14年前の秋に流された『黄桜』のテレビコマーシャルは忘れ難い。「小林繁と江川卓、28年目の和解」──。撮影現場に台本はなかった。江川が詫び、小林がそれを受け入れる。そして、ふたりが、あの時の思いを本音で語り合う。1時間余りの対面、酒を酌み交わしながらのラストメッセージをここに再現する。

  • 常に情熱溢れる全力投球。小林繁は短い人生を熱く駆け抜けた。(写真:毎日新聞社)

■「二人ともしんどかったか」

真っ白な壁を背に江川卓が立っている。
そこへ小林繁が歩み寄る。
「どうも御無沙汰しております」
緊張した面持ちで頭を下げながら、江川が先に言葉を発する。
「何年振りかな?」
真っすぐに江川を見据えて、小林が問いかける。
「御無沙汰しております」
「何年振り? 球場では会うんだけど、こうやって話をすることがないんだよね。お互い避けてたのかな」
「う~ん、いただきます」
「しんどかったやろなぁ」
「はい」
「俺もしんどかったけどな。二人ともしんどかったか」
「そうですよね」 そう江川が答えたところでナレーションが入る。
時を結ぶ、人を結ぶ、酒は黄桜。

このテレビコマーシャルが放映されたのは2007年秋。収録は、その年の9月11日、東京・目黒区内のスタジオで行われた。
小林繁54歳、江川卓52歳。
コマーシャルの映像は、いたってシンプルで静かに緩やかに流れる。にもかかわらず、画面からは安らいだ空気などではなく緊張感が伝わってきた。
改めて言うまでもなく二人には、浅からぬ因縁があった。

1978年11月21日、江川は「空白の一日」を利用して入団を熱望していた読売ジャイアンツと契約を交わした。これは明らかなドラフト破りであり、後にこの契約は一度無効とされるが、結局、江川は希望通りにジャイアンツに入団する。その身代わりとして巨人から阪神に放出されたのが小林だった。
時を経たとはいえ、そんな二人が台本も無しに真正面から顔を合わせる。緊迫した空気に包まれぬはずがなかった。

このCM出演の話を持ちかけられた時、小林は一度断りを入れている。自己破産をした直後で、彼は福井で静かに暮らしていた。
「いまさらコマーシャルに出る気はない」
小林は、そう言った。 だが、このCMを企画した博報堂のチーフ・クリエイティブオフィサー(当時)宮崎晋が粘り強く説得する。
「俺がやるといっても、江川君はどうなの? 断ると思うよ」
小林にそう言われた時、宮崎は答えた。
「江川さんはやりたいと言っています。小林さんさえよければやりたいです、と」
その言葉を聞いて小林は出演を承諾した。

■「君の方がはるかに上よ」

黄桜のCMには、この「出会い編」だけではなく、さまざまなバージョンがあった。
たとえば「葛藤編」──。
「いつかやっぱり謝らなければっていうのは頭の中にあったんですけど、きっかけがないんですよね。で、初めて訪れたのか、そのレストランですよね。レストランを訪れたと…」
江川の言葉を遮るように小林が言う。
「そこを俺がこうしちゃったんだよね」
「いやいや、だから…」
「いろんな葛藤があったんだ。俺自身にもあったけども、多分一番苦しかったんだと思うよ。うん、当事者であるっていうことはね」

小林がタイガースに移籍した年に、実は二人は顔を合わせている。友人であったクールファイブの内山田洋らと小林は六本木のステーキハウスで食事をしていた。そこへ偶然、江川がやってきた。
小林に気づいた江川は、一言謝りたいと思いテーブルに近づく。その時、小林は右掌を広げて「来なくていい」と合図をした。二人はこの時、交わっていない。

  • 忘れ難き黄桜テレビコマーシャルのワンシーン。小林は江川を優しく包み込んだ。(画像提供:黄桜株式会社)

あるいは、「対戦編」──。
「一生お前とは投げ合いたくなかった」
小林がキッパリと言う。
「僕はね、負けられないと思っていたんですよ」と江川が返す。
「そう。負けられないんだよね、多分、君はね。その一年前だったら、俺が対戦しても負けられないと思って、多分勝ったと思うよ。だけどもそれが、年月がこう一枚一枚ページがめくられていくうちに、変わっていくんだよね」
「そうですね」

1980年8月16日、雨中の後楽園球場での初対決。小林は打ち込まれ5回でマウンドを降り、軍配は完投勝利を収めた江川に上がる。
試合後、悔しさを滲ませることもなく淡々とした口調で小林は言った。
「これで煩わしいことから解放される」と。

このCMのテーマは、二人の和解だった。
江川が「空白の一日」のことを詫び、小林がそれを受け入れる。
28年目の「和解」──。
二人は酒を口に運びながら66分間、語り合った。CM映像には収録されなかったが、小林は、こんな言葉も残している。
「江川というピッチャーは、ピッチャーとして見たら凄いよ。俺とまともに投げ合ったら力は全然違う、君の方がはるかに上よ。俺は、手を噛み切ってでも勝とうという、そんな野球のやり方だったからね」
「あのことがあったから俺は、(阪神での1年目)あそこまで野球に打ち込むことができた。そうじゃなかったら22勝なんてできなかったよ。でもその分、失ったものも多かったけどね。それが俺の運命だったということ…」

江川を許すも許さないもなかった。ただ過ぎた日のこと。
これは小林にとって和解ではなく、江川が背負っていた重荷を下ろす儀式だったのだろう。

それから約2年4か月後の2010年1月17日、突然の心筋梗塞による心不全で小林は他界する。享年57。早すぎる死を多くの野球ファンが悼んだ。
誰も忘れやしない。情熱のサイドスローよ、永遠に──。

文/近藤隆夫