「とにかく母乳を」のプレッシャー

妊娠中もトラブルはあったが、出産後はもっと大変だった

出産翌日の歩行訓練時にぶっ倒れた筆者。高齢出産ということもあったのか分娩時間は40時間を超え、出血量も多かったため貧血になったようだった。幸いすぐに意識は戻ったのだが、看護師は容赦ない。「歩行訓練がてら、新生児室に歩いて行って初乳をあげましょう」と続けた。

顔面蒼白なのが鏡を見なくてもわかる。看護師に支えられながら歩こうとするのだが、全身の痛みがひどい。骨盤周辺も激痛で、うまく歩けない。貧血の気持ちの悪さと全身の痛みに耐えながら、必死の思いで廊下を歩き、新生児室にたどり着いた。わが子との10時間ぶりの対面だった。

ふにゅふにゅだ。今にも壊れそうなくらいか弱くて、でも愛らしくて。しばし見とれていると、看護師が抱き方を教えてくれた。それにならって抱きかかえると、腕の中でむにゅむにゅと何かを言いながら気持ちよさそうに寝ている。

「この子をうんだんだ……」。胸がジーンと熱くなる。看護師は私の隣で母乳のあげ方について解説を始めるのだが、全身から変な汗が出てきた。貧血悪化で今にも倒れそうなくらいにクラクラしてきた。意識がもうろうとしてきて、「気分が悪いです」ということもできない。しかし、この子を落としてはいけない。目の前が暗くなってきて、めまいがしてきた。さすがに看護師が異変に気づいたようで、「大丈夫ですか? ちょっと赤ちゃんこちらで抱きますね」とわが子を抱えてくれた。その瞬間、再度ぶっ倒れた。

気が付くと、新生児室のソファで横になっていた。「10分ほど寝ていましたね。でもまだ顔色が悪いので、初乳は1時間後にあげることにしましょう」と言われ、車いすに乗せられ病室に戻された。そして、ベッドに入った瞬間眠りに落ちた。

「田中さん、おっぱいをあげに行きましょうね」という看護師の声で目が覚めた。きっかり1時間が経過していた。貧血は治っていたが、依然として全身の痛みは残っている。普通に歩けば2,3分でいける新生児室に、5分以上かけて向かった。産後間もないと思われる若いママがスタスタと歩いていくのを見て、自分が情けなくなってきた。

新生児室では、初めてわが子におっぱいをくわえさせた。一生懸命くわえようとしているのだが、母乳の出が悪いようで、すぐにおっぱいから口を外してしまう。何度も口にふくませようとするのだがうまくいかず、「また2時間後にきてください」と看護師に言われ、病室に戻された。2時間後に再び新生児室に来て授乳をしようとするのだが、やはり母乳がうまく分泌されていないのか、わが子はおっぱいをくわえてもすぐに「ペッ」と吐き出してしまう。

「吸わせないと母乳もつくられないから」と看護師はいう。隣のママは母乳の出がすこぶるよくて、ブシャーと赤ちゃんの顔面に母乳がかかっている。「おなかすいていないのかな、喉かわいていないのかな」と気になった。「粉ミルクをあげてはいけませんか」と看護師にたずねると、「赤ちゃんは3日分のお弁当と水筒を持ってお母さんからうまれているから大丈夫よ」といわれた。そうかもしれないけれど、わが子に母親としてまだ何もしてあげられていないという事実が耐えられなかった。ちなみに、私が入院していた病院では、母乳が出ても出なくても3時間おきにおっぱいを吸わせないといけないと説明をしていた。赤ちゃんがおっぱいを吸う刺激によって、母乳が分泌されるからだそうだ。

寝る時間を削りながらの授乳

そしてその日の夜あたりから、胸がカンカンにコンクリートのようにかたくなってきた。痛い……。そして、熱い!! 何事かと思って鏡に胸をうつすと、いつもと様子が違う。左右に揺れ動いてみても、胸は全く揺れない。岩のようにかたい。とにかく痛くて熱くて、寝返りが打てない。あわててナースステーションに行くと、「母乳がつくられてきている証拠ですよ」といって胸に当てる用の冷却ジェルパッドを貸してくれた。それを使うと幾分痛みは和らぐのだが、胸が熱を持っているせいですぐに溶ける。するとまた痛みがぶり返す。

「とにかく母乳をあげないことには胸のハリもおさまりませんからね」と看護師は言うのだが、おっぱいを吸わせる→出が悪いからすぐに吸わなくなる→胸はカンカンに張ったまま という状態で、一体何をどうすれば現状を打破できるのかわからない。母乳が出ないおっぱいを何度もくわえさせていると、母乳が出ない認定されて、そのうちおっぱいを全く吸ってくれなくなるんじゃないかという恐怖心も芽生え始めてきた。

また、産後は毎日のスケジュールも過密。3時間おきの授乳と言っても、その準備やら後片付けやらで1時間くらいは新生児室にいるため、残り時間は2時間。この2時間の間に、母乳の分泌促進のための運動をする。さらには、「沐浴講習」だの「母乳学級」だの「粉ミルク講習」だの、いろんなセミナーが合間合間に入ってくる。

「母になるって、眠れなくなることなのか……」。睡眠不足で、次第に思考力が落ちていく。院内を歩けば、「母乳育児、最強」みたいな内容のポスターが貼られていて、精神的に追い詰められてきた。

このあたりから、新生児室に行っても「ごめんねぇ、母乳もあげられないお母さんでごめんねぇ」と言ってばかり。病室に戻って一人になると、わけもなく涙が出てくる。なぜ自分が泣いているのかもわからない。産後に起きるホルモンバランスの急激な変化に加え、「母乳育児」というプレッシャーにより、産後うつという状態に陥っていたのだ。(続く)