2011年に開催された「第36回ホリプロタレントスカウトキャラバン~次世代声優アーティストオーディション~」にてファイナリストに残り、その後ホリプロ所属の声優アーティストとなったMachico。2012年5月23日にシングル「Magical Happy Show !」でデビューし、曲によって様々な顔を見せる柔軟な表現力と、どんな大舞台でも物怖じしない度胸、故郷・広島の裏山で大声を出して歌うことによって身につけた声の張り、それらを支える天性の歌唱力を武器にMachicoはアーティスト活動を続けている。

Machico(まちこ)。1992年3月25日生まれ。ホリプロ所属。主な出演は『アイドルマスター ミリオンライブ!』伊吹翼役、『三者三葉』西山芹奈役、『ハンドレッド』ナクリー・オルフレッド役など
撮影:西田航、河邉有実莉(WATAROCK)

今回は、2016年7月27日に3rdにして初のフルオリジナルアルバム『Ambitious*』をリリースするMachicoにインタビューを実施。本アルバムについてはもちろん、声優・アーティストであるMachicoが生まれるに至った経緯について、デビュー前の広島時代から余すことなく語ってもらった。

本格的にオーディションを受け始めたのは専門学校から

――前回、田所あずささんにご登場いただきまして、Machicoさんへ「ポトフを食べに来てください」というメッセージを預かっています。先日ブログを見たら二人でお泊りをしていて、肉じゃがを作っていましたね。

あずあずー! ほんとによく家に行っているんです。年齢も2歳違いで、『アイドルマスター ミリオンライブ!』でも一緒ですし。

――本当に仲良しですね。今回は新アルバム『Ambitious*』と、Machicoさん自身についてもお聞きしたいと思っています。Machicoさんの原点といえば、やはり高校生のころの部活、ROCK部(軽音部)でしょうか。お兄さんの影響で同じ部活に入ったんですよね。

はい。人生で初めてのステージ経験が高校2年生の文化祭。その文化祭の前日に学校の中庭でマイクテストを兼ねて歌っていたら、廊下の窓からワッとほかの生徒たちが集まってきてくれて、なんか……気分がよかったんです(笑)。

――スターじゃないですか。

バンドメンバーの男子たちも、「お前が歌いはじめたらみんなこっち集まってくれるけん、俺らもめっちゃ燃えた、すっごい気持ちよかった」って笑顔で話してくれました。

――まだリハーサルなのにすごい盛り上がり。当日はどうだったんですか?

先輩たちからアンコールをもらったことをいまでも覚えています。3年生は自分たちの出店の準備などでステージが見られなかったので、私のステージが終わりかけのころに来てくれたんです。時間はもうギリギリだったんですけど、「うちらのために歌ってくれ。聴きたいからもう一曲やってくれないか」って言われて、それが本当に嬉しかった。しかもそれまであまり関わりのなかった先輩たちだったんです! 「人前で歌うのって、こんなに楽しいんだ!」って思った瞬間です。

――歌で先輩たちと仲良くなれたんですね。青春だなあ。そのときに歌った曲は?

HYさんの「NAO」です。練習ではほかにもWhiteberryさんの「夏祭り」や、チャットモンチーさんの「シャングリラ」を歌いました。

――そのときは、歌手や声優になりたいという気持ちは。

なれたらいいなぁ~と漠然と思っていました。小学生のころ、BoAさんに憧れて、中学1年生のときに友だちのお姉ちゃんに誘われ、初めて地方オーディションを受けたんですけど、一次審査で落選してしまって……。それからしばらくオーディションは受けずに、中学高校時代は部活に打ち込んで、学校生活を楽しんでいました。高校の友だちにアニメが好きな子がいて、その子と一緒に代々木アニメーション学院のオープンキャンパスで、アフレコ体験をさせていただいたことがあります。講師の方が同じセリフの言い回しでもシチュエーションで変わるということを教えてくださって、そこで興味がグっと加速しました。その友だちの影響でアニソンにも興味を持ちだしたので、「もし私が声優や歌手になるんだったら、アニソンを歌いたい」と思うようになりました。本格的にオーディションを受け始めたのは、高校を卒業して専門学校に入ってからです。

ホリプロの子たちは家族みたい

――医療事務の専門学校ですね。

高校を卒業して資格取得のために医療事務の学校に入ったんですけど、将来を真剣に考えたときに、「このまま卒業して、病院の受付で働いて後悔はしないかな」と思ったんです。「夢に挑戦せずに就職しても後悔するぞ」と思って、オーディション雑誌やサイトをたくさん見て、アニソン関係のオーディションを積極的に受けていきました。

――そこで「ホリプロタレントスカウトキャラバン~次世代声優アーティストオーディション~」の存在を知った。

そうなんです。一人カラオケ中に広告を見つけて応募しました。「ホリプロタレントスカウトキャラバン」は私でも知っているくらい大きいオーディションだったので、「どうせ落ちるやろうしなー」って思っていたんですけど、ありがたいことにファイナルまで進ませていただいて、びっくりしました。オーディションは、ファイナルより地方予選の気迫がすごくて圧倒されたのを覚えています。

――地方予選は広島会場ではなく大阪会場で受けたんですよね。

広島予選の日は、ちょうど医療事務の検定と被っていたんです。母に地方予選に行くって言ったら怒られてしまって(笑)。それだったら大阪予選に行く! と言って、夜行バスで向かいました。今思うと、私の運命的にも大阪予選でよかったって思います。

――大阪予選で印象に残っていることは?

