――翔一はアンノウンとの戦いがないとき、美杉家で野菜を作ったり料理をしていたりと、家庭的な描写が多かった印象ですね。

仮面ライダーなので、アクションシーンも一通り対応できるよう、撮影に入る前から2か月くらい、JAEさんの道場に通って練習していましたが、変身前の翔一がアンノウンと戦うシーンはそれほどありませんでした。普段の翔一は料理を作ったり、野菜を育てたり、ダジャレを言ってたりするイメージですよね(笑)。エプロンの似合う仮面ライダーだって、当時はかなり珍しがられていました。それだけに、変身前と変身後(アギト)との差がついて、面白くなったんじゃないかって思っています。

――さまざまな謎が散りばめられた状況で、3人の仮面ライダーがうごめきあう複雑なドラマ構成はミステリアスで、1年間にわたって視聴者の興味をひきつけました。演じられる側として、毎回の台本をどのように受け止めていらっしゃいましたか。

お話がけっこう複雑で、今改めて思い返してもよく出来ているなあって思いますね。失われた翔一の過去や、謎の人物「沢木哲也」の存在、そして翔一のお姉さんの死の真相など、大人も引き込まれていくようなストーリーの面白さが『アギト』の大きな魅力でした。

――メインライターを務めた脚本家・井上敏樹先生とお会いされたことはありましたか。

当時、何度もお会いしましたね。撮影現場には来られたことはないですけど、撮影所で打ち合わせがあったり、東映の本社にうかがったりしたときにバッタリ会うような感じでした。「おう、お前もトシキか!」と言われて、字は違いますけど同じトシキということで可愛がっていただきました(笑)。

――特に印象に残っている監督さんはどなたですか?

第1、2話を撮られたメイン監督の田崎竜太さん(※田崎監督の「崎」は立つ崎が正式表記)ですね。ストーリーやキャラクターの動きについて細かいところまで説明していただいて、役者がしっかり納得するまで話し合いをしてくれて、ありがたかったです。タイトな日数で撮影しないといけないので、説明や話し合いに時間がかかるとスケジュールが押してしまい、その分現場の空気がピリピリしてくるものなのですが、それでもみんなが妥協せずにこだわりぬいた結果、クオリティの高い作品ができたんだと思っています。

――変身後のアギトに声を入れる「アフレコ」での苦労などはありましたか。

翔一はアギトに変身した後は、あまりしゃべらないんですよ。アンノウンと戦うときに「ハッ!」「タァッ!」みたいなかけ声を入れるだけなので、アフレコでは苦労したことはないです。G3はセリフが多かったですから、要のほうが大変だったみたいですね。友井のギルスは、とにかく"叫んでいた"印象があります(笑)。

――『アギト』は同時期の『百獣戦隊ガオレンジャー』とともに、イケメンヒーローブームを巻き起こしました。

劇場版『PROJECT G4』の舞台挨拶で九州に行き、僕と要、友井でトークショーをやったのですが、そのときに集まったお客さんの数が尋常ではなくて、驚いた記憶があります。富士山近辺にあった遊園地では、テレビの撮影をしながら、合間にトークショーを入れて、とんでもないスケジュールをこなしていたこともありました。ここでも凄い数のお客さんがいらしていて、僕たちの待合室まわりにも人が押し寄せたりして、とにかくびっくりしたのと同時に、『仮面ライダーアギト』の人気の高さを感じました。

――放送当時、ファンのみなさんから寄せられたメッセージで、特に心に残ったものがあったら教えてください。

いただいたお手紙には、すべて目を通していました。熱い応援をしてくれて、うれしかったですね。あのときはデビューしたばかりの新人俳優でしたけれど、この仕事をやっていてよかった!と思える出来事がたくさんありました。それは、闘病生活を送っている方や、悩みを抱えている方たちからのお手紙に「翔一の笑顔から、勇気をもらえました」なんて書かれてあったこと。感動すると同時に、こんなに多くの人たちに影響力を与えられるのはこの仕事しかないんじゃないかって、そのとき強く思ったんです。