなカフェも急増中。歴史ファンならずとも、ゆるい時間を過ごせる「チル旅」の旅先としても注目です。
今回は、そんな「明日香村」にフォーカス。全6回に分けて、さまざまな視点から楽しみ方をご紹介します。2回目のテーマは、遺跡の宝庫・明日香村にひっそりと存在する“ディープなスポットだけを巡る”渋~いモデルコースです。
ミステリアスな魅力にときめく!いざ、明日香村で不思議発見の旅へ。
【過去回はこちら】
第一回 初めての明日香村観光 おすすめモデルコース編
【10:00】田んぼの真ん中で時空を超える!「飛鳥宮跡」
飛鳥駅から車で約10分。まず最初に向かったのは、教科書で誰もが一度は見たことがあるスポットです。
石敷きの周辺に草がわさわさ。田んぼに囲まれたのどかなこの場所こそ、飛鳥時代の天皇が住んでいた都の跡「飛鳥宮跡」なんです。
「え、飛鳥宮跡ってなんだっけ?」という人は、蘇我入鹿(そがのいるか)が中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)と中臣鎌足(なかとみのかまたり)に首を切られる「大化の改新」のきっかけとなった「乙巳の変」が行われたところ……というと、ピン!と来るのではないでしょうか。
まさにそのシーンが行われたのが、ここ!はるかな時の向こうで、教科書に出てくる怒涛のドラマがあったと思うと、なんだか胸がアツくなりませんか?
しかし、今、見えているところは、昭和40年代に復元された場所。遺跡はこの開いているところ全面に広がっていて、ここはその隅っこを復元しただけにすぎません。
実際にこの周囲を30cmぐらい掘れば掘るだけ、飛鳥時代の石敷きがどんどん出てくるのだとか。飛鳥はそれぐらい浅いところに遺跡が眠っている!と思うと、スゴイですよね。
ちなみに、この場所で政治を行ったのは、「乙巳の変」が行われたときの「皇極(こうぎょく)天皇」から、その夫「舒明(じょめい)天皇」、「斉明天皇」、「壬申の乱」で有名な「天武天皇」まで。4代の天皇がここで政治を行いました。(約100年ほど!)
それまで、天皇の宮というと、天皇が即位したらここ、次はここ……という感じで、バラバラ動いていたのが普通。飛鳥の地に移って、初めて固定化されたと言われています。
【10:30】時を刻む概念、始まりの地「飛鳥水落遺跡」&古代の迎賓館「石神遺跡」
「乙巳の変」の舞台を後にしたら、車で約5分の2つの遺跡へ向かいます。
農産物直売所「あすか夢の楽市」からだと、歩いてすぐ。「飛鳥水落遺跡」と「石神遺跡」はどちらも近いので、一度にサクッと楽しめます。
歩けば遺跡にあたるぐらい、わんさか遺跡に出会える明日香村。そんな数多い遺跡の中でも、「飛鳥水落遺跡」はめちゃくちゃ重要なスポットです。
ここは今から約1350年前の斉明天皇の時代に、中大兄皇子が日本で初めて「漏刻(水時計)」を作り、時刻を人々に知らせた、いわゆる“時を刻む概念”発祥の地。明日香村は遺跡のオンパレードですが、ここはぜひ訪れてほしい!
さらに「飛鳥水落遺跡」を訪れたら、明日香村が開発したアプリ「バーチャル飛鳥京」も活用してみてください。スマホに入れたアプリを開き、地面を認識させて看板のところでタップさせると、AR(拡張現実)を使った、かつての水落遺跡が蘇るんです。
ディスプレイ越しに、当時を彷彿とさせる人物や人の動きを見られて、古代の飛鳥がすぐそこに。実際に体験してみると、奇想天外な没入体験ができて、かなり楽しめます。
さてさて、次に向かった先は「石神遺跡」。……といっても、今は田んぼしかないようなのどかな場所。遺跡はその下に眠っています。
ということで、「石神遺跡」については、「あすか夢の楽市」に設置された解説板を見るとイメージしやすいので、立ち寄るといいでしょう。
「石神遺跡」とは、中大兄皇子のお母さんにあたる、斉明天皇が作った古代の迎賓館。異国の人をもてなす場所として使われてきました。
ここで注目したいのが、道教の思想の中で、世界の中心に位置づけられる石「須弥山石(しゅみせんせき)」が出土されたこと。おそらく、遠くからやってきた来た人に、「ここが日本の中心地だよ!」ということを知らしめるために置いたのではないかと言われています。
実際に足を運んでみると、田んぼのあぜ道をトラクターがゴゴゴ……と通っていくような本当にのどかな場所。しかし、足元には遺跡の方角を示す方位マークがあり、想像をかき立ててくれます。
かつてはこの場所に、飛鳥寺があって、迎賓があって、水落遺跡があって。もし1350年前だったら、全部ここに残っていたと思うと、深い歴史を感じられますよね!
