江戸時代の庶民の離婚率は現在の2倍

このごろ、ワイドショーのみならず日常的にも「離婚」という言葉を耳にすることが増えてきたように思われます。現在の離婚率は約2%で、実数にすると3組の夫婦の内、1組は離婚していることになります。しかし、実は江戸時代の離婚率は現代の2倍、約4%もありました。武士階級にいたっては、なんと5倍の約10%にも達していたんだとか。さらに、女性の再婚率は50%以上もあったのです! そんな江戸時代の結婚・離婚事情をみていきましょう。

自由恋愛はご法度

当たり前のことですが、離婚するには結婚していないといけません。そこで、まずは江戸時代の結婚について解説していきたいと思います。

江戸時代の人々にとって結婚は、好きな人と一緒になる、いわゆる恋愛結婚という概念ではありませんでした。それは、江戸時代の恋愛観である「男女7歳にして席を同じうせず」という儒教の教えに従い、自由恋愛がご法度だったためです。そこで、多くの男女はある程度の年齢になると大家さんや仲人から「いい人がいるんだけど、会ってみないか? 」と声がかかり、お互いが気に入ればめでたく結納といったような、お見合い結婚が主流だったのです。

お見合いといっても、現代でいうお見合いのように、簡単な自己紹介の後に2人きりでデートを何度かして、気が合えば結婚というオープンなものではありません。こっそりお互いを観察し合う、つまり、容姿やしぐさだけで相手を決めるのです。性格も素性も全く知らない相手と結婚なんて……今ではなかなかイメージできないことですよね。

そして、当時の結婚式はというと、長屋の大家や隣人夫婦を仲人に立てて盃(さかずき)を交わし、祝言を挙げた後は近所の人たちが持ち寄ったごちそうで、ささやかな宴を催すだけだったそうです。準備に半年から1年間かけ、親族から友人までたくさんの人を招いて盛大に行う、現在の結婚式とは比べられないほど簡単ですね。

女性は金にも労働力にもなった

人口の面でも女性は貴重

また、夫が妻の実家に結納金を払う現代とは違い、女性側が持参金を持って嫁入りしました。さらに、農業をなりわいとしていた江戸時代では嫁も重要な「労働力」として扱われていたのだとか。お金をもらえて、さらに労働力もゲットできるなんて、男性にメリットがありすぎです。そんなわけですから、たとえ再婚であっても結婚を望む男性は多く、再婚に困る女性は少なかったのです。それが、当時の女性の再婚率が50%にものぼった理由です。

では、なぜ江戸時代の女性はこんな条件でも結婚したのでしょうか。それは、当時の女性の多くは仕事を持てなかったので、結婚することが生きる方法だったということ、また、結婚することが当たり前で、むしろ結婚しないことの方が恥だったということがあげられます。特に後者は顕著で、江戸時代の結婚適齢期である20歳をすぎても結婚できなかった女性は「年増」と呼ばれてさげすまれました。

ゆえに大半が「かかあ天下」に

と、ここまで結婚は女性にとって不利なことばかりで、あたかも女性の地位が軽んじられたかのように書いてきましたが、そういうわけではありません。実は、江戸時代の夫婦は、いわゆる「かかあ天下」が多かったのです。

というのも、江戸時代の人口の約7割は男性で、女性は3割しかいませんでした。つまり、希少な女性が嫁いでくれ、さらには労働力として働いてくれる結婚は、男性にとって貴重でありがたいことだったのです。そのため、嫁を軽んじる夫は少なかったといいます。

また、離婚すると夫が持参金を全額返金する義務があったりもしたので、むしろ女性の方が気が強く、旦那を尻に敷いていたんだとか。女性の地位向上のために様々な政策がとられている現代より、江戸時代の方が女性が重宝されていたなんて驚きですね。

離婚は生活の知恵

江戸時代の結婚事情が分かったところで、今度は離婚事情の話に移りましょう。

妻が夫に見切りを付けるケースも少なくなかったとか

みなさんは江戸時代の離婚と聞くと、どんなイメージを持つでしょうか? たいていの人は、夫のわがまま勝手な理由で「三行半(みくだりはん)」を突きつけられ、泣く泣く実家に帰る妻、という図を思い浮かべると思いますが、実はそれ、大きな誤解なんです! 実際は、気の強い妻が気に入らない夫に見切りを付けて、さっさと別れてしまうことも少なくなかったのだとか。その理由は、江戸時代と現代の離婚に対する認識の違いにあります。

お見合い結婚が一般的だった江戸時代では、いい人がいたから試しに結婚してみたけど、やっぱり合わなかったから離婚する、なんてことは日常茶飯事。結婚が生きる手段だった江戸時代では、結婚の失敗は死活問題だったわけですから、離婚は生活の知恵。つまり、当時の人々にとって、離婚というのは恥でも何でもなかったわけです。

合理的! 紙1枚で離婚

そんなこといったって、離婚って時間もエネルギーもいるし、そんなに簡単にできるものではないでしょう? と思いますよね。ところが、江戸時代はできたんです!

