恋が煮詰まると寂しくなる
――恋愛で「煮詰まる」とは……どういうことですか?
同じ女性とずっと付き合っていると、どこで待ち合わせて、どこに遊びに行って、そこで相手がどう反応するかがわかるようになってくるんですよね。普通はそれが楽しいというか、親密な感じがしてうれしいんです。
でも、あまりにもわかりすぎるようになってくると、だんだん寂しくなってきてしまって。
――寂しくなると、どうなってしまうのでしょう。
僕が会社で働いていた頃、10年くらいずっと付き合っていた彼女がいたんです。ある時、彼女と訪れたレストランで、僕がメニューを頼みすぎてしまったことがあったんですよ。初めて行くお店だったので、一皿がどれくらいの量なのかわからなかったんですよね。
その時、彼女が「なんでこんなに頼んだの? 」と聞いてきたんです。僕はその言葉に対して「そっちこそどうして、『頑張って食べようね』って言ってくれないの」と返したんですけど、そういうこと言ったの、その時が初めてだったんです。すごくささやかなことだけど、それでもう、「この人とはだめかも」と思ってしまいました。
その時の僕の頭は、どこかに存在するかもしれない「頼みすぎちゃったね。でも頑張って食べようね」と言ってくれる女性のことでいっぱいになってしまったんです。結局その彼女とは別れてしまいました。
――"煮詰まっている時"って、そんなにささいなことでも別れるきっかけになってしまうんですね。
そうなんです。今考えれば、彼女には他に長所がたくさんあったからずっと一緒にいたんですよね。ただ、メニューを頼みすぎた僕に「頑張って食べようね」と言ってくれるタイプではなかっただけで。
ところが長く一緒にいると、相手の長所を"当然"だと思うようになってしまう。長所に慣れてしまうんです。逆に、短所は"当然"だと思えないから、いつまでも慣れないんですよ。これが"煮詰まる"ということですね。
きっと、本当に優れた人はそのことがよくわかっているから、相手との関係が煮詰まってもうまく対処できるんでしょうね。でも、当時の僕にはできなかった。「なんで『頑張って食べようね』って言ってくれなかったんだ」ということで、とにかく頭がいっぱいだったんです。
後ろ向きに歩いているOLに運命を感じた
――なんだか悲しいですね……。その10年付き合った女性のことは、やっぱり「運命の女性」と思っていたのですか?
結果論で言えばそういうことになるのかもしれないです。けど、普通はそういう時「相性が良かった」と言いますよね。「運命」っていうのはこう、よくわからないですけど、トラに襲われている少女を助けたとか……。
――(笑)。言われてみれば、日常生活で「運命」ってあまり使わないですよね。
僕はけっこう使いますけどね。すぐ「運命だ」と思いますし。昨日も、自転車を降りて踏切が開くのを待っている女子中学生がバスの窓から見えて、「これは運命だ」と思いました。
――え? どういうことですか?
制服を着た女子中学生が自転車のハンドルを持っているだけで、「運命だ」と思ったんです。ある時間帯に真っ白いブラウスが輝いて見える……みたいなことを過剰に意味付けしてしまったんでしょうね。行き過ぎると危ない人になりますけど、僕は運命慣れしてるから大丈夫。
あとは、名前がシンメトリーとか。「岡田泉」さんは運命ですね。
――私は誰かと自分との共通点を見つけると「運命だ」と思うことがあるんですけど、そういうことではないんですよね。
僕にとって、"運命"は扉みたいな感じなんです。僕には、"自分は今すごく不本意な場所にいる"という感覚がまずあるんですけど、そんな自分を素晴らしい世界に連れて行ってくれるんじゃないか、という人に対して運命を感じる。だから、女の人だけじゃなくて、例えば文房具にも運命を感じます。「このボールペンを使えば俺は……! 」とか。
もっと言うと、変わったことをしている人を見ると僕はすぐに「運命だ! 」と思ってしまうんです。はなはだしい場合は、この間駅のホームで後ろ向きに歩いているOLを見た時にも運命を感じましたね。
――そんな人がいるんですか。
いましたね。さすがに「危ない人なのかな」と思ってそのOLには近づきませんでしたけど。
いつも自分のいる場所から違った次元に行くきっかけを探していますから、いろんなものにときめいてしまうんですよね。感度が良すぎるんです(笑)。
だから付き合う相手が変わると、その人のことをすごく知ろうとします。聴く音楽も相手に合わせるので、同性の友達からは「お前、自分がないのか」と罵られます。