マツダは「CX-8」の投入でミニバン「プレマシー」「ビアンテ」の生産販売を切り替える。「マツダとしては、SUV固有の1人で運転する楽しみを多人数乗りの3列シート車でチャレンジする」(小飼社長)方針のもと、国内SUVラインアップの最上級車を設定することで、ミニバンからの撤退を決めたわけである。

CX-8を投入し、ミニバン生産から撤退するマツダ

日本で独自の発展を遂げたミニバン市場

国内乗用車市場の変遷を見ると、かつての高度成長期のモータリゼーション進展時代は、セダンが軽乗用車あるいは大衆車から高級車へ上級移行し、幅広いセダン需要が主流だった。

それが1990年代に入ると、皮肉にも日本のバブル景気が終焉し、人々はモノの豊かさより心の豊かさを重視するようになり、自己表現として余暇活動を強く求めるようになった。いわゆる「アウトドアブーム」である。

クルマもRV(レクリエーショナル・ビークル)ブームが到来、欧米で主流だったオートキャンプが日本でも花開いたのが1990年代に入ってからである。家族でオートキャンプなどに出掛けられるRVが一気に日本の自動車市場の主役に躍り出たのだ。

RVとは当時、ミニバン、ステーションワゴン、SUV、ジープタイプなどの総称だった。日本のRV市場は1994年に100万台、1997年には200万台を超え、1990年代後半には新車需要の5割以上をRVが占めた。RVの中でも主流はミニバンだった。ワンボックスといわれた貨物バンから乗用バンとして開発されたミニバンは、7人乗り、8人乗りの多目的乗用車として需要の中心となっていった。

各社がミニバン開発を加速、実はマツダがパイオニア?

自動車各社もミニバンの開発・投入を積極的に展開した。当時、マツダはMPV(マルチ・パーパス・ビークル)を米国(1988年)に続き日本にも1990年に投入し、「マツダはMPVでミニバンのパイオニアだった」(小飼社長)歴史もある。

3代目「MPV」

また、ホンダは1994年に初代「オデッセイ」を市場投入したが、「アコード」のプラットフォームを活用したこのミニバンモデルが当時厳しい業績に喘いでいたホンダの救世主となったのは周知の事実である。また、トヨタの「エスティマ」も、その卵形のフォルムでミニバンの代表的モデルとしてベストセラーとなった。

実は筆者は、1970年代前半に日本オートキャンプ協会を取材して以来、その頃から家族でオートキャンプを楽しんでいたが、1990年代に入り、セダンからの乗り換えでミニバンを愛車とし、ミニバンの多目的活用を実践していたユーザーでもある。だが、2000年代以降はRVブームがやや下火となり、最近ではSUVが主流になりつつある。

それでもミニバンは、トヨタ、ホンダ、日産自動車の大手が幅広い車種で競っている。その中で、マツダはミニバン生産からSUVシリーズの拡充に考え方を切り替えて、最上級車CX-8でミニバン需要吸収を狙う戦略に打って出たのである。