ようやく日本にもリモートワークが普及し始めた。まだその兆しが見えた程度かもしれないが、それでもコロナ禍以前は考えられなかったほど大きな変化である。

リモートワークができるなら、都市在住にこだわる必要もない。現に今、地方移住を視野に入れて人生設計を再検討する人も増えていると聞く。もっとも気になるのは、リモートワークでも本当に安定的で継続的な仕事を得られるのかということだ。

シンガポールに移住して10年、コミュニティ・PRコンサルタントとして活躍する小野麻紀子さんは、リモートワークに移行してすでに2年を数える。今回はリモートワークのベテランである小野さんに、そのキャリアの積み方をうかがった。

海外移住で陥った「アイデンティティロス」

  • シンガポールでリモートワークを続ける「日本人ワーキングママ」の生き方
  • 小野麻紀子さん
    シンガポール在住10年。二児の母。コミュニティ・PRコンサルタント。2018年に独立し、その頃から仕事の9割をオンラインで行う。2013年「はたらくママ@シンガポール」を立ち上げ、イベントやウェブサイトを運営。その精力的な活動はメディアで取り上げられることも多数。
    小野麻紀子 個人WEB:https://makico0414.com/
    はたらくママ@シンガポール:http://asia.hatamama-world.com/

小野さんは大学卒業後、創業して間もないスタートアップ企業に新卒入社した。業種はパートタイマー専門の人材派遣で、小野さんは広報を担当。「最初はわからないことだらけだったけど、とにかく楽しかった」という。

しかし28歳で結婚し、ほどなく夫の仕事の都合でシンガポールへ移住。大好きだった会社も退職した。

「当時、TOEICなんて300点ですよ。英会話もできないし、ビザの問題もあって、仕事を選ぶことなんてできませんでした。結果的に、法人向けの通信系企業で営業職に就いたのですが、やりがいが持てず、アイデンティティロスになってしまったんです。3日に1度は『この世の終わりだ!』と叫んでいました(笑)」

今でこそ笑って振り返るが、当時は深刻だった。

「日本での仕事は楽しかったし、誇りもありました。それなのに、その時の自分に仕事が選べないという事実が受け入れられなかったんですよね」

その後、人材紹介会社への転職を決めたものの、内定から3日後に妊娠が発覚。産休と育休は産前産後12週しかなく、産後2カ月で復職した。そうして育児と仕事を両立するなかで、「子どもを預けて働くなら、本当に自分の好きな仕事をしたい。時間と場所に捉われずに働くには独立しかない」との思いを強めていく。

理想の仕事を探すために正社員→時短社員→パートと、少しずつ時間を確保。その度に夫とも話し合った。シンガポールは物価も家賃も子育てに伴う費用も高い。当然、正社員の立場を捨てることには恐怖心も伴った。

「自分が楽しめる」ことから再スタート

  • 「はたらくママ@シンガポール」のメンバーたちと

時間を確保した小野さんはまず、自分と立場を同じくする邦人コミュニティの"ワーキングママ"たちに着目した。現地で働く中で、自分を始め、育児と仕事の間で悩む女性を数多く目にしてきたことがずっと心に引っかかっていたという。

「もともと女性のコミュニティやキャリアに興味があったので、ワーママとしての不安も楽しみもみんなで共有できる場がほしいなって思いました。それなら自分も楽しめるし、周りのワーママたちも助かるはず……ということで、任意団体『はたらくママ@シンガポール』を作ったんです」

人と話すことが好きな小野さんはまず、コミュニティ内で座談会をはじめ、キャリアにまつわる勉強会や、現地の教育についての勉強会などを企画。同じ思いを持つワーキングママ同士で、建設的な情報交換をした。その後、個人的にコーチングやカウンセリングのボランティアを始めたという。

相談にくるワーキングママたちは仕事と育児のバランスと取り方、そして夫婦関係などについて小野さんにアドバイスを求めた。やはり小野さんと同じく、パートナーの転勤で移住してきた人も多く、慣れない外国の地で悩みや迷いを抱えている人も目立ったそうだ。

