情報はどこから来たか?

――ご著書で紹介されている「ねぎま式メモ」について詳しく教えていただけますでしょうか

ねぎま式メモとは、たとえば「○得た情報→☆考えたこと→○印象的な発言→☆疑問→○得た情報→☆気づいたこと」というように、「主観」と「客観」を互いちがいに書いていくことです。

これは外から得たものと自分から出たものを分けるためのメソッドです。話し相手の発言や外部からの情報は頭に○印を付けて書きとめ、自分の発想や意見には☆印をつけて書きます。

――なぜ情報の自他を区別するのでしょうか?

ジャーナリストの常識として、書き手がまとめた「発言要旨」と本人の「発言そのまま」は区別するという原則があります。ブログやレポート、インタビューなど、アウトプットをする予定があるならば、「発言そのまま」はカッコでくくり、明確に自他を分けるという前提がこのメモ術に反映されています。

また、自分と他人の考え方の区別をしておかなければ、なにごとにも受動的な人間になってしまいます。

例えば「日本は衰退する」という発言があったとします。それをそのまま自分の考えにしてしまうのではなく、自分と明確に区別するために「この人は年金制度について言っているのだろう」と注釈をつけておく。このように少しずつでも自分の意見を書いておかないと、自分の話す内容が他人の情報を借りただけになってしまいます。

○と☆はできるだけ交替で書いたほうがいいでしょう。書くことが思い浮かばなければ「☆すごいなあ」でもいいんです。あとで自分はどこがすごいと思ったのだろうか、と深めていけばいいのですから。

人の話を聞いているときも、自分と会話をしているように考える癖をつけるのです。

ねぎま式メモは私がインタビューを重ねていくうちに編み出したものです。話を聞いているときに疑問に思ったことを書き、「あとでこれを質問しよう」「ここをもう一度言ってほしい」、はたまた「この人はなぜこのスーツを着ているのか」などを書きます。そうすると本来のインタビューとは別の「隠れ対談」ができあがり、さらに内容を深めることができます。

――質疑応答の場面で発言しない人が多いのは遠慮もあるのでしょうが、そこまで「深く考えていないから」とも言えそうですね

みな他人事として聞いてしまっているんです。しかしねぎま式メモをとることでセミナーや会議はもちろん、テレビ、読書の際にも能動的に考え、その場でアウトプットができるようになります。アウトプットとは自分の発想ですので、○よりも☆の箇所が大事だと言えます。

博物館に行ったときにもねぎま式メモが使えます。以前松下幸之助記念館に行ったときも、「松下の最初のヒットとなった自転車のランプはどうして砲弾型なんだろう」「松下さんの演説はなぜ心にひびくのだろう」ということをねぎま式でメモしました。

なにごとも「ふーん」で済ませず、主体的に情報と付き合うということです。相手の発言と自分の感想が併走するからこそ、発想が出てくるのです。 それを取りこぼさないためには、メモをとる紙をいちいち変えてはいけません。散漫な思考をそのまま一つのノートに書けばいいのです。