■大家さんと出会い“エンパシー=共感力”の大切さ実感

――大家さんとの出会いが、思いもよらなかった場所へと連れて行ってくれたのですね。

決して僕一人ではここまでくることはできませんでした。大家さんと出会って、ファンワークスさんや監督、脚本の細川徹さんとも出会えて、みなさんがいたからこそ、今回の素敵なアニメも生まれました。大家さんは出会いをすごく大切にされていた方で、僕との出会いもとても大切にしてくれました。この大切さは、大家さんが今でも、そしてこれからも僕に教え続けてくれているような気がします。「描いてみたら」と言ってくれた人がいたことで漫画も描くことができました。自分では思ってもみなかった人生ですが、こんなふうに面白く、良い人生になることもあるんだなと感じています。

――『大家さんと僕 これから』を執筆中に大家さんがお亡くなりになりました。大家さんからもらった言葉で、今でも思い出すものはありますか?

やっぱり「矢部さんは若いんだから、なんでもできるわよ」と言ってくれたことは、今でも思い出しますね。引っ越しをするときに「これからが長いわよ」とも言ってくれました。これまでもいろいろあったけれど、これからもきっといろいろなことがあると感じて、この言葉はすごく心に残っています。その「これから」のひとつがアニメなのかもしれませんし、きっと他のことにもなっていく。ずっと大家さんがそばにいる感じはしています。

――こんなに年齢の離れた方と交流を深めることもなかなかないことですし、大家さんとの出会いで価値観が変わったことも多かったでしょうか。

書籍『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を書かれたブレイディみかこさんと対談をさせていただいたときに、「これはエンパシーを描いている漫画ですね」と言っていただいたことがあって。“エンパシー”というのは、“シンパシー”ともまた違って、相手の側に立って物事を考えたりすることを言うようなんですが、僕はただ「大家さんのことをもっと知りたい」と思って仲良くなっているうちに、いつの間にか大家さんの側に立っていろいろなことを見るようになっていたんです。例えば昔は「隣に住んでいる人の音がうるさいな」とか思っていたんですが、大家さんという人を知って、大家さんのことがわかってくると、音がすることも全然イヤではなくなってくる。「ああ、今お食事に準備をしているんだな」と考えられるようになりました。きっと人はわからないからこそ、ぶつかる。大家さんはお笑いの世界とはまったく別の世界に住んでいる方ですので、僕と大家さんが離れた世界にいたからこそ、その摩擦が作品になったんだなと思っています。

――「これから」という言葉がありましたが、矢部さんの今後の目標は?

不思議な縁で、なんだかいろいろなことが起きて、今ここにたどり着いていて。そのありがたさを感じながら、漫画もお笑いも現状維持を目標にやっていきたいです(笑)

  • 矢部太郎
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■矢部太郎
1977年、東京都生まれ。1997年にお笑いコンビ・カラテカを結成。『進ぬ!電波少年』(日本テレビ系)でスワヒリ語、モンゴル語、韓国語、コイサンマン語の4カ国語を学習。話題を呼ぶ。2007年には気象予報士の資格を取得。2017年に出版した漫画『大家さんと僕』で第22回手塚治虫文化賞短編賞を受賞。2019年7月には続編となる漫画『大家さんと僕 これから』を出版した。