11月19日の午後、一般紙が流した「ゴーン日産会長、逮捕へ」の号外に「えー! 何で」と驚いたのが始まりだった。同日夕刻、羽田空港に日産自動車のビジネスジェット機で降り立ったカルロス・ゴーン氏を東京地検特捜部が逮捕。容疑は金融商品取引法違反だった。

ルノー/日産/三菱自連合の総帥に何があったのか?

日産自動車の西川廣人社長は同日夜10時、単独で記者会見に臨み、「高額報酬の虚偽記載など、ゴーン会長による業務上の不正が内部調査でわかった」ことを明らかにした。

11月19日の夜10時から始まった日産の記者会見

3日後の11月22日には日産が臨時取締役会を開催。有価証券報告書の虚偽記載で逮捕されたゴーン容疑者の会長職を解任し、代表権を外すことを全会一致で決めた。

日本ばかりか世界中に衝撃を与えたゴーン逮捕という仰天ニュース。日産の救世主であり、ルノー、日産、三菱自動車工業による国際企業連合体のトップに君臨する「経営のプロ」が突然、失脚する事態となった。

ゴーン氏の日産における不正は、まさに公私混同であり、高額な報酬を実際は倍以上も受け取り、それを隠していたことで世間をあぜんとさせた。

カルロス・ゴーン氏と日産に何があったのか。筆者はゴーン体制に移行する前から日産を取材し、同社の“光と影”をウォッチしてきた。

日産で何が起こっているのか

「プロ経営者」としてのゴーン氏に対する評価はまぎれのないものであるが、約20年もの間、トップに君臨し続けたことによる権力の集中は、日産のガバナンス(企業統治)に機能不全を引き起こしていた。

一方、ルノーと日産の関係に目を移してみると、日産はルノーに救済を求め、同社の傘下に入った経緯があるわけだが、ルノーのバックにフランス政府がいることからも、いつ「ルノーと日産が統合」されるのかという懸念がくすぶり続けていたのである。

2016年末には、日産が三菱自に34%を出資し、「ルノー・日産・三菱自」の3社連合という新たな枠組みが始動した。世界覇権を視野に3社連合を主導したゴーン氏だったが、同氏がトップの座に居座り続け、権力を振り回していることに対する排除の論理が、一気に噴出したというのが今回の動乱だろう。

ゴーン長期政権、その功罪

1999年3月27日、日産は東銀座にあった当時の本社で臨時取締役会を開き、ルノーとの資本提携を決定。日産の塙義一社長とルノーのルイ・シュバイツァー会長(当時の両社トップ)が直ちに提携調印を行った。「日産とルノー、力強い成長のために。」という文字を背にして両トップが握手してみせた提携会見には、筆者も出席していた。

当時、経営危機にあった日産は、再建の助けを外資に求めた。ダイムラー・クライスラーやフォードとも水面下で交渉していたのだが、ルノーとの資本提携に踏み切ったのは、ルノーが日産の自主性を尊重し、両社のシナジー(相乗)効果を推進するとしたことが決め手だった。

1990年代末、世界的に進んだ自動車業界の大再編では、GMやフォードのように、他社を吸収統合したり、完全にグループ傘下に収めたりする手法が主流だった。そんな中、ルノーは日産の独自性を尊重するとの配慮を示したのである。

実際は、経営破綻寸前に追い込まれていた日産が、再生の望みをかけたのがルノーだったのであり、当時のマスコミも一斉に「日産、ルノーに身売り」と報じた。しかし、ルノーとの提携を決断した当時の塙社長は、「日産、ルノーの基本認識は、日産のアイデンティティを従来のまま保つとともに、将来のために利用し合うこと。だから、従来の合併とは異なる、新たな国際企業連合体なんです」と筆者の取材に答えてくれたのを思い出す。

両社が提携した1999年の6月に、ルノーが日産に送り込んだのがカルロス・ゴーン氏だ。当時は弱冠45歳だった。

ブラジル・ミシュラン社長から北米ミュシュラン社長を歴任し、ヘッドハンティングされたルノーでは上級副社長として辣腕を振るったゴーン氏。「コストカッター」の触れ込みで来日すると、直ちに日産のCOO(最高執行責任者)に就任し、「日産リバイバルプラン」(NRP)を策定して企業再生に乗り出した。

その後の日産は、NRPを2年前倒しで達成し、約2兆円あった有利子負債を4年で完済するなどの「V字回復」を成し遂げた。ゴーン流の経営術は、自動車業界のみならず経済界全体で高い評価を受けた。

ゴーン氏の手腕で日産は「V字回復」を成し遂げた

ゴーン経営を特徴づけるのが「コミットメント(目標必達)経営」だ。分かりやすい公約を掲げ、その達成に向けて全社でまい進していく。旧・日産の組合問題や官僚体質のしがらみを断ち切り、国内工場の閉鎖や大量リストラも断行したゴーン氏だが、タテ割りだった日産の体質を読み切り、縦横を連係させるためのクロスファンクショナルチームを各部門で展開するなど、その手際は鮮やかだった。

