近年のエンターテイメントの世界では、東京以外を拠点として活動を続けているアーティストも珍しくない。“ローリング・ピアノマン” リクオもその1人だ。1990年代にデビューして以来、作品を発表しつつ、年間130本ものライブツアーや、主催イベント〈HOBO CONNECTION〉を行うなど精力的な活動を行っているリクオは、現在京都から音楽を発信し続けている。2021年9月10日に発売された、弾き語りアルバムとしては11年ぶりとなる『リクオ&ピアノ2』も、京都での人脈で作り上げた作品だという。今回、リモートで京都と東京をつなぎ、現在の活動の様子とアルバムの内容についてインタビューを行った。その話ぶりからは、今の世の中に必要な「心の風通し」の良さが伝わってきた。
この1年半ぐらいで地域発信するという意識がより強くなっていた
――『リクオ&ピアノ2』は現在拠点にしている地元・京都の人脈で作り上げたそうですね。京都出身ではあるものの、以前は関東に在住してツアー活動をしていたリクオさんですが、そうした人脈は長年培ってきたものなんですか?
リクオ:僕は大阪の大学に通っていた頃に本格的に音楽活動を始めて、プロになってからも1996年までは大阪に住んでいたんです。京都磔磔や拾得というライブハウスには、アマチュアの頃からお世話になり続けていたので、京都、関西に住んでいなくても、つながりはある程度途切れることなく続いてはいました。もちろん、住んでいたわけではないので地域との密接なつながりがあったわけではないんですけども。ただ、地域に密着したいという思いは、京都に引っ越す前に神奈川県藤沢市の鵠沼海岸という海辺の街に住んでいた頃からあったんです。藤沢で地元のフェスのお手伝いをさせてもらったり、地域の音楽好きな人たちとのネットワーク作りはかなり意識的にやっていました。11年前に弾き語りアルバム『リクオ&ピアノ』を作ったときも、家から自転車で5分ぐらいの江の島の海沿いにあるライブスポット「虎丸座」でレコーディングしたんです。だから、考えてみると11年前のアルバムも地元で作ってるんですよね。今回はコロナ禍ということもあって、この1年半ぐらいで地域発信するという意識がより強くなっていたので、その実践の1つとして京都の人脈を活かして、自分が暮らす街でアルバムを制作することを当初から大きなテーマの1つにしていました。
――京都のどんな方々と制作していったのでしょうか。
リクオ:自分が今暮らしている京都一乗寺で町興しイベントを積極的に開催している「一乗寺フェス」チームの人たちが多く関わってくれてます。レコーディング会場になっているのが、一乗寺にある「アン・シャーリー」という喫茶店なんですけど、このお店は一乗寺フェスの会場の1つでもあり、スタインウェイのグランドピアノが置いてあって、ママさんはクラシックのピアノ演奏者でもあるんです。そのママさんは、一乗寺フェスのリーダーの谷田君がやっている「Cafe&Bar OBBLi(オブリ)」という店の常連でもあって、そこで一緒に飲む機会が結構あったんですよ(笑)。そういう感じで本当にご近所付き合いをしていて。店の距離も近いこともあって、「アン・シャーリー」でライブをやるときに「オブリ」の方から機材を借りたりすることあったり。今回、ジャケットデザインワークも一乗寺フェス配信チームの1人であるコバヤシナオト君という非常に優秀な映像作家にコーディネイトとディレクターをお願いして、彼が連れてきた信頼できるカメラマン・五十嵐邦之、デザイナー・中家寿之の3人とアイディアを出し合いながら進めていきました。レコーディングエンジニアも、京都のレコーディング・スタジオ「music studio SIMPO」の運営者でもある小泉大輔君にお願いしました。彼は、くるりの岸田繁君の大学の同級生で、くるりの新譜のレコーディングにも関わっています。長年プロアマ問わず京都のミュージャク・シーンを支え続けてきた、地域密着のスタジオ経営者でありエンジニアです。
――そういう人脈も、長年の活動で培われてきたものが、京都在住になってより強固になっていた感じですか。
リクオ:そうですね、京都に越してきた4年近くで、人脈は大幅に広がりましたね。
地元で感じた「良い街の在り方」
――一乗寺フェスやリクオさんの配信ライブを拝見すると、ライブハウスではなくてライブができる飲食店が多いみたいですね。
リクオ:一乗寺界隈には、所謂ライブハウスはないんですけど、バーやカフェに簡易なPAシステムやピアノが置いてあったりして、毎日ではなく月に1回など定期的にライブイベントを企画するお店が多いんですよ。一乗寺フェスというのはそういうお店が集まったサーキットフェスなんですけど、この10年でそういうお店が増えたんだと思います。それはとても良いことだと思ってます。
――それだけ生活と音楽が密接にある街?
