テレビに出ない芸人・松元ヒロに密着したドキュメンタリー番組『テレビで会えない芸人』(鹿児島テレビ制作)が、フジテレビで21日(27:05~28:00)に放送される。
松元は、鹿児島生まれの66歳。“政治”や“社会”を“笑い”で斬るその芸はテレビでは会えない。そんな彼に、昨年春から1年間、故郷・鹿児島テレビのカメラが密着した。テレビで会えない芸人から今の世の中をのぞいてみると、その先には“モノ言えぬ社会”が浮かび上がってきた。
東京・渋谷で約束の場所に現れた松元に話を聞こうとすると、いきなり話を遮られる。目の前には点字ブロックを探す目の見えない女性がいるが、誰も見向きもしない。ヒロは女性に近づき優しく声をかけた。松元ヒロとはそういう芸人だ。
大学時代にチャップリンの映画を見て、芸の道を志した。パントマイムから始まり、コミックバンド、その後、結成した社会風刺コント集団「ザ・ニュースペーパー」でブレーク。数々のテレビ番組に出演して人気を集めていたが、ちょうど20年前、46歳の時に脱退した。“自分の思ったことを言いたい”とソロ活動へ、そして同時にテレビを捨てた。
松元の舞台はスタンドアップコメディー。政治や社会問題をネタに庶民の立場から権力をあざ笑う。本や映画も題材に取り入れ、世の中で大切なモノを笑いで包んで語りかける。
紀伊國屋ホールでの春公演を控えていた松元。愛妻のおにぎりを頬張りながら、ネタ作りに悩む。今回のメーンの演目は難病患者のお話だが、うまくいかない。何を伝えるべきなのか。
松元に“笑い”について聞くと、「弱者の立場からモノを言いたいんです。世の中を笑い倒したいんです。多数派の意見で作られていく今の世の中、テレビもそう。だからこそ、小さな声に耳を傾けることに意味があると思うんです」と、テレビを捨てた理由を語る。
舞台当日、400人の席は満員だった。ステージに立った松元はパワー全開で、いつものように“政治”を“社会”を、“笑い”にする。規制に縛られるメディアがなかなか取り上げない、声なき声をすくい上げては、笑いで一言モノ申す。自主規制はなし、不寛容な社会に言いたい放題だ。
メインの演目に差し掛かかると、松元は物語の主人公の言葉で観客に投げかける。「社会に迷惑をかけたっていい。必要なことは人に手伝ってもらうこと。みんな、助け合いながら生きている」。会場は、やがて静まり、涙する。そして、拍手喝采に包まれた。
落語家・立川談志は松元の芸をこう言った。「他の人が言えないことを代わりに言ってやる奴が芸人だ! お前を芸人と呼ぶ」。
1年ぶりに鹿児島に戻った松元は、桜島を見て、あの日の自分を思い出す。故郷を離れて50年、彼には会えない人がいた。高校時代の恩師、大学進学を支援してくれた人だ。
大学を中退した松元は、涙ながらに懺悔の思いを話す。恩師は優しくほほ笑み、受け入れてくれた。「人を許す優しさ、人を受け入れる優しさ」…それが、松元ヒロの原点だ。
テレビを草創期から支え、「上を向いて歩こう」の作詞家として知られる永六輔さんから託されたバトンがある。「9条をよろしく」。平和じゃなければ笑いもない…。松元は「私はテレビで会えない芸人です」と言う。
2020年春。日本が、世界が、新型コロナウイルスに揺れている。政治に経済、混沌とした時代が続くが、その中で、松元ヒロはまた理不尽な社会を“笑い”で斬る。
鹿児島テレビの四元良隆プロデューサーは「“不寛容な時代”と言われています。異質なモノ(意見)を攻撃し、排除する風潮。この社会を反映するかのように、今のテレビの世界にもその波は押し寄せています。少しでも、世の中と合わない意見や表現方法をすれば、すぐにバッシングにさらされ、取り除かれていく…。いつしか“批判されないようにする”ことが最優先になり、コンプライアンスの名の下、この流れは加速する一方です。結果、何となくモノが言いづらい社会になっているような気がします。そうした中、1人の芸人と出会いました。テレビではなかなか取り上げない話題をネタにしては“笑い”で不寛容な社会へ問いかけます。会場は満員、しかし、テレビでは会えません。“なぜなのか”、故郷のカメラが見続けました。そして“大切なコト”を教えてもらいました。テレビで会えない芸人が今の世の中へ贈るプレゼント、この先に、表現の自由、寛容な社会が待っていることを望むばかりです」とコメントしている。