2011年3月11日に発生した未曾有の災害・東日本大震災から10年。マイナビニュースでは、この震災に様々な形で向き合ってきた人々や番組のキーパーソンにインタビューし、この10年、そしてこれからを考えていく。
フジテレビのドキュメンタリー番組『ザ・ノンフィクション』(毎週日曜14:00~ ※関東ローカル)では、宮城と福島で家族や仲間、故郷を失った少年と少女が歩んできた10年を追った『わすれない 僕らが歩んだ震災の10年』を、7日と14日に前・後編で放送。
ナレーションを担当した女優の薬師丸ひろ子は、震災に運命を翻ろうされた子供たちに、「自身を精いっぱい納得させようとする姿を見るのは、本当につらいです」と語る――。
■発した言葉が「無駄じゃなかったと知ってほしい」
14日放送の後編では、全校児童の約7割にあたる74人の幼い命が津波で犠牲になった宮城県石巻市・大川小学校で、多くの仲間と最愛の母・妹・祖父を失いながら奇跡的に助かった“てっちゃん”(当時・小学5年生)こと只野哲也さんに密着。この10年、自らの運命を背負うかのようにメディアの取材を積極的に受けてきたが、「これからは、誰かのためじゃなく自分のために時間を使いたい。だからもう取材はこれで…」と、信頼を寄せるディレクターに本心を打ち明ける。
そんな彼の10年を見守った薬師丸は「最初は自分の素直な気持ちで、気持ちを伝えたいと、カメラの前に立っていたと思うんですけど、成長していくにつれ、それが後から様々な覚悟が必要になるということに気づいて、悩み、葛藤があったのではないでしょうか」と推測。
その“覚悟”を象徴するのは、大人になった哲也さんが発した「大川小に限らず、震災当時の子供たちは、子供じゃいられなかったんじゃないですかね…」という言葉だ。
彼は「演じていたんでしょうね。“大川小の只野哲也”を」とも語っているが、薬師丸は「演じるというのは、言葉ひとつにしても、明るく振る舞うことも、自分が前を向いて生きていくため、自分自身を支えるために無意識に心の奥底にある悲しみや絶望をあえて見つめない術だったのでは……と想像します」。
一方で、「彼の発する言葉は、柔らかくユーモアもあるのですが、直球で伝わってくるんです。ご本人は今、気づいてないかもしれないけど、哲也さんが発した言葉に考えさせられ、また勇気をもらったり、感銘を受けた人がいるということ。だから、あと何年かしたら、自分が苦しみ、もがきながらやったことが無駄じゃなかったのかなあ、そんなこともあるんだね、と知ってほしいなと思います」とその行動を称え、「教えてもらうというのは、本当に年齢に関係ないんだと思います。今回は哲也さんに、また前編で登場された絵理奈さんに、背筋を伸ばして謙虚に生きることの大切さを見せてもらいました」と感謝した。
■周囲からも「涙なくして見られませんでした」
前編で密着した島絵理奈さんは、小学校の卒業直前に震災にあい、原発事故により福島県南相馬市・小高区から放射能を逃れ、転居や別れを繰り返してきた。彼女もまた、哲也さんと同じように明るく振る舞い、理不尽な運命に対する自分の気持ちを、心の奥に押し込め続けてきた1人だ。
彼女への密着を振り返り、「絵理奈さん、悩んだ分だけ人にも優しくなれるのでしょうか。親友が絵理奈さんのことを『太陽みたいな人、悩み事を相談しても全部跳ね返してくれる』と話していましたが、その言葉が印象に残っています」と語る。
そんな被災地の少年少女たちを見て、「お父さん、お母さんが子供のためを思って考えてくれてるのだから、『自分だけがわがままを言っちゃいけない』と自身を精いっぱい納得させようとする姿を見るのは、本当につらいですね」と心が痛んだそう。放送を見た周囲の人からも「本当に切なくて身につまされる思いがして、涙なくして見られませんでした」と、感想が寄せられたそうだ。