「一般的ではない経緯でした」という言葉で始まったのが、トヨタ「GR スープラ」の開発を担当した多田哲哉チーフエンジニアのインタビューだ。スープラのプロジェクトが始まったのは、2012年5月のこと。「86」(トヨタとスバルが共同開発したスポーツカー)の試乗会でスペイン・バルセロナを訪れていた時だったという。
BMWとの協業は、1本の国際電話から始まった
その日、トヨタの役員から多田さんに国際電話がかかってきた。その内容は「明日、誰にも内緒でミュンヘンへ行ってくれ。BMWの本社に行くとナントカという人が立っているので、その人の案内で、BMWとトヨタでクルマの共同開発ができるかどうか、調べてこい」というもの。特に「スープラを作れ、スポーツカーを作れ」といったような言葉はなく、単に「クルマ」と言われただけだったそうだ。
翌日、多田さんはミュンヘンへと向かう機内で、「これは一体、どういうことなんだ」と考えた記憶があるという。
「86を開発した後、世界中のトヨタディーラーやファンから『スープラはいつ帰ってくるんだ』という声を多数いただきました。そして、当時のBMWは、高性能な6気筒エンジンを量産している唯一のメーカーでした。これは多分、『スープラを作れ!』ということなのだろう……。そう思いながらミュンヘンに向かいました」(以下、発言は多田さん)
BMWとの最初のミーティングで、同社の経営企画担当から良い印象を得たという多田さん。日本に楽観的なレポートを送るとすぐに、「じゃあ、君がリーダーになって、プロジェクトを進めるように」との返事が届いたので、具体的な交渉に入ったのだそうだ。
BMWからの干渉や条件は何もなかった
こうして始まったBMWとの共同開発プロジェクトだが、当初の1年間は、全く話が進展しなかったのだとか。そもそも、どういう契約で始めるのか、両者の役割分担はどうするのかなどが決まらなかった上、クルマを開発する手順も両社で全く違っていた。「ハッと気がついたら、1年ぐらい経っていて」と当時を振り返る多田さん。日本からは「どうなってんだ?」との問い合わせが届き始める。
「考えてみると、新型スープラを古典的なスポーツカーにしたいという、私の駄々っ子のようなこだわりが、話が進まなかった原因だったのかもしれません。BMWからは『そういうクルマを作りたいという君の気持ちはよくわかる。しかしスポーツカー、しかも古典的なものの商売は難しい。『i8』(BMWのスポーツカー。エンジンとモーター+バッテリーの双方で走行可能なプラグインハイブリッド車)の系譜で作る環境+パフォーマンスのクルマであれば、ブランドバリューで十分におつりがくる』ともいわれました」
「いよいよヤバイ」と多田さんが思い始めた頃、突如、BMWの開発トップが交代となった。多田さんのカウンターパートナーだったチーフエンジニアも新任となり、「全てがガラガラポン」となってからは、話が一気に進み始めたという。
BMWの新任スタッフからは、「俺たちは、スポーツカーを作るのが初めてだ。だから、とてもワクワクしている」といわれて驚いたそう。「BMWは、あんなにすごいスポーツカーをいっぱい作っているのに」と返すと、「それらはあくまでも乗用車をベースとするクルマで、そこに高性能エンジンを積んでいるだけ。BMWにとってのスポーツカーは『M1』(1970年代の後半に誕生したBMWのスポーツカー)だけだ」との答えが返ってきた。
そんな経緯で、トヨタとBMWが共同開発したのが「スープラ」と「Z4」だ。開発の前提として両社が確認したのは、エンジンとシャシーの基本はBMW製で、トヨタはクーペ、BMWはオープンカーを作るということ。そこから「チーム・スープラ 」と「チーム・Z4」に分かれ、それぞれの開発をスタートさせた。その後は、交流も干渉もほとんどなしで、各々の道を進んだのだという。クルマのセッティングを決める上で重要なマスタードライバーも、両社で別々だった。
「サスペンション、エンジンのフィーリングとセッティング、トランスミッションのシフトポイント、アクティブデフのセッティング、ボディ剛性の配分など、全てを我々の感覚で決められました。そうはいっても、途中で『Z4はこうだから、スープラもこうしてくれ』という要求がくると思っていたんですが、何もなかった」
多田さんが初めて乗ったZ4は、発売直前のプロトタイプだったという。
「せっかく共同開発するのだから、完成したクルマでは、トヨタでもBMWでもない、違うところに到達したかった。クーペとオープンなので、(スープラとZ4の)味わいや楽しみは違いますし、チューニングの思想も異なってきます。でも、最後に互いのプロトタイプに乗った時、BMW側と『行けたような気がするね』と確認し合ったのです」
「スープラ」はトヨタ最後のピュアスポーツカー?
「2020年を過ぎると、スープラのようにノスタルジックでオールドファッションなピュアスポーツカーは出せなくなってしまうかも」と多田さんは語る。特に、走行時の騒音規制はさらに厳しくなっていくので、現状の技術で作ったガソリンエンジンでは、エンジン自体にカバーをかけたり、全体をラッピングしたりする必要に迫られる。「そうなると、あんなにいい音は出せませんし、何か新しいテクノロジーが生まれないと無理」というのが多田さんの考えだ。
ハイブリッドスポーツカーというクルマは今でも「ウジャウジャ」あり、トヨタからは、スープラもそういったクルマにして欲しいとの要求があったそうだが、多田さんはあえて断った。
「ハイブリッドスポーツは楽しくないですよ。その理由は単純明快。パワートレインが2つあるというのは、速く走るためにはどう見ても非効率です。パッケージングはダルになるし、中途半端になってしまう。すごいモーターができれば、それだけで走った方がいいし、エンジンだけで走るのであれば、もっと良いものを作ればいいんです」
これからの自動車業界は、燃費や環境面の規制も同様に厳しくなっていく。
「だけど、スポーツカーには関係ない。燃費目標はやめました。そんなものを作るから、中途半端になるんです。スープラに乗ると、アクセルオフ時に『バリバリ』と音が出ますが、あれ、本当にガソリンを燃やしているんです。まさにムダ。でも、その音を聞かせるために、遮音材を抜いたり、あれこれ工夫しているんです」
多田さんのスポーツカー作りのロジックは明快だ。もしかすると彼は、トヨタのガソリンスポーツカーを作った最後のチーフエンジンニアになるのかもしれない。
トヨタと多田チーフエンジニアが、今だからこそ作り出せた新型スープラ。手に入れた方は、ピュアスポーツカーを存分に楽しむことができる幸せ者だ。