東京2020オリンピックで1984年ロサンゼルス大会以来の金メダル獲得を目指す日本の野球チーム"侍ジャパン"。本企画では、元プロ野球選手で2004年アテネ大会と2008年北京大会の代表歴のある上原浩治氏をゲストにお招きし、整形外科の先生方と、スポーツ障害をテーマに話し合っていただきました。

  • 上原浩治氏 元プロ野球選手 野球解説者・評論家

19歳での一浪生活の経験がその後の人生の大きな糧に

田中 「本日は、日米で投手として活躍された、元プロ野球選手の上原浩治さんをゲストにお迎えいたしました。上原さんは大阪府寝屋川市のご出身ですが、実は私も寝屋川市の出身で、子供の頃は野球をやっていましたので、本日は『寝屋川の星』をお迎えすることができてたいへん光栄に存じております。

まず、上原さんにお聞きしたいのですが、上原さんが野球を始められたきっかけはどういうことだったのですか」。

上原 「父親が地元の少年野球チームの監督をしていまして、そこに2歳年上の兄も所属していたのです。私は幼稚園の頃からその兄について行って球拾いなどをしていたので、小学校に上がると、自然にそのチームに所属するようになりました」。

田中 「小学生の野球チームというと、いちばん上手な子がピッチャーで4番を打つというのがよくありますが、上原さんもそんな感じだったのですか」。

上原 「小学生ではピッチャーもしていましたが、中学生になると学校に野球部がなかったので、陸上部に入って、そちらの活動のほうが主になっていました。高校はわりと野球の強い学校に入り、野球部に所属しましたが、脚力を見込まれて、2年生までは外野手をすることが多かったですね。

3年生になって控え投手になり、夏の最後の甲子園を目指した大阪大会で、短いイニングですがマウンドに立ちました。そこで、打者を抑える喜びみたいなものを感じて、大学でも野球部に入り、投手をやってみたいという気持ちになりました」。

田中 「大学受験には失敗されて、浪人生活を1年間経験されていますね」。

上原 「大阪体育大学を受験したのですが、てっきり受かるものと思っていましたので、不合格の通知をもらったときは正直ショックでした」。

田中 「浪人中はどのような生活を送られていたのですか。トレーニングなどはされていましたか」。

上原 「予備校に通いながら、体をなまらせないためにジムでトレーニングも積んでいました。家へあまり負担をかけたくないので、夜間は道路工事などのアルバイトもしていました」。

田中 「少年の頃から野球エリートで、浪人生活やアルバイトなどは経験したことがないという普通のプロ野球選手とはまったく違うキャリアですね」。

上原 「そうですね。でも、浪人したことの口惜しさや、アルバイトである程度世の中の厳しさを知ったことは、その後の人生で大きな糧になったと思っています」。

茂呂 「プロ入りされてからの背番号19は、浪人生活を送った19歳の1年間を忘れないようにという意味が込められているそうですね」。

上原 「そのとおりです」。

  • 田中栄先生 東京大学大学院医学系研究科 整形外科学 教授

田中 「大学へ入られてからの上原さんは、1年目からチームのエースとして阪神大学リーグの優勝に貢献されています。また、3年生当時の日米大学野球選手権大会では代表入りし、大会タイの14奪三振を記録されています。この頃にはNPBだけでなくMLBの球団からも注目されるようになっていたと聞いています。

そして、1998年のドラフト会議を経て巨人に入団されて以降のめざましい活躍は、皆さんご存知のとおりです」。

ルーキー・イヤーの翌年から大腿の肉離れを繰り返す

田中 「上原さんは現役生活21年間で何回か怪我をされていますね」。

茂呂 「最初の怪我はルーキー・イヤーの翌年の広島戦でしたよね。たしかランナーに出ているときに太腿の肉離れを起こされて、テレビで見ていてもヒヤッとしました」。

上原 「よくご存じですね。最初は右大腿だったのですが、それからは左右交互に10回くらい肉離れを起こしています。一度肉離れを起こすと、それをカバーしようとして、反対側にも肉離れを起こしてしまうようです」。

茂呂 「2回目からの肉離れは、ランナーではなくピッチャーとしての動作によるものですか」。

上原 「そうです。投げる動作に入るときにグラウンドにスパイクが少しかんでしまうのです。そのときに太腿にビリッときます」。

茂呂 「ご著書の『覚悟の決め方』に、1回目の肉離れの後に復帰したら、前には空振りが取れた球がバットに当てられるようになったと書いておられますね」。

  • 茂呂徹先生 東京大学大学院医学系研究科 関節機能再建学講座 特任准教授

上原 「1回目の肉離れが7月で、そのシーズンはそれで終わりのつもりが、チームが日本シリーズに進出したので、第3戦で先発することになったのです。その試合では勝利投手になれたのですが、なにか肉離れの前とは違う感じがしました。やはり、肉離れが治りきっていなかったのか、体が万全ではなかったのかもしれません」。

田中 「肉離れ以外には、どのような怪我を経験されていますか」。

上原 「右肘は何回か痛めていますし、右手首の骨折も経験しています。幸いなことに、肩は痛めたことはありません」。

田中 「投手で怪我が多いのはなんといっても肘と肩なのですが、これは動物の進化とも関係があるのです。というのは、物を速く遠くまで投げられれば、それによって獣を倒すことができるので、生存のために有利なのですね。そのため、ヒトは肘や肩をうまく使って物を速く遠くまで投げる能力を最大限に発達させてきたのです。

ヒト以外でその能力のあるのはチンパンジーなど霊長類ですが、それでもヒトに比べれば、物を投げる能力はせいぜい10分の1程度です。ただし、物を速く遠くまで投げるためには、やはり肘や肩には無理を強いているので、そのために故障も起こるわけです。

投手が150キロの球を投げるときには、肩を1秒間に9,000度、つまり円でいうと20回以上ぐるぐる回るくらいの速度で回旋させる必要があります。これで筋肉や靭帯などに断裂がまったく起こらないとしたら、むしろ、そちらのほうが不思議ですよね」。

茂呂 「野球選手の腰の故障では、成長期の選手が腰の疲労の蓄積に気付かないまま練習を続けていたために起こる腰椎分離症が増えています。体質的な部分もありますが、一般的には繰り返しの捻り動作で起こることが多いとされています。

最近では、打撃練習でボールを遠く飛ばすためにロングティーの練習を取り入れることが増えており、それで腰をより激しく捻ることで発症することもあるようです」。

後編に続く。

※本記事は「久光製薬スポーツ座談会 トップアスリートが向き合うスポーツ障害から学ぶー野球選手に多い怪我と予防法ー」より転載しました。