リクオ:本当に小さな街なんですけどね(笑)。たぶん、そのコンパクトさがいいんだろうなって。大きな繁華街があるわけじゃないんですけど、曼殊院道(まんしゅいんみち)というストリート界隈にお店がそこそこ集まっているんです。その1つに「恵文社」という本屋プラス雑貨屋の大きなお店があるんですけど、そこは京都のサブカルチャー発信地とも言えるお店で、その周りにお店が集まっているような感じ。そうやって、1つの小さな通りにお店が集まってくるというのは、街の在り方として良い状況なんじゃないかなと思います。いろんなところにツアーに行っていて感じたことなんですけど、お店って一角にある程度集まっていないとその街が盛り上がらないんですよね。そうじゃないと横のつながりができにくいじゃないですか?小さな通りでもお店が一角に集中していると横のつながりができやすく、そのネットワークでイベント告知もやりやすくなるんです。
――今は地方に行っても、チェーン店ばかりで都市部と同じような光景のところもありますけど、お話を伺っていると一乗寺界隈は全然そんなことなさそうですね。
リクオ:ツアーで全国を回っていると、郊外にショッピングモールができて、商店街がシャッター街になってしまうという、日本全国共通の状況に気づきます。たぶんこの20年ぐらいで、その流れが急速に進んだと思います。大店立地法(大規模小売店舗立地法 / 2000年(平成12年)6月1日より施行)という、郊外に大型店を立てやすい法律に変わった影響も大きかったんだと思います。そのことによってドーナツ化現象が日本全国の地方で進んじゃって、どんどん街が寂れていくという状況なんですよね。だから、人が集まれるような社交場がなくなりつつあるんじゃないですかね。それはとても深刻な問題だと思いますし、「街がなくなっていってる」という実感があります。そういう意味では、僕が前に住んでいた藤沢や今住んでいる京都は、まだ街が生きているんですよね。
――だからそこに音楽もずっと息づいているということですか。
リクオ:そうですね、そう思います。
――『リクオ&ピアノ2』に収録されている「ランブリングマン」の歌詞にもあるように、日本全国を旅していたリクオさんが、以前のようにツアーができないというのは相当影響がありますよね。
リクオ:変化はもちろんあるんですけど、僕が日本各地を回って活動を継続できたのは、その地域地域に人のつながりがあったからだと思うんです。以前、藤沢に引っ越したときに感じたんですけど、それまで僕は東京に住んでいて、近くの下北沢に行っても、一緒に飲むのは音楽関係者ばかりで、それ以外のつながりがなかったんです。でも地方に行くと、業界の人以外といっぱい知り合うんです。僕がツアー生活を始めたのは、自分が選んだというよりは、それ以外の選択肢がなかったからなんですけど、ツアー暮らしを始めたら業界以外の多様な人とダイレクトに出会う機会が多くなって、そういう人たちの価値観、時間の流れ、その街の空気感とかに触れることによって「心の風通し」が良くなったんです。その体験が今の僕の原点になっていて、各地方で感じた音楽を通じた人との緩やかなつながり、コミュニティを自分が暮らす街でも実現できないかな、自分もそのつながりの中に参加させてもらえないかな、という思いが強くなったと思うんです。このパンデミック下で思うようにツアーに出ることができなくなったんですけど、自分が暮らしているこの京都の街で、自分がツアー暮らしで感じてきたことをより実現していくというか。そういう機会になればいいなという思いはありました。