「この1回の悩みの解決で本当にこの人の人生は良くなるのか?」と疑問に思い、本格的なスキルの習得に動き出す。

「もっと実力をつけるために、千葉県にいるコーチングの先生にオンラインで講義を受け始めたんです。合計9カ月ほど勉強して、コーチングの資格を取って、ようやくビジネスとしても立ち上げることができました」

今やコミュニティの大きさは500人規模に膨らんだ。努力の末に、コーチングも仕事として成立するに至った。また移住することがあっても続けられるよう「どこにいてもできる仕事(=リモートワークできる仕事)」を意識していたため、オンラインで行えるコーチングはなどは理想のかたちでもあった。

小野さんはこれらの経験や知識を活かし、この春から起業家向けにコミュニティコンサルティングやPRコンサルティングを展開。日本やシンガポールはもちろん、タイ、インドネシア、ドイツ、アメリカなど、世界中から依頼を受注し、フルリモートで仕事をこなしている。

「2人目の娘が産まれると同時に住み込みのフィリピン人メイドさんを雇用しました。今も掃除、洗濯、料理のほとんどを彼女が担ってくれて本当に助かっています。私が料理をするのは、彼女がお休みの日曜くらいですね」

始めは「こんなに家事をしなくて良いのか」と葛藤したこともあったが、現地の"先輩ママ"に家事の相談をした際に、「仕事の後に料理なんて、無理。買っていくか、誰かに頼めばいい。子どもとの信頼関係を作るのは母の仕事だけど、他の人に任せられるのはどんどん任せるべき」とアドバイスされ、次第に「それもありかな」と思えるようになった。

「おかげで、仕事が終われば子どもとの時間に集中できますし、週末も家事のことを考えず、子どもとの時間が取れて本当にありがたいです。国が違えば状況も異なりますが、いずれ日本に帰ることがあれば、家事代行などを利用して我が家らしいスタイルを作っていけたらと思っています」

一歩を踏み出すには「伴走者」探しから

  • 「はたらくママ@シンガポール」では、30名ほどのボランティアで、定期的にイベントも開催している。現在はオンラインで実施

言葉も通じない国に移住して、こんなに自分らしく働くことなど、誰でも真似できることではない。その成功の秘訣はどこにあるのか。

「私が常に意識しているのは、どんな人に囲まれた人生を送りたいのか、何がしたいのか、何が好きなのかを自分で確認していくこと。そして、ロールモデルを見つけることです。自分のちょっと先をいく先輩を見つけると、『私にもできるかもしれない!』と思いますよね」

しかし、小野さんですら、外国の地で自分のロールモデルを探すのは簡単ではなかった。

「インターネットで『海外、女性、キャリア』などと検索して、日本国外で活躍している人に連絡していました。ステキだなと人がいたら、『一度スカイプでお話できませんか?』と声をかけ、地道に繋がりを作っていく。マレーシア在住のワーママに会いに行ったこともあります。こんな生き方があるんだ、こんな働き方があるんだ、と勇気をもらいました」

そうして小野さんは次第に"自走"する力を身に着け、今では自ら人と人、そして企業と人をマッチングさせるハブ役を担っている。

「一歩を踏み出したいと考えている人は、まずロールモデルを探してみるのはオススメです。勇気がなくてなかなか行動ができない方は、コーチングを受けるなどして、『伴走者』を見つけるのもオススメですよ」

新しい時代の働き方を考える

リモートワークが普及すれば、その分、働き方も多様化していく。それは、自分の仕事観を見つめ直すキッカケにもなるはずだ。

「私はもともと人とつながること、人をつなげることが大好きなんですよね。今はそれをビジネスにするチャレンジをし始めた段階です。好きなことを仕事にできていれば身体が勝手に動くので、今が本当に幸せです!」

小野さんはインタビュー中、何度もそう繰り返した。

まずは自分と素直に向き合うこと。どうやら新しい時代を迎える準備は、そこから始まるようだ。