大河ドラマ『青天を衝け』(NHK総合 毎週日曜20:00~ほか)の第12回「栄一の旅立ち」(脚本:大森美香 演出:黒崎博)は血洗島編クライマックス。栄一(吉沢亮)たちの横濱焼き討ち計画は意外な方向へと舵を切った。

  • 『青天を衝け』第12回の場面写真

■長七郎の涙の訴えで横濱焼き討ち計画中止

攘夷に最も燃えていたような印象のあった長七郎(満島真之介)が、栄一たちの作戦を「無謀」「子どもだましの愚かな謀」と猛反対。第10回で、尾高惇忠(田辺誠一)が長七郎を止めたこととは立場が逆転したかのようだった。確かに、創作の「八犬伝」に影響されている(第11回より)ような作戦であるから「子どもだましの愚かな謀」ではあるが……。

「命が惜しくなったのか」と問う栄一に、「俺の命は惜しくない」と言う長七郎。なぜそんなに「命を捨ててでもおまえたちを思いとどまらせる」とムキになるかといえば、老中・安藤殺害作戦に失敗して亡くなった河野顕三(福山翔大)のことを思っていた。

「あいつらがなんのために死んでしまったのか、わからねえ」「俺はいま、ただただもうおまえたちの尊い命を犬死にで終わらせたくねえんだ!」と号泣する長七郎の剣幕に気圧され、作戦は中止になった。

■「どんなに間違えてもみっともなくても生きてみせる」

作戦がとりやめになり気が抜けたように家に戻ってきた栄一は、2番目の子・うたを抱く。生まれてから一度も抱いていなかった理由は、病で急死した第1子・市太郎のようにまた失ってしまうのがこわくて向き合うことができなかったからだった。

愛らしい小さな命を抱きながら体いっぱいで命の喜びを感じた栄一は、改めて子どものために生きようと考える。社会のため、人々の幸せのため、攘夷の思想を命をかけて全うすることよりも「命」の大切さに気づいた瞬間。「死なねえで良かった」と嘆息する。

「どんなに間違えてもみっともなくても生きてみせる」そう決意した栄一だが、これまでの行動によって八州廻りに目をつけられているため、血洗島を出て京都に向かうことにする。

旅立ちにあたり、それまで家の金をこっそり使っていたことを父・市郎右衛門(小林薫)に告白し謝罪すると、「俺はこの年になるまで孝行は子が親にするものと思っていたが親が子にするものだったとはなあ」と苦笑しながら、市郎右衛門はお金を手渡すのだった。農業に全人生を注いでいるように見えた市郎右衛門も、渋沢家に婿に来る前は武士になりたかったのだ。だからこそ息子の広い世界を見たい想いも理解でき、応援したいとも思ったのかもしれない。

市郎右衛門の言うように「孝行は親が子にすること」とは奇妙な気もする。確かに子が成長した暁には、これまで育ててもらった親に孝行するものというのが道理ではないだろうか。いやでも、未来を考えたら、親が子にできるだけのことをしてその恩を親にまた返すのではなく、次世代の子に手渡していく――いわゆる“恩送り”の考え方のほうが合理的ともいえるだろう。この考えはこれからの命を大事にすることでもある。長七郎がこれ以上、仲間を死なせたくないと思ったことや、栄一が子どものために生きると考えたこと、市郎右衛門が栄一の旅立ちにお金を用意すること、すべてが未来のための行為である。

■栄一と喜作を気にかける円四郎「おかしれい」

徳川慶喜(草なぎ剛)が将軍の後見役として表舞台に復帰したことに伴い、再び慶喜につかえている円四郎(堤真一)もまた、偶然出会った栄一と喜作を気にかける。真剣に国の行く末を心配する彼らを「おかしれい」(面白いの江戸弁)と評価するも、その無謀っぷりでは「長生きしないだろうなあ おしいなあ」「死んじまうんだろうな 死なねえといいんだけどなあ」と死ぬことをとても心配する。自分こそ命を狙われているらしいのに妙にのんきに。もしかして覚悟してわざと飄々としているのか。

円四郎は若く血気盛んな栄一たちに、世の中の大きな流れを知るには、武士になったほうがいいから、幕府の中枢――徳川慶喜のお膝元に入ったほうがいいと誘う。でも栄一たちは断る。そのときはまだ横濱焼き討ちを考えていたからだ。でもこの出会いがあったからこそ、栄一たちの運命の軌道は大きく変わっていくことになる。

円四郎は栄一たちの若気の至りの理解者か。それとも単に尊皇攘夷の思想をもった危険人物を言いくるめようとしたのか。どちらにしても栄一たちが気持ちを変える可能性はあると思っているのであろう。攘夷が「とんでもねえ流行り病」になってしまったように思うと川路聖謨(平田満)は危惧する。幕末の倒幕運動に関するエピソードはたいてい過激で刹那的で「死」が色濃く血なまぐさい雰囲気が漂う印象があるが、『青天を衝け』が極力「生」に意識を向けようとしているように感じるのは、コロナ禍、皆が生きることに疲れそうになっている今、放送されるドラマだからであろうか。自棄にならず顔をあげ、未来を思って生きていこうと思わされる。

栄一たちを心配した長七郎が「狐を見た」と平九郎(岡田健史)に言ったときのやけに穏やかな顔も気にかかる。すっかり憑き物がとれたような顔が逆に心配だ。とにもかくにも舞台は京都へ――。

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