【11:00】日本最古の本格的仏教寺院「飛鳥寺」へ
2つの重要な遺跡を巡った後は、日本最古の本格的仏教寺院「飛鳥寺」へ向かいます。
このお寺を作ったのは、当時の豪族・蘇我馬子(そがのうまこ)。その後、蘇我氏が建てた「飛鳥寺」を中心に、日本で仏教が普及されました。
本堂に鎮座する日本最古の飛鳥大仏さまは、なんと約1400年前から、一歩も動かずここに座っているというから驚きです!
「どんなお顔をされてるのかな?」と近付くと、半分は目がつり上がりぎみで、やや険しい顔つき。もう半分は柔らかい優しい表情。……そう!「飛鳥寺」の仏さまは、お顔が左右非対称。見る位置によって表情が変わるので、とても不思議です。
「飛鳥寺」は火災などにより、現在かなり縮小されていますが、当時は約20倍もの壮大なスケールのお寺で、五重塔も建っていました。
そして、当時、この大きなお寺を作るときに、中国からさまざまな技術が日本に伝わりました。たとえば、大仏を作る金属加工技術や礎石をきる切石の技術。さらに瓦や建築技術なども、ルーツをひもとけば「飛鳥寺」が根源です。
ちなみに、「飛鳥寺」から歩いて数分の場所に、「大化の改新」で蘇我入鹿の首がポーンと飛んだと言われている、「蘇我入鹿首塚(そがのいるかのくびづか)」があります。
距離にすると、最初に訪れた「飛鳥宮跡」から、およそ500mほど!あの大谷翔平選手でも、ここまでは飛ばせない、なかなかの距離ですよね。
ちょうど蘇我入鹿・蝦夷(えみし)親子が住んでいた家があった「甘樫の丘」を見上げる場所に首塚があるのを思えば、「家に帰りたい」そんな気持ちがあったのかもしれません。
【12:00】「夢市茶屋」で古代米御膳ランチ
お楽しみのランチは、石舞台古墳近くにある農村レストラン「夢市茶屋」でいただきます。古墳の横でランチなんて、ちょっぴりワクワクしますよね。
看板メニューの「古代米御膳」は、古代米のご飯、メインのから揚げ、豆乳と吉野くずの豆腐、季節の野菜を使った料理など、ヘルシーだけどボリューム満点の内容。12~2月(冬)は「飛鳥鍋御膳」と「小雪鍋御膳(大和芋をすって団子にしたものが入るみず炊き)」になるとのことで、こちらも楽しみです。
【13:00】謎に包まれた飛鳥時代の石造物を巡る
明日香村は、あらゆるところから遺跡だけでなく、謎の石造物も見つかるミステリアスな地。午後は、そんな謎に包まれた石造物を巡る旅からスタートです。
「夢市茶屋」から車で約5分。「奈良県立万葉文化館」に車を停めて、ぷち登山感覚で、気持ちがいい竹林の道を登っていきます。やがて見えてきたのは小さな小屋。中をのぞくと、古い石垣が見えます。
日本書紀を読むと、斉明天皇の時代に「宮の東の山に石をかさねて垣(かきね)とす」という記述がありますが、「宮」=「飛鳥宮跡」の東側に当たるところが、まさにここ!
つまり、この石垣は飛鳥時代に積み上げられたもの。しかもこれは一部で、発掘調査の結果によると、成人男性よりも高い2mほどの石垣がずっと延長線上に続いていたと言います。
さらに竹やぶの小道を登っていくと、突如、不思議な掘り込みがある巨石を発見!ぱっと見は、まるでナスカの地上絵っぽいですよね。
この石は「酒船石(さかふねいし)」と呼ばれる飛鳥時代の石造物。その名のとおり、酒を造ったのではないか?という説や、何か祭祀に使われたのではないか?という説があり、今もはっきりと用途が分かっていない、謎の石造物なんです。
それにしても、古代の人は、いったいこの石を何に使ったのか……。いろんな空想がわき、ロマンがあふれます。
丘を降りたら、もう一つの謎の石造物「亀形石造物(小判形石造物)」へ向かいます。
こちらは、西暦2000年の発掘調査で発見され、大騒ぎになった話題のスポット。ニュースで大々的に報じられ、発見当時は、全国から古代史ファンが数万人単位で訪れました。
石の階段も石敷きの床も、ぜんぶ飛鳥時代のもの!意匠性が高く、造形のセンスの良さに驚きます。
よく見ると、どこからともなく湧き出す水が、和式便器のような水槽にいったん入り、亀の甲羅っぽい丸い水槽に流れる出る仕組みが施されています。
聞けば、この水の成分は「六甲山のおいしい水」とほぼ同じなのだとか!そう考えると、不純物を沈殿させる意味があるのかもしれません。
ここは飲用水のインフラだったかもしれないし、飲んでもおいしいきれいな水を使った儀式が行われていたとすると、古代の超VIPな人(天皇クラス)の私的な祭祀の場だったのかも。
いずれにしても、これだけのものが飛鳥時代に造られたと思うと、それだけで魅了されてしまいます。