3月5日、「キリンチャレンジカップ2014」サッカー日本代表対ニュージーランド代表の試合が行われた聖地・国立競技場。改修前の現競技場におけるサッカー日本代表戦はこれがラストだったという。2020年の東京五輪開催に向けての改修作業が7月から始まる予定のため、今の姿はもうすぐ見納めとなってしまうのだ。
そんな国立競技場において象徴の一つとなっているのが、青々とした美しい芝生だ。同競技場では、美しい芝生を保つため、「グラウンドキーパー」と呼ばれる人々が活躍している。意外と知られていないグラウンドキーパーの仕事とは?
マラドーナ初来日で経験した、忘れられない出来事
グラウンドキーパーは、常に青々とした均一の長さの天然芝をキープすべく、「ウインターオーバーシーディング」という作業を行う。同作業のイメージは、同じ耕地に年に2回の作付けをする「二毛作」。競技場に夏季は夏芝の種を、秋季から春季にかけては冬芝の種をまくことにより、一年中緑の生きた芝生を育てられるように努めている。
サッカー選手やラグビー選手に、少しでもベストなパフォーマンスを発揮しやすくしてもらえるよう、常に気候や芝生の状況に細心の注意を払うグラウンドキーパー。今回は30年以上のキャリアを誇る渡辺茂さんに話を聞いた。ベテラングラウンドキーパーの渡辺さんには、今でも忘れがたい2つの出来事があるという。
「1つ目はディエゴ・マラドーナが初めて日本に来た1979年のFIFAワールドユース選手権ですね。実は除草剤の使い方を誤って、芝生が洗濯板のように波状にでこぼこの生え方になってしまったんです。当時はそのことがあまり大きくとりあげられることはなかったので、グラウンドキーパーを始めて間もない私も胸をなでおろした記憶があります。2つ目は1993年のJリーグ開幕戦です。開幕のセレモニー後、照明が点灯されて浮かび上がったピッチを見たときのことを今でも鮮明に覚えています」。
現在ならば、除草剤の使い方を間違えるミスは許されない。肝を冷やした経験が原点にあるからこそ、それ以降の仕事がていねいになったというわけだ。それにしても、Jリーグの記念すべき開幕戦の現場にいたなんて……。うらやましい! やはり、選手たちと会話することもあったのだろうか?
「昔、柳沢敦選手(現ベガルタ仙台)が日本代表メンバーとして臨む試合の前日練習のときに、芝生の状態はどうかとたずねました。すると『いいですね、僕は国立のピッチが大好きです』という返事が返ってきました。その言葉はとてもうれしかったです」。やはり、国立は選手からも愛されているスタジアムなのだ。
日本スポーツ振興センターが運営する聖地
ではその国立競技場(正式名称: 国立霞ヶ丘競技場・陸上競技場)の歴史について振り返ってみよう。国立競技場の運営は日本スポーツ振興センター(JSC)が手がけている。JSCの母体は1958年に特殊法人として設立された「国立競技場」。現在は独立行政法人として、聖地の運営やスポーツの普及、スポーツ科学・医学・情報研究業務のほか、学校における安全・健康保持の普及なども行っている。身近なところとしては、toto/BIGを販売し、その売上金をスポーツ振興助成に役立てている。
そして、国立競技場は意外と"長寿"なのである。大正13年(1924年)10月に完成した前身の「明治神宮外苑競技場」まで遡ると、今年で90周年を迎える。陸上、サッカー、ラグビーが行える総合競技場として多くの日本人に愛された。1958年に「第3回アジア競技大会」を開催することに伴い、同競技場を取り壊して建設されたのが今の国立競技場なのだ。
聖地でのラストマッチを見に行こう!
3月5日のキリンチャレンジカップ2014では、日本代表はニュージーランド代表に4対2で勝利。国立最後のサッカー日本代表戦に華を添えるとともに、観戦したファンに多くの興奮を与えた。古くは1964年の東京五輪、そしてラグビー日本選手権大会やサッカーのJリーグにトヨタカップ……。実に多くの興奮と感動を与えた国立競技場。それも渡辺さんをはじめ、聖地を支えた人たちの尽力があってこそだ。
国立競技場で観戦できる試合も残りわずか。Jリーグの最終戦は5月6日の「ヴァンフォーレ甲府対浦和レッズ」、そして5月25日、「アジア5カ国対抗2014」での「ラグビー日本代表対ラグビー香港代表」の一戦が、現国立競技場での最後の国際試合となるようだ。ぜひともスタジアムへと足を運び、その最後の"美しい芝生"と"勇姿"を見届けてはいかがだろうか。