当時の庶民の離婚に必要なのは、「三行半」という紙1枚だけ。なんてお手軽。その上、お見合い結婚なのでお互いに情があるわけでもないのですから、簡単に離婚するのもうなずけます。現代では考えにくい状況かもしれませんが、ある意味で合理的だったといえるでしょう。どうりで、離婚率が高いわけです。

では、肝心の三行半とはいったいどういったものだったのでしょうか。例えばこんな感じです。

「おまえとは縁があって結婚したが、うまくいかないので離婚する。今後、どこの誰と再婚しようと構わない。そのことをここに記しておく」。

このように、現代でいう離婚証明書と再婚許可証が一緒になったようなものでした。その文章がだいだい3行半で終わったことから、三行半と呼ばれるようになったのだとか。ですがこの三行半、よくみたら具体的な理由が書いていませんよね。「性格の不一致」だとか「一身上の都合」とか芸能人の離婚報道でよく聞く言葉と同じように、「うまくいかなかった」なんて、抽象的に書かれています。果たして、本当にそんな理由で離婚できたのでしょうか。

三行半は最後の愛情

いくら離婚が簡単だったとはいえ、やはりなんの理由もなく離婚することは難しかったようで、それなりの理由が必要でした。例えば、「七去(しちきょ)」といって、義父母に従順でない、子どもを産めない、口数が多い、嫉妬深い、盗みをする、淫乱である、悪い病気にかかった、というようなものがあります。

しかし、七去のような理由で離婚した女性と結婚したいと思う男性はほとんどいないでしょうから、その女性が再婚することは難しくなってしまいます。女性にとって結婚は生きるための手段であり、当たり前のことだったわけです。再婚ができないということは、人生の選択肢を狭めてしまうことにつながりました。

このような理由から、公式証明書である三行半には離婚理由が明記されるのを避けたわけです。夫婦としての最後の優しさといえるでしょうか。さらに、三行半に再婚許可証がついているのも、妻に配慮し、再婚の時に無駄な争いごとを避けるため。再婚率の高い江戸時代ならではの工夫です。

「夫婦とは老いてからが主」

江戸時代の結婚・離婚事情をみてきましたが、いかがだったでしょうか。簡単に結婚、離婚ができて、さらには再婚もできたなんて、今の世の中と比べると事情も社会も違うように感じるのではないでしょうか。

結婚の意味は長い時間をかけて分かってくるもの

しかし、そんな江戸時代の気軽な結婚・離婚事情を嘆く者もいたようで、「ほれた女を女房にするのは昔からの習わしだというのに、気心も知らないで滅多無性に女房を決めるから、離婚騒ぎの種をまくことになるのだ」とのこと。江戸時代には江戸時代ならではの悩みがあったようです。

とはいっても、恋愛結婚の多い昨今の結婚事情だって、うまくいく時はうまくいくし、いかない時はいかないものです。江戸時代のある武家の老人が「結婚とはなにも恋愛が必ずしも必要というものではない。夫婦とは老いてからが主なもので、お互いに世話をして親切ずくになっていくと、不思議と情がわいてくるものだ」という言葉を残していたりもしています。

江戸時代の人を見習って、結婚も離婚も再婚も思い立ったが吉日。メリット・デメリットをごちゃごちゃ考えるのではなく、思い切ってしてみてもいいのかもしれません。

※写真はイメージで本文とは関係ありません

筆者プロフィール: かみゆ歴史編集部

歴史関連の書籍や雑誌、デジタル媒体の編集制作を行う。ジャンルは日本史全般、世界史、美術・アート、日本文化、宗教・神話、観光ガイドなど。おもな編集制作物に『一度は行きたい日本の美城』(学研パブリッシング)、『日本史1000城』(世界文化社)、『廃城をゆく』シリーズ、『国分寺を歩く』(ともにイカロス出版)、『日本の神社完全名鑑』(廣済堂出版)、『新版 大江戸今昔マップ』(KADOKAWA)など多数。また、トークショーや城ツアーを行うお城プロジェクト「城フェス」を共催。
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