参加者たちは待合室みたいなところで待っていたんですけど、エレベーターが開いただけで、みんな「おはようございます!」って挨拶をしていて、「これが芸能を目指す子たちなんだ」と思いました。私はそんなオーディションのマナーを知らなかったので、後ろのほうで「おはよーございまーす」ってキョロキョロしながら言っていました(笑)。あと審査中にお腹がなってしまったので、隣の人に謝ったらぽかーんって感じで。

――オーディション会場はかなりピリピリしていたと思うんですけど、Machicoさんのナチュラルさが伝わってくるエピソードですね。

地方予選後に熱海と東京で合宿があったんですけど、そこでは修学旅行気分でした。みんな常にライバル視するというよりは、「一緒に頑張ろうね」って、同じ夢を目指す感じでした。

――合宿で部屋が一緒だったのが、大橋彩香さんと木戸衣吹さん。

そうなんです~! いま思ったら運命ですよね。みんな戦友みたいなものなので、活躍していたらうれしいし、もちろん負けたくない気持ちもあります。ホリプロの子たちは家族みたいな感じなので、いい環境だと思います。一緒にいて気が楽な子たちが同じ事務所にいるというのは、私の活動の支えになっている部分でもあるので。

――そこでファイナルに進んでいき、課題曲「リフレクティア」と自由曲「Only my railgun」を披露。ものすごい楽しそうに歌って盛り上がっているなという印象でした。

わー、懐かしい!「Only my railgun」を歌ったとき、お客さんは私のことを知らないのに、電気棒(サイリウム)を振ってくれたんです。緊張して声は震えていたんですけど、盛り上がってくれていることが嬉しくて、ライブをやっているみたいで楽しかったです。

3カ月越しに叶った夢

――グランプリは田所あずささんに決定しましたが、そのときのお気持ちは。

やっぱり悔しかったです。いっぱい泣きましたけど、私もやれることはやったので。「終わってしまった」って思いながら、ファイナルを見に来ていた家族たちと一緒に広島に帰りました。ファイナルの日は2011年10月10日だったんですけど、ちょうど専門学校を卒業するのもその年の10月。まわりも就活を始めていたので、とりあえず気持を整理して、3~4カ月ほど就活を頑張っていました。

――当時ブログで「就活行きたくな~い」と言っていましたね。

「肩身が狭い~」とか(笑)。就活はいっぱい落とされました。面接の前日に、迷わないように車で下見に行っていたんです。大変でした。ひとつ印象的だったのが、クリニックの面接で医院長から、「あなたの笑顔が似合うのは、こういう病院じゃないと思うんだ。もっと違う世界のほうがいい」と言われて、嬉しかったですね、落ちたんですけど(笑)。でも、医院長は「私には夢があって~」みたいなことを言っても、全然引かずに聞いてくれて、思い出に残る面接でした。

――面接で夢を語るMachicoさんもですけど、その医院長さんもすごいです。その後、デビューのお話が来るわけですよね。

ファイナルから3カ月くらい経ったある日、突然ホリプロから、「いまこういうCDデビューの話があるんだけど、挑戦してみる気持ちはある?」と電話をいただいて、すぐそのチャンスに飛び乗りました。まさか3カ月越しに夢が叶うとは思ってもいなかったので。

――デビューの話はすぐ家族にも話して。

もう、父は電話を受けているときの私の写真を撮っていました(笑)。

――電話中に気付いたんですね。

「なんかホリプロの人と話しているぞ……!」みたいな(笑)。すぐデジカメを用意して撮影していました。私や家族のなかではオーディションはもう終わった出来事だったんです。ファイナルに残ったほかの子はもうホリプロに所属して、ホームページにも載っていたので、家族と一緒に見て「私は二次的なチャンスにも引っかからなかったんだなあ。私は拾われないんだ」って。

――電話がきたときの喜びは言い表せないですね。

もう家族みんなで「よかったねー」ですね。母さんからも「あんたはちゃんと学校も卒業したし、資格も取っとるし、夢に向かうんだったら、母さん応援するけん」って言ってもらえて。

――ドラマチックだなあ……。

「人生ってこんなに一瞬で変わるんだ」って。すぐ学校の先生にも報告しに行きました。

――そして2012年5月にPCゲーム『すぴぱら - Alice the magical conductor.』のメインテーマ「Magical Happy Show !」でメジャーデビュー。当時の出来事で印象に残っていることはありますか?

当時は右も左もわからずにいろいろなことにびっくりしていました。雑誌のインタビューや撮影、イベントの度に東京に出てきて、業界のことを何も知らず、ただ戸惑っていたことしか記憶になくて……。あ、大人の方たちが怖かったです。みんな笑ってくれないから、なにか悪いことしちゃったかなって(笑)。

――広島から東京にたった一人で来ているから、不安も相当あったと思います。

デビューから一年間はずっと通いだったので、そういう経験がいまの自分に活きているかと思います。いっぱい戸惑って、自分で考える時間でした。いま、ライブのパフォーマンスについて一人で考えることも多いんですけど、そういう考えるくせをつけてくれた一年間だったと思います。