日産COOに着任した当初のゴーン氏は現場も大事にする人で、「カーガイ」を自称し、「フェアレディZ」を復活させて日産ファンを感激させたりもした。「私はルノーのためではなく、日産のために来た。全力で日産を再建する」との言葉通りに職務を遂行していたのだ。

ゴーン氏が復活させた「フェアレディZ」

ゴーン流経営の陰りと三菱自の救済

ゴーン氏が最も輝いていた時期は、2005年頃ではなかろうか。NRPを推進し、日産の業績とグローバル販売を成長させた経営者としての手腕は、世界中で評判となっていた。ルノーがシュバイツァー会長の後継にゴーン氏を指名したことで、2005年にゴーン氏は、日産社長とルノー会長兼CEOを兼務することになる。名実ともに両社のトップに立った同氏は、「ルノー・日産連合は、世界で巻き起こった自動車業界の大再編以降、最も成功した国際連合となった」と胸を張った。

だが、その後の日産は2008年のリーマンショックで赤字転落し、1年で黒字には回復したものの、ゴーン流「コミットメント経営」には陰りが見られるようになっていった。ゴーン氏が日産社長として最後に打ち出した中期経営計画「パワー88」は、世界シェア8%と売上高営業利益率8%の2つの「8」を目指すものだったが、2016年3月の終了時で未達に終わったのだ。この頃には、内外から「ゴーン流経営も色あせてきた」との声が聞かれるようになっていた。

そういった声を掻き消すかのように、ゴーン氏は大胆な一手を繰り出す。三菱自動車を日産の傘下に収めたのだ。

日産と軽自動車の開発で提携していた三菱自は2016年春、「燃費不正問題」で一気に業績を悪化させた。これに手を差し伸べたのがゴーン氏率いる日産であり、その年の12月には日産が三菱自に34%を出資した。これにより、ルノー・日産連合に三菱自が加わり、ゴーン氏は三菱自の会長も兼務して、3社連合で世界覇権を狙うというパフォーマンスを改めて打ち出したのである。

ゴーンの変節とトップの座への執着

しかし、日産のトップとして19年、ルノーのトップとしても13年を経たゴーン氏の長期政権を不安視する声は、日産のみならず、ルノーやフランス政府などからも上がってきていた。その不安は、日産とルノーの「ねじれ現象」を背景とする。

日産とルノーの資本構成には、ひずみがあった。ルノーが日産に43.4%を出資している一方で、日産のルノーに対する出資比率は15%であり、日産はルノーの議決権を持っていなかったのだ。そんな状況の中、企業としての体力では、日産が生産、販売、売上規模、時価総額の全てではるかにルノーを上回っていた。こうした「ねじれ現象」を内包するアライアンスを、ゴーン支配でまとめていること自体への懸念が、不安の声となって噴出したのだ。

ルノーの後ろ盾となっているフランス政府は、同国の雇用や経済に好影響を与える「ルノー・日産の統合」を望んでいた。しかし3年前、ルノーおよびフランス政府との交渉に臨んだ際に日産サイドは、「フランス政府は、日産の経営に関与しないことで合意した」と発表。これは「日産の経営判断に不当な干渉を受けた場合、ルノーへの出資を引き上げる権利を持つ」ことを確認したもので、日産にとっては“伝家の宝刀”を得たといってもよかった。

ゴーン社長と西川副会長兼CCO(チーフコンペティティブオフィサー、両者とも当時の肩書き)のコンビで、フランス政府による日産への関与を防いだというのが当時の図式だった。しかし、2018年に入り、ゴーン氏のルノートップ再任(2022年まで)が決まったとき、再任条件としてフランス政府が「ルノー・日産の統合」を突きつけたことが、ゴーン氏に変節を促したとの見方がある。

ルノーのトップに再任されたゴーン氏は、ルノーと日産の資本構成の「不可逆的な見直しを」と発言するようになった。当然、日産ではルノーとの統合、すなわち「ルノーへの吸収合併」に対する不安が再燃した。これが、内部通報のトリガーとなったというシナリオが推測されているのである。

痛手を負った日産/ルノー/三菱自アライアンスの今後は

今回、日産で起こった動乱は、「ゴーン失脚」というスキャンダルの側面だけを見るべき事象ではない。日産が今後、どのような方向で生き抜いていくのかということが大きなポイントだ。

100年に1度の大転換期を迎えている自動車産業では、自動運転や電動化、コネクティッドカー、カーシェアリングなど、新世代の技術や新たなモビリティサービスが重要性を増している。自動車業界の中では、IT企業との連係やAIへの取り組み加速などにより、新たな競合関係が生まれた。1990年代末の経営危機をルノーとの連合で乗り切った日産としては、今や三菱自も加わった3社連合という枠組みをリーダーとして牽引し、激動の時代を生き抜いていくのが賢明な判断になるだろう。

今回のゴーン問題は、日産にとって1990年代末以来の難局だ。これを乗り越えられるかどうか、当面は西川社長の手腕にかかっている。

(佃義夫)