そんな岡村の努力の歴史を振り返る中で、戸渡氏が最も印象に残っているというオファーは、松岡修造氏の指導を受けて臨んだ、杉山愛選手(当時)とのテニス対決(08年10月4日放送)。当時の放送では明かされていなかったが、練習中に岡村が手を骨折してしまい、予定していたスペシャルの放送を別企画に差し替える検討にも入ったそうだ。

当然医者には無理だと診断されたが、岡村の意思が固く、企画は続行。松岡氏は、骨折の事実を知らされなかったものの、気付いていたそうで、「松岡さんはそういうところも含めて、岡村さんを認めてくれたんだと思います。あの時の岡村さんは、すごいなと思いました」と振り返った。

杉山愛とのテニス対決に挑んだ第12弾(08年10月4日放送)

今となっては、人気企画になった「岡村オファーシリーズ」だが、意外にも岡村は当初、乗り気ではなかったという。最初のSMAPのライブでは、なんと本番前日の大阪ドームでの中居正広との練習後に、岡村がボイコット。「お笑い芸人がアイドルのコンサートに出て踊るっていうことに、当時はまだアレルギー反応があったんです。岡村さんは『吉本印天然素材』でダンスを踊ってアイドル的な売られ方をして、お笑い業界の中でも『あんなもん邪道だ』って言われた痛みの歴史があったんです」と、背景を説明する。

「これからゴールデンで『よっしゃ、やるぞ!』っていうときに、ダンス踊るんですか?ってなって、岡村さんはヘソを曲げたんですよ。僕は今でもよく覚えてるんですが、今でこそカメラが夜中まで岡村さんの練習に付き合って回していますが、当時、片岡飛鳥(総監督)が、ダンスが完璧にならない岡村さんにもっと練習させようとすると、カメラマンが『もうこれはお笑い番組じゃない! こんなに回す意味が分からない』って言うんで、片岡も若かったですから、『いいよ帰って、オレがやるよ!』って自分でカメラを回し始めたんです」と、他のスタッフまでボイコット状態だったそうだ。

SMAPのコンサートに飛び入り参加した第1弾(97年10月4日放送)

結局岡村は、半信半疑で練習しながらコンサートに出ることになるが、その放送は18.4%(ビデオリサーチ調べ・関東地区)の高視聴率を獲得。この反響を受けて、「カメラマンをはじめ、いろんなスタッフが片岡のところに謝りに来ていました(笑)」と、現在に続く密着スタイルが確立した。

そんな関係もあり、片岡氏が制作の現場を離れていたときの第13弾・14弾は戸渡氏がメインで担当したが、今回は再び片岡氏が"総監督"となり、付きっきりで撮影を進行。戸渡氏は「僕は岡村さんと同世代なので、どうしても追い込み方が甘くなってしまうんですが、片岡はやっぱり岡村さんの師匠であり兄貴分でもある関係で20年以上やってきているので、その中で生まれる緊張感だったりとかが、作品に如実に出ると思います」と、その効果を強調する。

通常は放送作家が書くナレーション原稿も、全て自ら手がける片岡氏は、現在52歳ながら徹夜で編集に没頭しているそう。「下の立場の人間としては50歳を過ぎてそれをやられると弱っちゃうんですが(笑)、そういう背中を見てきたんです」と、岡村の姿に他のメンバーが影響を受けるように、片岡氏の姿も後輩スタッフたちに刺激を与えているようだ。

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