第101回全国高校野球選手権大会(「夏の甲子園」)が6日、兵庫県・甲子園球場で開幕する。そして、ABCテレビ・テレビ朝日系『熱闘甲子園』も甲子園開幕に合わせて、6日からスタートする。

同番組で2015年からキャスターを務める、プロ野球解説者の古田敦也氏。自身は強豪校ではない県立高校出身で、夏の甲子園とは縁遠い高校球児だった。しかし、そこから急成長し、プロ野球を代表する名選手に成長した要因は何だったのか。

また、そんな古田氏が高校球児へのアドバイスのほか、『熱闘甲子園』で伝えたいことなどについても語った。

■実は甲子園に出場していない

  • 古田敦也

    『熱闘甲子園』キャスターを務める古田敦也氏

――『熱闘甲子園』のキャスターを務めますが、実は古田さんご自身は甲子園に行ってないんですよね。

強豪校ではない県立高校で、練習時間も1時間くらいでした。甲子園には全然縁がなかったですね。兵庫県出身なので、甲子園球場自体は近くにあったのですが。兵庫県の人は「近くて遠い甲子園」とよく言うんですが、まさにそうでした。

――古田さんはどんな高校球児だったんですか。

他の高校球児と同じように、野球部の仲間とともに、ちょっとでもうまくなりたい、強くなりたいという思いを持ちながら、全力でやっていました。後にプロ野球選手になりましたが、そのときにはなれるとは一切思っていなかったので、高校野球で最後だと思って、一生懸命やっていたという感じですね。

――高校3年生の夏、古田さんの川西明峰高校は3回戦負けでした。この年、兵庫県予選を勝ち上がり、甲子園出場を決めた市立尼崎高校には、後にヤクルトでチームメイトになる池山(隆寛)さんがいました。

6年後、同じチームで野球をやることになったのですが、僕にとっては高校時代のスーパースターで、その6年の間にプロでもスターになっていました。高校時代は何の面識もなかったんですが、同じ兵庫県出身ということで、こちらは勝手に親近感を持ってましたね。

――その他に、古田さんが思う、甲子園のスターは誰ですか。

年齢が近いところでいうと、1年上の荒木大輔さんですね。いわゆる"大ちゃんフィーバー"で、ワイドショーでも取り上げられるほどの人気でした。その後に出てきたのが、僕と同い年の水野(雄仁)です。水野は2年生の夏に優勝していて、また池田高校が勝つのかなと思っていたら、PL学園に負け、そこからKK(清原和博、桑田真澄)時代が始まるというね。歴史は繰り返されるといいますか、ストーリーとしてはできすぎてますよね。

――荒木大輔さんとも、その後ヤクルトで一緒にプレーされましたね。

僕がヤクルト入ったときは、ケガでずっとリハビリしていて、1軍に来なかったので、実はあんまりしゃべったことがなかったんです。そんな荒木さんが1992年秋に1軍に上がってきて、神宮球場のマウンドに立っている姿を見たときは、「おお~! 荒木大輔や!」と思った記憶があります(笑)。