ビジネスシーンでよく使われる「とんでもありません」「とんでもございません」という言葉。謙虚な態度が感じられる言葉ですが、実は間違っているのだとか。そこで今回は、「とんでもありません」「とんでもございません」の意味や使い方について調べてみました。是非、参考にしてみて下さい。

  • 「とんでもありません」「とんでもございません」の意味と使い方

    とんでもありませんは間違い?

■「とんでもない」の語源

「とんでもありません」「とんでもございません」は、「とんでもない」を丁寧に表現した言葉です。「とんでもない」の語源を調べてみると、道や道筋、道理、手段といった意味を持つ「途」に、否定語の「ない」が付いた「途でもない」という言葉が出てきます。その音が変化して「とんでもない」になったようです。

■「とんでもありません」「とんでもございません」の意味

語源となった「途でもない」は、「道理から外れている」という意味になります。そこから、「とんでもない」という言葉は、「意外だ」「思いがけない」という意味のほか、謙遜する気持ちとしては「滅相もない」、相手を非難する場合は「けしからん」「もってのほか」など、多くのニュアンスを持つようになりました。とりわけビジネスシーンでは、謙遜する意味合いで使われる場合が多いでしょう。例えば、「御社には敵いませんな」「とんでもありません。我が社はまだまだです」など、相手からの称賛の言葉を軽く打ち消すことによって、謙遜の気持ちを表現するのです。

■「とんでもありません」と「とんでもございません」の違い

「とんでもありません」と「とんでもございません」の違いは、丁寧さの度合いにあります。「ござる」は「ある」の丁寧語であることから、「とんでもございません」の方がより丁寧な表現であると言えます。

■実は誤った日本語?

「とんでもありません」「とんでもございません」は、「とんでもない」を丁寧に表現した言葉だと説明しましたが、実は、丁寧語としては「とんでもないことです」「とんでもないことでございます」が正解です。これは、「とんでもない」が一つの形容詞であることから、「ない」の部分だけを切り離して「ありません」「ございません」に変換することは、日本語としておかしいからです。

しかしながら、現在多くの人が使用していることは事実であり、その意味や相手の気持ちを自然と理解しているのではないでしょうか。中には、本来正しいとされる「とんでもないことでございます」という返答に、不快な感覚を抱く人もいると聞きます。

文化庁が実施した「国語に関する世論調査」によると、7割以上の人が「とんでもございません」という表現に「気にならない」と回答しています。

また、同庁が平成19年に発表した「敬語の指針」では、相手からの褒めや賞賛などを軽く打ち消すときの表現として「とんでもございません」を用いることに対し、現在では問題がないとされています。さらに、「いい仕事をしたね」という上司の言葉に対し、正しい表現とされている「とんでもないことでございます」と言ってしまうと、「あなたの褒めたことはとんでもないことだ」という意味にも受け取られる恐れがあるため、このような場面では「とんでもございません」の方がふさわしいとしているのです。正しい日本語としては間違いではあるものの、許容の範囲内と言えるのではないでしょうか。

ただ、正しい日本語を用いた方がいいに越したことはありません。ビジネスシーンでは、「とんでもないことでございます」の代わりに「とんでもないことです」や「恐れ入ります」を用いるといいかもしれません。

■「とんでもない」「とんでもありません」「とんでもございません」の例文、正しい使い方

・「全く、とんでもないことをしてくれた」
・「この繁忙期に休暇を取るなんて、とんでもない人ですね」

相手を非難する気持ちを込めて使っています。「もってのほかだ」「けしからん」といった言葉と同じ意味になります。

・「私の手柄だなんて、とんでもありません」
・「とんでもございません。私なんかにリーダーは務まりません」

いずれも謙遜な気持ちを表現する際の使い方になります。同じ意味を表現する言葉に「滅相もない」があります。

・「この度は大変お世話になりました」
「とんでもございません。いつもはこちらが助けてもらっていますから」

この場合の「とんでもございません」は、「感謝されるほどのことではありません」という意味で、相手の感謝する気持ちに対しての「気遣い」として使用されています。

多くの人が容認している一方で、反対意見も多い「とんでもありません」「とんでもございません」という言葉。一文字二文字の違いで、微妙な感情を表現することの多い日本語だけに、難しい議論が続きそうです。あくまでも正しい日本語の使用に徹するか、変化していく日本語を受け入れていくのかは、今は自分で判断するしかないのかもしれません。